私撰和歌集

青丹よし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり      小野老
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして    在原業平
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし      在原業平
散ればこそいとど桜はめでたけれ浮世に何か久しかるべき     よみ人知らず
信濃なる浅間の嶽に立つけぶりをちこち人の見やはとがめぬ    在原業平
時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ   在原業平
風吹けば沖つ白波立田山夜半にや君がひとり越ゆらむ       よみ人知らず
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨はふるとも    よみ人知らず
ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは    在原業平
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は在りやなしやと   在原業平
つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふ今日とは思はざりしを  在原業平
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき        猿丸太夫
わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり      喜撰法師
袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ    紀貫之
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに  小野小町
これやこのゆくも帰るもわかれては知るも知らぬも逢坂の関    蝉丸
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ       僧正遍昭
筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる     陽成院
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ     文屋康秀
月見ればちぢに物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど   大江千里
このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに      菅原道真
いにしへの奈良の都の八重桜けふここのへに匂いぬるかな     伊勢大輔
夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ    清少納言
うらみわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ  相模
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる     後徳大寺
村雨の露も未だ干ぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮        寂蓮
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む   藤原良経
み吉野の山の秋風小夜更けてふるさと寒く衣うつなり       藤原雅経
来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ     定家
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮        定家
駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮      定家
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ澤の秋の夕暮       西行
年たけて又越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山       西行
道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ち止まりつれ     西行
盛りにはなどか若葉の今とても心ひかるる糸桜かな        西行
昨日といひ今日と暮らしてあすか川流れて早き月日なりけり    春道列樹
都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関         能因法師
吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな        源義家
年をへし糸の乱れの苦しさに衣のたてはほころびにけり      安倍貞任/源義家
遠くなり近く鳴海の浜千鳥鳴く音に潮の満干をぞ知る       暁月
そこひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波はたて      素性法師
見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ       後鳥羽院
我が心慰めかねつ更級や姥捨山に照る月を見て          よみ人知らず
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる       よみ人知らず
さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな        平忠度
行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし       平忠度
明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは       親鸞
年経れど我未だ知らぬ都鳥隅田川原に宿はあれども        太田道潅
わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端にぞ見る       太田道潅
露おかぬかたもありけり夕立の空より広き武蔵野の原       太田道潅
急がずばぬれざらましを旅人の後より晴るる野路の村雨      太田道潅
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに     石川啄木
やはらかに堤あをめる多摩川の岸辺の彼方白き富士見ゆ      山本眞一 
石と成り砂に埋もれしこの木から太古の響き今も聴こえて     山本眞一 

梓弓春まだ浅き信濃路に花より早き桜鍋かな
春浅き信濃路に咲く桜鍋月と仏と蕎麦は何処に
信濃では未だ蕾にて見しかども桜吹雪の信玄の里
甲斐路ではすもももももも花盛り桜も負けじと富士を背にして
一昨日は未だ枯れ木にて見しかども今日は芽を吹くからまつの木々
会津には未だ新芽にて見しかども青葉繁れる武蔵野の木々
年経れど我未だ知らぬ寝覚め草蘆と葦とに似るといへども
椰子繁り鯨潮吹く小笠原ムニンノボタン此処かかしこか
中込の学校に咲く藤の花今百年の時を数へて
河津にて桜を愛でし次の日は雪に降られて修善寺の梅
柚木の丘に集ひて見れば茜さす多摩の未来は輝きにけり
散策の我に眩しき陽の光野辺の花にも八重桜にも 
苔生してひこばえ揃ふこの桜幹のくぼみに猿の腰掛 
春過ぎて夏来にけらし我が庵の部屋の内外光溢れて 
風流の初めや奥の座敷から御簾を掲げて梅雨空を見る 
初なすび先づは写真に次は絵にやがて夕餉の膳に載るらむ 
国立の夕陽に映える立葵枯れる気配は更に見られず 
威嚇する一寸の虫何者ぞバッタぞなもし五分の魂 
東の空に雨雲出る見えてかへり見すれば陽が差してをり 
東に虹のかかれる空を見てかへり見すれば夕焼けの雲 
遙かなるカシュガルに咲く民の華高き誇りを後の世までも 
「旅に行け」素直に「はい」と出かければ少し早めの神の旅なり 
建物が密に建ちたる武蔵野で富士の高嶺を隙間にぞ見る 
武蔵野もビルの林となりにけり富士の高嶺を歩廊にぞ見る 
道灌が裾野まで見し富士の山今建物の隙間にぞ見る 
山本朝臣の返歌:その話同感なれど足ひきの山の裾野も拓かれしいま 
先週はまだ紅葉にて見しかども落葉散り敷く立川の郷 
この木立コロナと共に芽吹きしが落葉散れどもコロナ終らず 
少々の紅梅あれど気にもせず万歩歩いて元気白梅 
春霞富士の辺りを透かし見て多摩の横山尾根の山道 
春うらら東久留米の黒目川川の向こうに富士の嶺を見る 
花々はいつもの如く咲きにけりコロナありとて春を忘れず 
歯科に行くついでに寄りし境内に標本木の満開を見る 
咲き揃ふ花よりもなほ今はまだ流行るコロナをいかにとやせん 
我が庵は都の外れしかも多摩さくら通りと人はいふなり 
杉並の桜並木も見事なり花吹雪舞ふ善福寺川 
江戸にてははや葉桜となりしかど桑都の桜まだ盛なり 
寄東島清先生:如月の望月の日に旅立ちし白寿の母堂花の下より 
八重桜今を盛りと咲く傍で花花しくも散る椿かな 
うらうらに照れる春日に散歩すれば色とりどりの多摩の花々 
うらうらに照れる春日に咲き競ふ紅と白との花水木かな 
雨上がり西の方をば眺むれば雲隠れにし富士の山かな 
寄ドウダンツツジ:満天の星の如くに咲く花を本邦にては灯台と見る 
先週はまだつぼみにて見しかども今朝には咲きし茜百合かな 
飽き来ぬと毎朝庭を眺むれば色づく木の実秋は来にけり 
御簾掲げ眺むるものは雪ならで今朝も咲きたる白き朝顔 
久々に秋空晴れて見る限り雲一つだになきぞ嬉しき 
見渡せば花も紅葉も半ばなり裏の小径の秋の夕暮れ 
「鶯はまだか」と問はれて詠める一首:鶯はまだ卵すら見つからず落葉散り敷く山の辺の道 
楽しみは後に浅間煙立つ前にアルプス輝ける嶺 
富士は晴れ梅ほころびて春近しされどコロナで春は遠のく 
去年の今日満開で見し木蓮が今日はつぼみを見るばかりなり 
暖かさ何時まで穫れる秋野菜パプリカのみか茄子も南瓜も 
みじかびのにわさきみればきぎはかれきたかぜふきてはっぱさらさら