朝起きて風呂に入った。今度は女性が2階で男性が1階である。晴れていれば風呂から富士山が見えるはずであるが、残念ながら見えない。
朝食は、お粥、蟹の味噌汁、大根と烏賊の煮物、サラダ、青竹の半割に入った豆腐、お浸し、桜海老、干物。昨夜「明朝の干物は何にしますか」といって、鰺・えぼ鯛・かます・トロボッチの中から選べというので、えぼ鯛を予約した。
玄関の脇に立派な泰山木がある。この宿は予想していたより遙かに立派で快適だった。
昨日来た道を戻って国道1号線に入り、やがて富士川を渡った。
♪鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて
今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟
義経と怪しかった浄瑠璃姫の墓が蒲原中学校の前にあるので行ってみた。碑面には「昔、浄瑠璃姫、愛知県矢矧駅より義経を慕って東へ下る時、この地で疲れ死す」とある。沢庵和尚の歌
世に高く吹上の松の名に立つや梢に通う沖津汐風
で知られる「吹上の六本松」と並んでいる。旧街道を走って由比まで行き、桜海老館に車を停めて由井正雪の生家を見に行った。少し雨がぱらついていたので傘をさしたが間もなく止んだ。正雪の生家は紺屋であり、現在も「正雪紺屋」の看板を掛けて商売をしている。紺屋の対門は本陣跡で、復原した本陣と東海道広重美術館が建てられていて、きれいに整備されている。敷地内の大木には蝉が何百匹もとまって賑やかに合唱している。三島大社では、声はすれども姿は見えずであったが、ここでは姿がはっきり分かる。7割がみんみん蝉で残りが油蝉である。手を伸ばしてみんみん蝉を捕まえてみたが実に大きい。「大木に蝉」とはいえ、この位たくさんいればそれ程気後れしないだろう。
大木に蝉集まりし昼下がり
本陣の隣の大きな屋敷には「由比」という表札がかかっていた。この町には「角サ印の花鰹」の本社がある。子供の頃よく食べたので懐かしい。
♪世に名も高き興津鯛 鐘の音響く清見寺
清水に続く江尻より ゆけば程なき久能山
清見寺へ行ってみて驚いたことには、山門と伽藍の間を東海道線が走っている。句碑
秋晴れや三保の松原一文字
があるが、現在では手前に大きな倉庫が建っていて松原は一部しか見えない。そのことを的確に叙述した山下清画伯の文章「お寺から見える海はうめたて工事であんまりきれいじゃないな。お寺の人はよその人に自分のお寺がきれいと思われるのがいいか自分のお寺から見る景色がいい方がいいかどっちだろうな」が印象的である。境内には家康手植えの梅「臥龍梅」、五百羅漢、与謝野晶子の歌碑
龍臥して法の教を聞くほどに梅花の開く身となりにけり
等がある。
♪清水港の名物は お茶の香りと男伊達
見たか聞いたかあの啖呵 粋な小政の粋な小政の旅姿
清水次郎長の生家へ行ってみることにした。生家のある次郎長通りへ入ろうとしたら「通行止め」になっていて入れない。何事かと思って見たら、何と次郎長祭ではないか。近くの郵便局に車を停めて次郎長通りへ駆けつけてみたら、まさに清水一家が勢揃いしているところだった。一家は整列して近くにある次郎長の菩提寺「梅蔭寺」に向かって行進し始めた。行進曲はいうまでもなく「旅姿三人男」であるが、残念ながらデイックミネではない。
次郎長の生家は間口一間半の鰻の寝床風の家で、それらしき物の数々が展示されていて、奥の方で土産物を売っている。国定忠治の孫と一緒に写っている大きな写真も飾ってあった。次郎長の戒名は「碩量軒雄山義海居士」である。
生家を見物してから急いで梅蔭寺へ駆けつけた。ここには次郎長の墓や次郎長の銅像があり、「旅姿三人男」の歌碑や次郎長博物館もある。博物館を見学していたら外が騒がしくなったので出てみると、清水一家が勢揃いして記念撮影をしているではないか。彼等はこの日のために10日間毎晩練習をしたそうである。寺の前で「餅投げ」が始まる。「梅蔭寺の御住職いらっしゃいませんか」とスピーカーで呼びかけているが、坊主は後家とどこかにしけこんでしまったらしく出てこないので、坊主抜きで餅投げが始まった。それ程大勢ではないので拾えそうだと思ったが残念ながらキャッチボールが下手で一つも拾えなかった。それにしても、年に一度の次郎長祭の日のしかも一家が勢揃いしている時間に来合わせるとは何たる幸運!!!!!!!!
国宝「久能寺経」がある鉄舟寺へ行ってみた。推古天皇の時代に久能山に建てられた大きな寺で久能寺といわれていたが、天正3年に現在の地に移されたという。武田氏、徳川氏によって庇護されてきたが、明治以降荒廃していたものを山岡鉄舟が再興したとのことである。宝物館には久能寺経を初め義経が五条の橋の上で吹いたと伝えられる「薄墨の笛」等が展示されているが、果たして本物かしら。館内は蚊が多くあちこち刺された。境内には鉄舟の歌碑
晴れてよし曇りてもよし不二の山もとの姿はかはらざりけり
遠州灘沿いに国道150号線を走って、久能山に行き1200段の石段を登って家康公の墓にお参りした。それ程気温は高くなかったが凄い汗をかいた。
昼食抜きだったので流石に餓極了になった。何処に行こうかと迷ったが、ここまで来たからには「石橋」の鰻にしよう。ここから「石橋」までは10km程である。今日は直ぐに席に着くことができた。30分程待って出された鰻は勿論ジャポニカ種である。昼抜きでもこの鰻を食べれば十分である。