これがまあつひの栖か雪五尺

忘月忘日 前日納車されたばかりの新車で八王子から中央高速に入ってひたすら走る。今度の車にはナビゲーターが付いている。今までの旅行では何時も同乗者の一人に「ナビゲーターを命ず」という辞令を交付していたが、今回からその必要がなくなり、当節流行の定員削減政策にも合致する。
 途中八ヶ岳サービスエリアで小休止をした時、七竈が綺麗な実を付けているのが印象的だった。後はノンストップで長野まで走り続けて、松代へ行く。
 松代と言えば真田、大本営、地震が頭に浮かぶが、真田氏に敬意を表して先ず真田公園へ行く。昼の時間になっていたので、物の本の教えに従って「日暮庵」に入った。よく似た姉妹がサービスをしている。蕎麦定食を食べたら麦トロ御飯が付いていた。地元出身の松井須磨子の写真が飾られている。帳場脇のガラス戸棚の中に佐久間象山13才の時の書があった。とても13才とは思えない達筆である。
 江戸時代末期に松代藩9代藩主・真田幸教が母の方のために隠居所として建てた旧真田邸では、2階の雨戸に直径5cm程の穴が幾つも開いているのが気になり尋ねてみたら「啄木鳥が開けたものです」とのことだった。雨戸では幾らつついてみても中には空気しかなかっただろうと思うが、それにしてもこう幾つも開けるところをみると、啄木鳥は余り頭が良くないらしい。真田宝物館では「六連銭」の正しい読み方が「むつれんせん」であることを知った。「日暮硯」で知られる恩田木工の事績も知ることができた。真田公園にある「子鹿のバンビ」等の童謡歌碑を見ながら隣にある松代藩の文武学校へ行き、その後、佐久間象山記念館を訪れた。象山は、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、橋本左内等弟子に恵まれていた。
 第2次大戦末期に作られた大本営予定地跡(象山地下豪)に行ったら、少々時間を過ぎていたが中に入れてもらうことができた。縦横に掘られた地下豪の規模には驚いたが、ここに大本営を移して抗戦しようと考えた軍部の意図は理解できない。外に出て、掲示されている説明に「大本営をここに移そうとしたのは、ここが川中島合戦以来要衝の地であり・・・」とあるのを見て吹き出した。日本軍は第2次世界大戦を川中島合戦と同レベルに考えていたらしい。
 真田家の菩提寺で恩田木工の墓もある長国寺に寄ってみた。左甚五郎の作といわれる破風の鶴は今にも飛び立ちそうである。
 再び高速道路に乗って終点の信州中野まで行き、安代温泉に向かった。「渋・安代」という交差点に着いたが、地図で確認してきた道が見当たらないので、宿に電話してみた。建物の陰にある細い道を入ったところに今日の宿「安代館」があった。明治時代の建物というだけあって風格が感じられる。2階の手摺まで朝顔が伸びてきている。風呂に入ってから部屋に運ばれた夕食を食べた。信州らしく蜂の子が出されたが、眺めるだけで箸を付けなかった。
 安代温泉と渋温泉が続いている温泉街を歩いてみた。狭い通りには小さな句碑がたくさん建てられている。
   芋は今喉元辺りろくろ首
という句が可笑しかった。この季節はどの宿も客が少ないようだ。
 何ヶ所かに共同浴場(外湯)があり、旅館から鍵を借りて行って入ることができる。安代館の隣にある共同浴場に行ってみたが熱過ぎて入れなかった。

 朝風呂に入り、朝食を済ませて、出発した。野尻湖方面に行ってみることにして走り出したが、未だ高速道路が開通していなかったので、国道18号線を通って先ず一茶記念館を訪れた。敷地内に幾つも大きな句碑が建てられている。改めて一茶に親近感を覚えた。
   春風や牛に引かれて善光寺
   しづかさや湖水の底の雲の峰
   やれ打つな蝿が手をすり足をする
   あの月をとってくれろと泣く子かな
   我と来て遊べや親のない雀
   雀の子そこのけそこのけお馬が通る
   寝返りをするぞそこのけきりぎりす
   ともかくもあなた任せの歳の暮
   飛べ蛍野良同然のおらが家
   うつくしや障子の穴の天の川
   目出度さも中位也おらが春
   御仏や寝ておはしても花と銭
 次に野尻湖ナウマン象博物館を見学してから黒姫高原のコスモス園へ行ってみた。冬はスキー場になる斜面が一面のコスモス畑になっている。100万本あるとか。昼は黒姫駅の近くの「信濃屋」で蕎麦を食べた。この蕎麦屋には有名人が大勢訪れているらしく、色紙がたくさん飾られていた。
 一茶の旧宅に寄ってみる。
   これがまあつひの栖か雪五尺
小さな土蔵である。この辺りは何処へ行っても「一茶」の2文字が目に入る。まさに、おらが故郷は一茶一色である。改めて一茶の偉大さを認識した。
 まだ帰るには少し早いので、小布施に寄ってみることにした。岩松院という寺を訪れた。天井に描かれている葛飾北斎の「八方睨鳳凰図」を床に寝て鑑賞する。
   痩せ蛙負けるな一茶これにあり
で知られる蛙合戦の池もこの寺にあり、句碑が建っている。晩年をこの地で過ごした福島正則公の霊廟があるが、訪れる人も少なく忘れられかけている感じである。一茶が今でも華々しくもてはやされているのと比べると何か寂しい気がする。後世に文化を残した一茶の偉大さを改めて認識させられた。ペンは剣より強し。
   正則も蛙に負ける岩松院
 小布施には見る所がたくさんあるが、次回の楽しみに残しておくことにして、竹風堂に寄って一休みした。