大浴場の湯気に咲く花

忘月忘日 関越自動車道を利用する時は何時も入間から圏央道に入っていたが、ナビゲーターは青梅から入る道を指示しているので素直にそれに従って青梅から入ってみたら、こちらの方が良さそうだった。関越自動車道を北へ向かう。紅葉シーズンとあって普段より大分車が多かったが、渋滞という程のこともなく、渋川・伊香保で降りる。最初に水沢観音に行ってみようと思い、ナビゲーターで目的地をセットする。山間のひっそりした観音様かと思いきや、大変な賑わいであった。適当にお参りを済ませ、本堂右手の六角堂を一回りして、昼を食べることにした。ここの名物は「うどん」で「清水屋」という名前が物の本に出ていたが、目の前にある大きなうどん屋は清水屋ではない。折角だから物の本にある店に入ってみようと思って聞いてみたら「鳥居を出た下にあるが、駐車場はきっと満車だから車はここに置いていった方が良い」と親切に教えてくれた。行ってみると、うどん屋が数件並んでいる中で、一番古そうなのが清水屋だった。「始祖」と書かれているだけあって、なかなか風格がある。入ろうと思って見たら、店の前に十人以上待っている。よく見ると、皆番号札を持っている。これでは大変だから他の店にしようかと迷ったが、急ぐ旅ではないし、「本物でなければいけない」と思って番号札を取って待つことにした。暫くすると、バスで乗りつけた30名程の団体が2階に上がっていった。一般客が入る1階席は1組出れば1組入るという状態だからなかなか埒があかないが、気長に待つことにする。店の玄関脇にガラス張りの“工場”があって待っている間うどんの製造工程を見学できるようになっている。見れば4人の女性職人が実に手際よくうどん粉の塊を薄く伸ばして細く切っている。全て手作りである。唯一つ気になったことは、職人が全員相当な高齢者であることだった。全員磁気ブレスレットをはめて健康管理に気を遣っているようだが、この分では清水屋のうどんは先細り、近い将来“幻の味”になること必至、心配である。そうこうする中に順番がきて、席に着くことができた。メニューは1種類で大・中・小の別があるだけである。「中」を注文して待つ。店内には、昭和天皇4才の時を初め皇族来臨の写真等が飾られていた。出されたうどんは、ざるに盛られていて上にほんの少々胡瓜としば漬けの大根が載っているだけの簡単な物で、ゴマつゆで食べる。待っただけの値打ちのある素晴らしい味であった。“幻の味”にならない中に食べておいてよかった。
駐車場の外れにある万葉歌碑を見てから、竹久夢二記念館へ行ってみようと思い、丘の上にある伊香保温泉へ向かう。一人が「伊香保は曽遊の地である」いっていたが、竹久夢二記念館に着いて、「前に来たときには建物が一つだけだったのに随分変わった」と驚いていた。入館料も1500円で高い。入ってみると「宵待草」のメロディーが流されている。夢二が淡谷のり子と写っている写真があった。もしかすると2人は怪しかったのかも知れない。背もたれを起こすと机になる木製のベンチが珍しかった。
 今夜の宿は川中温泉「かど半旅館」を予約してある。2週間程前に予約した時、電話を受けたおじいさんらしき人が、こちらの名前を言っても暫くすると「どちら様でしたか」を繰り返し「一応お受けしておきます」といって、電話番号も聞かずに切ってしまったので、本当に予約できているのかどうか心配で、確認の電話をかけてみた。幸いちゃんと予約できていたので、安心して徳富芦蘆花記念文学館に寄ってみることにした。展示館と記念館とに分かれていて、記念館には蘆花が入った風呂や蘆花終焉の部屋等があった。蘆花終焉の部屋には蘆花の着たマントが掛けてあり、蘆花が終焉を迎えたベッドが置いてあった。
 石段の湯や伊香保の関所、ハワイ王国公使別邸等を大急ぎで見て、薄暗くなりかけた伊香保を後にして、川中温泉に向かった。国道145号線から狭い道に入って程なくかど半旅館に着いた。既に夕食時間で食堂周辺はごった返していた。別棟1階の奥の部屋に案内された。日本三大美人湯の一つとして有名な旅館であるが、建物は安普請である。「お食事前にお風呂にどうぞ」といわれたが、ぐずぐずしている中に「お食事にどうぞ」と言われてしまったので、部屋をロックして食堂へ行った。相変わらず食堂は混んでいる。食事を終えて部屋に戻ろうとしたら「お部屋に布団を敷いておきました。鍵がかかっていて入れなかったので窓から入りました。ここは田舎で安心ですから鍵を掛けないで下さい」といわれた。
 部屋に戻って一休みしてから風呂に入った。「女将さんや従業員を見ると美人湯の効き目も大したことはなさそうだ」「そんなことはない、美人湯に毎日入っているからあそこまできたに違いない」等といいながら内湯に入る。確かに膚が滑らかになる。特に興味があるわけではないが日本シリーズの中継を眺めているうちに遅くなり、「露天風呂に入ってみよう」と思って行ってみると、「泉温38度でぬるい」と書かれている。入ってみたが本当にぬるい。震えながら裸のままで内湯に飛び込んで温まった。

 朝食を済ませ、風呂に入って、時間ぎりぎりにチェックアウトした。猿ヶ京温泉の「三国路紀行文学館」に寄ってみた。
 湯宿の「五郎兵衛茶屋」でうどんを食べて、法師温泉「長寿館」へ行ってみる。上原謙と高峯三枝子の入浴シーンで有名になった温泉である。「上原謙と高峯三枝子は昔怪しかった」等と言いながら山道を随分走ったところにあったが、たいそうな賑わいである。800円払ってタオルをもらい、大浴場へ行ってみる。湯船には50人程が入っているが、残念ながら女性は1人だけしかいないようだし、その1人はボーイフレンドにエスコートされて上がるところであった。我々の直ぐ後から中年のカップルが入ってきた。女性は高峯三枝子を彷彿させるような大柄の美人だった。入口でためらっている女性に60才位のオバサンが「大丈夫だよ、私も入ったからアンタも入りなさいよ」と励ましているが、流石に気後れしているらしく、出たり入ったりしている。やがて意を決したらしく大きなバスタオルを巻いて入ってきたら、男性達が「タオルを湯船に入れてはいけないと書いてあったよな」と聞こえよがしに囁き合っていた。
   百人の目を釘付けに法師の湯大浴場の湯気に咲く花
湯舟の底に丸い石ころを敷き詰めてあり、その玉石の間から湯が湧いているということであった。大きな湯舟は丸太で枡形の仕切がしてあるのだが、その丸太に寄りかかったらククッと動いたのであわてた。要するに、丸太は湯に浮いているだけで、固定されていない。大浴場の窓から外の紅葉が眺められて、四角い窓が一枚の絵のようだった。湯から上がって服を着てやれやれと玄関のところに来たら、座敷ロビーに年輩のおじさん、おばさん達が大勢休んでいた。大きな木の株をくりぬいて作った火鉢、黒ずんだ梁、時代錯誤に陥りそうな玄関、・・・、空いている時期に是非もう一度訪れたい宿だった。外に出ると、大勢人がいて「満員で入浴を断られた」といっている。我々は運良くタッチの差で入れたらしい。「十分満足した」といって長寿館を後にした。
 一人が「須川宿へ寄って見よう」というので、国道17号線を湯宿から西に入ると直ぐに山道になり「こんな山奥に宿場があるとは思えない」と言いながら数分走ったら、突然平らな所に出て集落があった。三国街道須川の宿である。「たくみの里」ということで色々な細工の店が並んでいて、訪れている人が多い。中で木製の急須というのが目を引いた。ハリスト正教会の新しい小さな建物は、古い宿場に妙に合っていた。正面の扉は閉まっていたが横の入口を開けて覗いてみたら、我が国で唯1人の女性聖像画家山下リンが描いた聖像画が美しかった。