西行が鳥羽上皇に仕える北面の武士であったとき、鳥羽院の后に思いを寄せていたが「この世にてもあの世にても叶わず、三世過ぎて天に花咲き地に実りし後、西方弥陀の浄土にて待つべし」という謎めいた文をもらい、逢うことができた。西行はまたの逢瀬を望むが「逢ふことを阿漕の島に引く網の度重ならば人も知りなむ」という古今六帖の歌でたしなめられ、世を儚んで出家し、西に行くべき西行が東へ下ることになる。