今までは暗き故郷の山桜

忘月忘日 佐久町曽原の湯で開かれた研究会に参加した後、小諸に行き懐古園に寄った。懐古園は5月にも来たけれど、もう一度ゆっくり見物してみようと思う。前回と同じコースを辿ってみる。当然のことであるが、前回苦労して読んだ「馬頭観世音」の石碑が同じ場所に立っている。展望台に登って見ると、夕方で雨模様だった前回と違って遠くまで良く見える。展望台から下りて来たら、向こうから見覚えのある人達がやって来るのが目に入った。体育研究室の昔中教授、浜川助教授、桃井助手等である。彼等は体育の授業で学生達を引率してサイクリングをしている途中で、昼の休憩時間であるとのこと。そうこうするうちに、彼等は出発の時間になり、今日の目的地別所温泉へ向けて一列縦隊で走り出して行った。餓になったので、揚羽屋へ行って名物の「一ぜんめし」を食べた。
 北国街道の海野宿を再訪しようと思う。海野宿には5月に来ているが、時間が遅くてゆっくり見られなかったこともあり、何よりも古い町並みが完全に保存されているのが興味深く、是非もう一度訪れたいと思っていた。海野宿の入口に位置する「つるや」に敬意を表して写真を撮り、歴史民族資料館にも入ってゆっくり見学した。海野宿の特徴は「海野格子」と「うだつ」である。古い町並みをこれだけ見事に保存していることに敬意を表したい。
 国道144号線で真田町を抜けて群馬県に入り、長野原から292号線で六合村役場まで行き、生協の自動販売機で飲み物を買い、そこから県道55号線(中之条草津線)で暮坂峠を越えた。県道55号線は若山牧水の歌碑が建てられていたりして「日本ロマンチック街道」と呼ぶに相応しいと思うが、沼田中之条間の国道145号線等は何故「ロマンチック街道」と呼ばれるのか全く理解に苦しむ。沢渡温泉を過ぎて左折して山道を10分程走った所に今日の宿反下温泉美郷館があった。雨模様だったが、宿の人が傘を持って駐車場まで出迎えてくれた。この温泉は地元が村興しのために作ったとのことである。
 新しく立派な建物で、「滝の間」という大きな部屋に通された。渓流にかかる滝が正面に望める当館随一の部屋らしい。滝の音が随分大きく聞こえる。風呂は部屋の真下にあり、露天風呂は別棟になっている。露天風呂は明るい中だけということだったので、早速浴衣に着替えて下駄を履いて露天風呂に入りに行く。部屋に戻ったら食事の用意ができていた。随分豪華な食事である。暗くなったら滝が照明で明るく照らされている。食後、滝の見える内風呂に入ってから眠った。

 朝食後入浴してチェックアウトした。渓流を少し遡ってみて引き返し、宿から少し下った所にある「うなり石」を見て、中之条町へ向かった。中之条町は小淵恵三先生の出身地で、あちこちにその関連の看板が出ている。旧吾妻第三小学校の校舎が中之条町の歴史民族資料館になっている。国定忠治の辞世の歌が2首書かれていた。
   中山道板橋宿にて:今までは暗き故郷の山桜散り行く末は武蔵野の上
   大戸宿にて:見ては楽しては苦労の世の中にしまじきものは賭の諸勝負
 県道58号線(中之条吾妻線)を通って大戸関所跡を見に行く。更に、その先にある忠治処刑場跡も見に行った。処刑場跡には大阪のその筋の人が建てた大きな石碑があった。
 中之条に引き返し、何故「日本ロマンチック街道」と呼ばれるのか分からない国道145号線を沼田に向かう。沼田市役所に車をおいて、直ぐ近くの鰻屋「福田屋」で昼食を食べようと思ったが、時間が遅かったので閉店中だった。前回食べて美味しかった東見屋の味噌饅頭で間に合わせることにした。狭い店の壁には、芭蕉の句が書かれた色紙が何枚か貼られている。焼き上がるのを待ってあわてて食べたら、口の中を火傷してしまった。
 天狗で知られる迦葉山弥勒寺へ行ってみることにした。県道266号線(上発知材木町線)を走って、看板に従って山道を登った所に弥勒寺があった。本堂にある超大天狗は鼻の長さが2.8mもあるとのこと。道鏡等物の数ではない。大・中・小無数の天狗の面がある。顔つきは勿論、鼻も千差万別である。先が太くなっているのもあれば先細りのもあり、反り返っているのもあれば下向き加減のもある。天狗の面の「貸し出し制」というのが面白い。沼田に引き返して先程の「福田屋」に行って鰻重を食べて、帰路についた。