知恵伊豆はいづこ武蔵の平林寺

忘月忘日 恒例の初詣に出かけた。素晴らしい晴天である。9時頃家を出て稲城から中央道に入り、全く渋滞がなく約40分で向島に着くことが出来た。白髭橋を渡り、泪橋を右折して千住大橋の手前にある素戔雄神社へ行った。境内に千住天王子育の大銀杏がありその下に
   行くはるや鳥啼き魚の目は泪
の句碑がある。素戔嗚尊に相応しく本殿の前は酒樽で埋め尽くされている。参拝する姿が奥の鏡に映っているのが面白い。
 千住大橋は隅田川に最初に架けられた橋である。橋の南詰めに陸軍大将林銑十郎の書になる「八紘一宇」の碑が建っている。進駐軍に見つからずに生き長らえたものであろうが、ここにこういうものがあるとは知らなかった。写真を撮って橋を渡り、足立区立大橋公園にある「史跡おくのほそ道矢立初の碑」を見に行った。碑には『奥の細道』の一節「千じゆと云所にて・・・見送なるべし」が刻まれている。芭蕉達は深川から舟に乗って隅田川を上り、ここで上陸したという。もう少し上流の方に抜きん出て高く聳えているマンションが、狙撃された国松警察庁長官が住んでいる所らしい。
 折角だから深川にも寄っていこうと思い、所謂山谷のドヤ街を通り、駒形橋を渡って江戸東京博物館を横目で見ながら芭蕉記念館へ向かった。道路は信じられない位に交通量が少なかった。「三が日は休館かも知れない」と心配だったが、改修工事中で3月まで休館だった。直ぐ先の萬年橋の手前にある芭蕉稲荷に寄って初詣をした。今年は少しは句の腕が上がるに違いない。小さな稲荷であるが、ここは芭蕉庵の跡であるから、俳句を志す者にとっては聖地である。隅田川畔に出てみると大川端芭蕉句選という金属製の小さな句碑が数十メートルおきに立てられている。流石に江東区は芭蕉の地元だけあって、芭蕉を大事にしている。
 萬年橋を渡った先の清澄庭園には、「古池やかはづ飛こむ水の音」の句碑があるので見たいと思ったが、都立庭園は三が日は休園である。善良な都民達は三が日位しかこういうところに来る暇がないのだよ、石原君!、「都庁職員は窓口で都民に「いらっしゃいませ」といえ」というのもいいけれど、庭園を三が日に閉めるのはいけませんね。
 清澄庭園から海辺橋を渡った袂に採荼庵跡がある。芭蕉は草庵を人に譲って杉山杉風の採荼庵に移り、奥の細道の旅は採荼庵から出発した。庵の濡れ縁に腰掛けた旅立ち姿の芭蕉と並んで写真を撮った。若いカップルが来て同じポーズで写真を撮っていった。柿沢弘治衆議院議員が宣伝カーに乗って通りかかり愛想良く手を振ったので、こちらも笑顔で手を振った。
 海辺橋を挟んだ清澄庭園側に小さな公園があり、その向に「伊勢屋」という菓子屋がある。伊勢屋で大福餅と団子と寿司弁当を買った。
 清澄庭園から目と鼻の先にある江東区役所の隣に霊厳寺があり、楽翁松平定信の墓がある。倹約を奨励した殿様にしては立派な墓である。この辺りに白河藩の屋敷があったらしく、白河という町名になっている。霊厳寺の向にある出世不動尊にお参りしたが、神社と間違えて「二礼二拍手一礼」の参拝をしてしまったので御利益は期待できないかも知れない。
 先程来た道を戻って日光街道に入り、北上して草加へ向かった。先程までと違って車が随分多くなっているが、幸い渋滞しているのは逆方向である。街道沿いには高層建築が林立していたが、足立区から草加市に入った途端に殆ど2階建だけになった。草加煎餅の店が並んでいる町並みを進んで、山田酒店の駐車場に車を停めて、札場河岸公園にある芭蕉立像に敬意を表した。子規の句碑
   梅を見て野を見て行きぬ草加まで
がある。望楼に登って綾瀬川沿いの松並木を眺め、ベンチに座って日向ぼっこをしながら、先程伊勢屋で買ってきた大福と団子と寿司を食べて腹ごしらえをした。綾瀬川は流れているのが分からない位にゆったりとしているために、水はきれいではない。川に平行に矢立橋という大きな太鼓橋が道路を跨いで架けられている。歩道橋である。少し上流に同じような太鼓橋「百代橋」があり、橋の両端に「月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり」と書かれた橋名由来碑と、「ことし元禄二とせにや・・・路次の煩となれるこそわりなけれ」と書かれた松尾芭蕉文学碑が立っている。
 草加から外環道に乗って和光まで行き、川越街道を通って平林寺を尋ねた。駐車料金500円、入山料300円を払って入山した。山門を入って直ぐの所に樹齢500年という大きな高野槙がある。正面にある仏殿の屋根がボロボロで今にも崩れそうである。高い入山料を払って大勢入山しているのに屋根も修復できないとはどうしたことだろうか。鐘楼の鐘は売り飛ばされていないから後家狂いというわけでもなさそうだが・・・。島原乱供養塔、武田信玄の娘の墓(見性院殿高峯妙顕大姉)、増田長盛の墓(長盛院殿神徳昭霊大居士)などがある。しかしこの寺に来たからには知恵伊豆の墓にお参りしなければならない。松平家関係の同じような墓がたくさん並んでいてなかなか見つけられなかった。
   知恵伊豆はいづこ武蔵の平林寺
やっと見つけて参拝することが出来た。戒名は松林院殿乾徳全梁大居士である。もの凄く広大な境内にはやたらとカラスが多く、やかましい。少し大げさに云えば、地面が白くなる程カラスの糞が落ちている。歩いているところを直撃されて憤慨することのないように気を付けなければならない。業平塚という小さな塚と、野火止塚(九十九塚)という大きな塚がある。帰りがけに厠に寄っていたら「ボーン」と鐘が鳴った。
   提灯に釣り鐘鳴るや平林寺
 小坊主が鐘楼に登って、教科書を見ながら大きな声で読経し、鐘を撞いている。この寺も定員削減で読み手が撞き手を兼務することになったらしい。駐車場に戻って憤慨した。カラスにしてやられた。
 知恵伊豆が作った野火止用水に沿って走り、小金井街道を南下して18時過ぎに帰宅した。今日は素戔雄神社、芭蕉稲荷、霊巖寺、出世不動、平林寺と初詣の梯子をしながら、深川から草加まで芭蕉の足跡を辿った。これで『奥の細道』は象潟まで完璧である。「八紘一宇」碑発見のおまけまで付いて、素晴らしい初詣だった。