中込の学校に咲く藤の花

忘月忘日 前々から信州の海野宿へ行ってみたいと思っていた。やっと実現することになったが、生憎天気が良くない。多少迷ったが、折角だから行くことにして出発進行。中央道を走って須玉で降り、国道141号線を走る。国道141号線は俗に「ヌケサク街道」といわれ、甲州から佐久へ抜ける重要な道路である。この街道は佐久町まではここ数年毎年走っているけれど、佐久町から先は今回が初めてである。佐久には佐久町と佐久市があるのでややこしい。佐久市に着いたので先ず昼を食べようと思い、物の本に出ている「花月」へ行った。運悪くタッチの差で大口の団体が入ったために、随分待たされたが、鯉の洗い、甘煮、うろこせんべい等本場の鯉料理を味わうことができた。「花月」の鯉の洗いは山葵醤油で食べるのが珍しい。
   ヌケサクの駕篭屋は知らず鯉の味佐久の甘露煮海野よしあし
   裏庭に干さぬ蕎麦だにあるものを鯉を食ひなむ菜こそ欲しけれ
食後市内にある旧中込学校を見に行った。明治8年(1875年)に建てられた我が国最初の洋式学校で、八角形の望楼には太鼓が吊され時を告げたので「太鼓楼」と呼ばれている。その天井には世界の首都の方向が示され、山国にいても世界へ視野を広げようとしていた先人の思いが伝わって来る。旧校舎に展示されている資料の数々は興味深いものばかりだった。小雨が降っていたが、庭に咲いている大きな藤棚が素晴らしかった。
   中込の学校に咲く藤の花今百年の時を数へて
 花月で時間を取り過ぎたので、大分遅くなってしまった。海野宿へ向けて国道141号線を走って行く途中で、小諸の懐古園に寄った。急がなければと思ったけれど、「馬頭観世音」の碑を苦労して読んだりしながら結構時間をかけて園内を歩いた。いつの間にか雨は止んでいる。
 それにしても、急がなければ日が暮れてしまう。国道18号線を海野へ向かう。「海野宿」と書かれた案内に従って辿り着いた。雨はあがって薄日が射している。昔の家並みが実に見事に保存されていて、各家に屋号を書いた看板が掛けられている。一番手前にある「つるや」が特別目を引いた。海野宿の特徴である「海野格子」と「うだつ」に注目しながら町外れまで歩いてみた。
   旅篭屋の前で客引く柳かな
   この雨を恵の雨と思ひつつ海野つるやに雨宿りして
殆ど暗くなりかけていたが、折角だから望月に寄ってみようと思い、東部町から県道166号線(東部望月線)に入って望月町へ行った。人口一万人の町の役場とは思えない程立派な望月町役場に車を停めて街を歩いてみたが、暗くてよく分からない。夕食を食べる手頃な店も見当たらないので、国道142号線を走って佐久市に出て、朝来た道を戻ることにした。国道142号線は田圃の中を通っていて、蛙の大合唱を聞きながら走った。清里の辺りから濃霧が出て、こわごわとのろのろ運転をせざるを得なかった。
 須玉まで来て霧は晴れたが空腹である。当てにしていたレストランは閉まっている。どうしようと迷っている中に中央道の入口まで来てしまったが、目の前に「焼肉」の看板があったので飛び込んだ。東南アジア系の小柄なボーイがおぼつかない日本語で注文を聞いて英語でメモしていた。