清水港の名物は

忘月忘日 今回は沼津から静岡辺りを探訪してみようと思う。夏の土日は混むだろうと思い金曜日に出掛けることにして厚木から東名高速に入った。
  ♪いでてはくぐるトンネルの 前後は山北小山駅
   今も忘れぬ鉄橋の 下ゆく水のおもしろさ
  ♪はるかに見えし富士の嶺は はや我がそばに来たりたり
   雪の冠雲の帯 いつもけだかき姿にて

残念ながら富士山は全く見えない。最初に三島大社に行くことにして沼津で下りた。
  ♪三島は近年開けたる 豆相線路の分かれ道
   駅にはこの地の名を得たる 官幣大社の宮居あり

大山祇神と事代主神を祀る官幣大社である。流石に立派で広い境内に樹木が繁っているが、なかでも、樹齢1200年の金木犀は素晴らしい。鳩がたくさんいて例によって人なつっこく寄ってくる。蝉の声が物凄く殆どがあぶら蝉だと思われるが姿が全く見えないのが不思議である。境内に芭蕉の句碑
   どんみりと樗や雨の花曇り
がある。
 神社から白滝公園まで桜川に沿って歩いた。川の水が飲めるのではないかと思う位にきれいで水量が豊かだったが、鯉やハヤが泳いでいる。清き流れにも魚は棲むらしい。歩道に立てられている文学碑もなかなかよかった。この川は白滝公園にあるいくつかの湧水を水源としている。2人の子供の人形が水を汲み上げている「めぐみの子」で湧き水を飲んでみた。公園の入り口には「富士の白雪ノーエー・・・」で知られる三島の民謡「農兵節」の碑が建っている。「農兵節」は幕末にかの江川太郎左衛門が農兵の訓練の際に歌ったものだそうである。
 公園の脇にある「水泉園」という鰻屋に入って鰻重を食べたが、どうやらヨーロッパ種の鰻を使っているらしい。“教科書”に紹介されている店であり古そうではあるが、特に感心する程のものではなかった。何故か隣も鰻屋だった。
  ♪富士の高嶺の白雪が 解けて流れる真清水で
   男磨いた勇み肌 何で大政何で大政故郷を売る

 富士山周辺最大の湧水群がある柿田川湧水公園へ行ってみた。明日から「湧水祭」が開かれることになっていて、至る所その準備で忙しそうである。1日に126万トンの水が湧き出しているそうで、柿田川はここから狩野川に合流するまでの1200mで日本一短い一級河川であるが、水量豊かな真清水である。湧水がよく見えるように展望台が2箇所に設置されている。その一つでは、湧水池の中に魚が泳いでいる。この水は湧き出したばかりであるから、先程の三島の川の水よりもっときれいである。一体この魚は何を餌にしているのだろうか。不思議に思って眺めていたら、小さい子供がサンダルの片方を池に落としてしまい、若いお母さんが木の枝を使って釣り上げようと必死に頑張っている。なかなかうまくいかなかったが、何回目かに釣り上げた時には思わず拍手したくなった。
 公園内には古い立派な家が残されている。公園の外に出てソフトクリームを舐めながら歩いていたら「スッポン堂」という店があったので覗いてみた。たくさんの蝮とスッポンが瓶に入っている。如何にも好きそうな禿頭の親爺が蝮の粉を作ってもらっている。公園の前に「泉」というバス停があり、時刻表をみると沼津駅行きが14時台に1本あるだけである。これでは行くことは出来るが帰ることが出来ない。
 沼津市の千本浜にある若山牧水記念館に行ってみた。牧水は宮崎県の出身であるが、晩年はこの地に住んだ。牧水夫人の喜志子(旧姓太田)は信州広丘村の出身で、太田水穂の縁者であることを初めて知った。更に、広丘村は島木赤彦が小学校長をしていたというから、天下に誇りうる歌道に明るい村である。今まで隣村である広丘を正しく認識していなかったことを恥ずかしく思った。
 千本松の海と松原を眺めながら
  ♪沼津の海に聞こえたる 里は牛臥我入道
   春は花咲く桃の頃 夏は涼しき海のそば

を思い出したので、牛臥我入道に寄ってみることにした。かつてはよく知られた場所だったようだが、現在は全く観光ルートからは外れているらしい。海岸に芹沢光治良の文学碑がぽつんと建っているが、何とも寂しい感じがする。
 今日の泊まりは三津浜の安田屋、太宰治が滞在して「斜陽」を執筆したことで知られる「太宰治ゆかりの宿」である。近代的なホテルが並んでいる中に一軒だけ風格ある和風の本格的な建物があり、すぐに分かった。玄関のロビーでお茶を飲んでから、太宰治が滞在した「月見草の間」に案内された。この部屋は太宰が滞在した当時は「松の弐」と名付けられていたとのことである。海に面した10畳の角部屋である。如何に由緒ありとはいえ何しろ古い旅館だからと内心秘かに心配していたが、昨年改装したとのことで、厠はウオッシュレット、洗面所は最新式、冷蔵庫も付いているし勿論空調も完備している。心配してバスタオルを持参したがそんな必要は全くなく、全て至れり尽くせりであった。
 太宰治や伊豆に縁のある文学者の書籍を収めた小さな資料室「伊豆文庫」を覗いてみた。
 食事は「7時のニュース」の時間になったので、テレビを見やすい位置に食卓を移動した。食前酒は珍しい山葵酒、先付けは舎人貝3個、前菜、お吸い物、お造り(鮪・烏賊・ハマチ・太刀魚)、中皿、焼き魚(太刀魚)、煮物、揚げ物、酢の物、煮魚(くしろ)、味噌汁、メロン。好吃かつ飽極了である。
 風呂は別棟になっていて、昨年改築したもので真新しい。今日は泊まり客が少ないらしく、風呂には誰も入っていない。2階が男性、1階が女性となっていて、広々としていて気持ちがいい。露天風呂もある。

 朝起きて風呂に入った。今度は女性が2階で男性が1階である。晴れていれば風呂から富士山が見えるはずであるが、残念ながら見えない。
 朝食は、お粥、蟹の味噌汁、大根と烏賊の煮物、サラダ、青竹の半割に入った豆腐、お浸し、桜海老、干物。昨夜「明朝の干物は何にしますか」といって、鰺・えぼ鯛・かます・トロボッチの中から選べというので、えぼ鯛を予約した。
 玄関の脇に立派な泰山木がある。この宿は予想していたより遙かに立派で快適だった。
 昨日来た道を戻って国道1号線に入り、やがて富士川を渡った。
  ♪鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて
   今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟

 義経と怪しかった浄瑠璃姫の墓が蒲原中学校の前にあるので行ってみた。碑面には「昔、浄瑠璃姫、愛知県矢矧駅より義経を慕って東へ下る時、この地で疲れ死す」とある。沢庵和尚の歌
   世に高く吹上の松の名に立つや梢に通う沖津汐風
で知られる「吹上の六本松」と並んでいる。旧街道を走って由比まで行き、桜海老館に車を停めて由井正雪の生家を見に行った。少し雨がぱらついていたので傘をさしたが間もなく止んだ。正雪の生家は紺屋であり、現在も「正雪紺屋」の看板を掛けて商売をしている。紺屋の対門は本陣跡で、復原した本陣と東海道広重美術館が建てられていて、きれいに整備されている。敷地内の大木には蝉が何百匹もとまって賑やかに合唱している。三島大社では、声はすれども姿は見えずであったが、ここでは姿がはっきり分かる。7割がみんみん蝉で残りが油蝉である。手を伸ばしてみんみん蝉を捕まえてみたが実に大きい。「大木に蝉」とはいえ、この位たくさんいればそれ程気後れしないだろう。
   大木に蝉集まりし昼下がり
 本陣の隣の大きな屋敷には「由比」という表札がかかっていた。この町には「角サ印の花鰹」の本社がある。子供の頃よく食べたので懐かしい。
  ♪世に名も高き興津鯛 鐘の音響く清見寺
   清水に続く江尻より ゆけば程なき久能山

清見寺へ行ってみて驚いたことには、山門と伽藍の間を東海道線が走っている。句碑
   秋晴れや三保の松原一文字
があるが、現在では手前に大きな倉庫が建っていて松原は一部しか見えない。そのことを的確に叙述した山下清画伯の文章「お寺から見える海はうめたて工事であんまりきれいじゃないな。お寺の人はよその人に自分のお寺がきれいと思われるのがいいか自分のお寺から見る景色がいい方がいいかどっちだろうな」が印象的である。境内には家康手植えの梅「臥龍梅」、五百羅漢、与謝野晶子の歌碑
   龍臥して法の教を聞くほどに梅花の開く身となりにけり
等がある。
  ♪清水港の名物は お茶の香りと男伊達
   見たか聞いたかあの啖呵 粋な小政の粋な小政の旅姿

 清水次郎長の生家へ行ってみることにした。生家のある次郎長通りへ入ろうとしたら「通行止め」になっていて入れない。何事かと思って見たら、何と次郎長祭ではないか。近くの郵便局に車を停めて次郎長通りへ駆けつけてみたら、まさに清水一家が勢揃いしているところだった。一家は整列して近くにある次郎長の菩提寺「梅蔭寺」に向かって行進し始めた。行進曲はいうまでもなく「旅姿三人男」であるが、残念ながらデイックミネではない。
 次郎長の生家は間口一間半の鰻の寝床風の家で、それらしき物の数々が展示されていて、奥の方で土産物を売っている。国定忠治の孫と一緒に写っている大きな写真も飾ってあった。次郎長の戒名は「碩量軒雄山義海居士」である。
 生家を見物してから急いで梅蔭寺へ駆けつけた。ここには次郎長の墓や次郎長の銅像があり、「旅姿三人男」の歌碑や次郎長博物館もある。博物館を見学していたら外が騒がしくなったので出てみると、清水一家が勢揃いして記念撮影をしているではないか。彼等はこの日のために10日間毎晩練習をしたそうである。寺の前で「餅投げ」が始まる。「梅蔭寺の御住職いらっしゃいませんか」とスピーカーで呼びかけているが、坊主は後家とどこかにしけこんでしまったらしく出てこないので、坊主抜きで餅投げが始まった。それ程大勢ではないので拾えそうだと思ったが残念ながらキャッチボールが下手で一つも拾えなかった。それにしても、年に一度の次郎長祭の日のしかも一家が勢揃いしている時間に来合わせるとは何たる幸運!!!!!!!!
 国宝「久能寺経」がある鉄舟寺へ行ってみた。推古天皇の時代に久能山に建てられた大きな寺で久能寺といわれていたが、天正3年に現在の地に移されたという。武田氏、徳川氏によって庇護されてきたが、明治以降荒廃していたものを山岡鉄舟が再興したとのことである。宝物館には久能寺経を初め義経が五条の橋の上で吹いたと伝えられる「薄墨の笛」等が展示されているが、果たして本物かしら。館内は蚊が多くあちこち刺された。境内には鉄舟の歌碑
   晴れてよし曇りてもよし不二の山もとの姿はかはらざりけり
 遠州灘沿いに国道150号線を走って、久能山に行き1200段の石段を登って家康公の墓にお参りした。それ程気温は高くなかったが凄い汗をかいた。
 昼食抜きだったので流石に餓極了になった。何処に行こうかと迷ったが、ここまで来たからには「石橋」の鰻にしよう。ここから「石橋」までは10km程である。今日は直ぐに席に着くことができた。30分程待って出された鰻は勿論ジャポニカ種である。昼抜きでもこの鰻を食べれば十分である。