人名辞典
百年戦争とジャンヌ=ダルク編

参考:世界史のための人名辞典(山川出版社)


・エドワード3世(1312〜1377 在位 1327〜1377)
 14歳で即位したが、政治の実権は母とその寵臣に握られていたが3年後に実権を取り戻した。フランス国王シャルル4世が後継者となる男子を残せないまま亡くなると自分がフィリップ4世の孫であることを理由に王位を要求、やがて軍を率いてフランスへ上陸。フランドル地方の各都市の協力を取り付け戦争を起こした。

・エドワード黒太子(1330〜1376)
 エドワード3世の長子。彼の着用した甲冑の色から「黒太子」と呼ばれた。百年戦争の初期に大陸に渡り、ポワティエの戦いでジャン2世を捕虜にした。

・シャルル4世(1294〜1328 在位 1322〜1328)
 フィリップ4世の子でカペー朝最後の王となった。
 ギュイエンヌ地方をめぐってイギリス王エドワード2世と争い、エドワード2世の王妃で妹のイサベラがフランスへ逃亡してきたのを機にイギリスへ軍を派遣、反王党派と手を結んで、エドワード2世を幽閉し、後に殺害した。
 跡継ぎとなる男子を残せないまま亡くなったことが百年戦争の一因となった。

シャルル5世(1337〜1380 在位 1364〜1380)
 百年戦争中、ジャン2世がイギリス軍の捕虜となったため摂政となり、貨幣改鋳や課税強化をおこなった。そのため、ジャックリーの一揆などが起こったがこれを平定し、エドワード3世とプレティニの和約を結んだ。ジャン2世の死後国王に即位してからはイギリスに占領された領地の大部分を取り返すことに成功した。

シャルル6世(1368〜1422 在位 1380〜1422)
 シャルル5世の子で百年戦争中に11歳で即位したが4人の叔父が摂政となり悪政を行ったため各地で叛乱が頻発した。後に、親政して全盛に努めたため国内は安定したが、ブルターニュ地方に遠征したときに発狂してしまい、フランスを分裂させることになった。

シャルル7世(1403〜1461 在位 1422〜1461)
 シャルル6世の子で13歳のときに皇太子となる。が、トロワの条約に王位継承権をヘンリー5世に渡ったたため皇太子を廃立される。その後、アルマニャック派に皇太子として担ぎ出されイギリスに対抗する。一時はイギリスに包囲されかかるがジャンヌ・ダルクの出現によりイギリス軍を撃破し、ランスで戴冠式を行いシャルル7世となる。その後ブルゴーニュ派と和解しイギリスの占領地を次々と取り返し、カスティヨンの戦いでイギリス軍を破り百年戦争を終結させる。が、晩年はジャンヌ・ダルクイギリスへ売り渡した事への批難と皇太子との不仲から精神に異常をきたし、ついには毒殺されることを恐れて食事を拒み餓死してしまう。

ジャンヌ・ダルク(1412〜1431)  
 フランスの愛国的少女。イギリスの包囲の中にあったオルレアンを解放し、当時皇太子だったシャルル7世を説得し、ランスへ進撃し国王を宣言させた。その功績により彼女は貴族に列せられたがそのことが王側近たちの妬みをかうこととなった。コンピエーニュの町がブルゴーニュ派に包囲されたためその救援に向かうが、捕虜となってしまう。ブルゴーニュ派はシャルル7世に身代金を要求したがシャルル7世はこれを拒否、イギリスが身代金を払ってジャンヌの身柄を確保した。その後宗教裁判にかけられ「異端の魔女」の判決(有罪判決)が下されると5月31日にルーアンの広場で火刑に処せられた。戦争終結後民衆の要望により復権裁判が行われ無罪の判決が下された。さらには、ローマ教会がジャンヌを聖女に列しその功績を称えた。

フィリップ4世(1268〜1314 在位 1285〜1314)
 王国基本法を制定したり、婚姻・相続を通じシャンパーニュ、ナヴァルなどを併合しフランスの国家統一を強力に推進した。
 ギュイエンヌ地方をめぐってイギリスに戦争を仕掛け、ギュイエンヌ地方からイギリス軍を追い払おうとするが失敗する。戦費負担による財政難を打開するため無断で聖職者に 課税したためローマ教皇と対立、これを排除するとフランス人を教皇にした。

・フィリップ6世(1293〜1350 在位 1328〜1350)
 従弟にあたるシャルル4世が男子の跡継ぎがないまま亡くなったため王位に就いたが、そのことが英仏百年戦争を引き起こすこととなった。在位中は敗戦につぐ敗戦や国内の経済危機、頻発する飢饉、さらにはペストの流行があるなど不運に見舞われたようである。

ヘンリー4世(1367〜1413 在位 1399〜1413)
 ランカスター朝の創始者。従兄のリチャード2世の不在を利用して実権を掌握するが後にリチャード2世に追放されパリへと逃れる。翌年、イギリスに上陸し北部の大貴族と手を結びリチャード2世を破り、議会の承認を得て国王に即位する。

1998.01.15 作成


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