エ ル ・ ド ラ ド

ベルエポックの最高傑作のアンティーク・メリーゴーランド。
豊島園で現役稼働中。


子供は大抵メリーゴーランドが大好きだ。華やかな音楽ときらきら輝く世界に包まれて、その外では 両親が笑みをたたえて手を振っている・・子供時代の幸せを凝縮したようなシーン。

この私もご多分に漏れず、遊園地といえば必ずメリーゴーランドに乗り続けて早幾年。そろそろ子供時代からは 締め出しを喰らおうという年頃だったと思う。乗り込んだお馴染みのメリーゴーランドでニコニコと辺りを 見回し、そして初めて気付いたのだった。

コレハナンダ?!天井を見上げる。中央の柱、馬、馬車、手摺りの装飾を 見回す。これは子供用のおもちゃじゃない。うまく言えないけど・・・・そう、まるで、普段なら触っちゃ いけませんと叱られるような、"本物のきれいなもの"のようだ。しかも、この古び方はただ事ではない。 なんでこれがここにあるの?このメリーゴーランドは、何?

ずっと後、大人になって調べだすと、そこには驚きの華麗な歴史が秘められていたのだった。


その華麗な歴史  エルドラドの数奇な運命
ヒューゴ・ハッセ  この回転木馬を産み出した人
現在のエル・ドラド  アール・ヌーボーの粋を極めた意匠
取材秘話?!  写真を撮りに行ったとき
ムーミンパパとメリーゴーランド  作者もメリーゴーランド好きだったんでしょうね。

その華麗な歴史 
回転木馬は馬上試合に由来するスポーツの練習機が1860年頃フランスで考案され、次第に優雅に なっていったのが起源と考えられている。70年頃、イギリスのサベッジ(Frederick Savage)が蒸気機関 によって円盤を回転させ、クランクで木馬を上下させる装置のパテントを取り、制作を開始。黄金時代を 迎えたのは20世紀初頭のドイツ。その黄金期に、世界一のカルーセルを作ろうと超一流の制作者が臨んだ 作品、技術と芸術の精華と言われた回転木馬の最高傑作こそが、エル・ドラドである。

直径30m、異なる早さで回る3つのプラットホームを持ち(最大直径18.4メートル)、装飾はアールヌーボー。 木馬24、豚、ゴンドラ6、馬車4など、154名の収容能力を有し、おとぎの馬車も、それぞれ異なったテーマの もとに制作された。また、その周囲にさらに豪華なファザード(囲い)が設けられていた。頂上を羽を 広げた天使が飛び、正面入り口の柱には女神が座り、武装した戦士、騎馬で戦う騎士、竜や獅子などの 精巧な彫刻が埋めていた。

ミュンヘンのオクトーパ・フェスト(現在も名高いビール祭り)を始め各地の祭りを巡って、制作者ハッセの 名声を高めたのち、4年後の1911年ジョージ・コーネリアス・ティルユーに買い取られてアメリカに渡った。 そして彼の開設したスティプルテェイスパークに設置された。資料があまりなくてよく分からないが、 ファザードと本体はバラバラにされ、ファザードの方が一足はやくアメリカに渡り、コニーアイランドの 11番街に設置され、スティオウルテェイスのチケット売場兼宣伝塔として使われた。このファザードには パイプオルガンがついていて、またグロッケンシュピール(ドイツの特産品とも言える大がかりな仕掛け時計。 現在ミュンヘンの新市庁舎の物が有名だが、ほぼ同時期に制作されたので共通点もあったと思われる)も あったらしい。

1911年、ドリームランドの火災の後、ティルユーはエルドラド本体をスティプルの中に設置した。(写真に よると室内らしい)ファザードの方は、サーフ・アベニューの入り口に置かれ、「たる遊び」に至る通路と して使用された。しかしその場所に1923年、新しい市条例によって16番街が作られたため、移動を余儀 なくされ、その結果、3頭のライオンの象を除いて解体され、ジャンクと化した。

エルドラド本体は長くコニーアイランドにあって多くの人に愛された。その中にはルーズベルト大統領の 名もある。また、アル・カポネはカルーセルが好きで、よく子分を引き連れて遊園地で楽しんだ。その遊園地 は別の場所(シカゴのリバービューパーク)ではあるが,彼もまた、このカルーセルに乗った可能性はある。

その後、太平洋を渡って日本にやって来て、現在も豊島園で健在である。
この辺のいきさつ、どういう風に売りに出たのか、交渉はどのような人がしたのか、どのようなドラマが あったのか、どうやって運んだのか、技術者の行き来などはあったのか、設置工事の写真はないのか 今のメンテナンスを請け負っている会社はこの歴史的遺物に対してどういう考えを持っているのかetc.etc.. を知りたいのだがどうしても資料がない(;_;)豊島園に食い下がったら、親切にも説明パンフのコピーを 送ってくれたのだが、私が調べた範囲のダイジェスト版といったものしかなかった。誰か知ってたら教えて下さい。 「知ってるつもり」かなんかでやってくれたら、出てくるのかな・・

ヒューゴ・ハッセ

彼はドイツきっての鉄橋の請負人であり、建造業者であった。そして、遊戯機械の製造に乗り出し、 20世紀初頭には、ロッスラの町の人間を全て彼の仕事に従事させたといわれるほどの規模に育てた。 彼は機械の製造だけにとどまらず、8つのカーニバル(巡回チーム)を組織して全国を廻らせた。 そして当時の技術、芸術を結集させた世界一のカルーセル(回転木馬)エル・ドラドを1907に完成させた。 やがてカーニバルの王と呼ばれるようになり、「ハンブルグ・ドン」というフェアの創始者ともなった。

現在のエル・ドラド

現在、その華麗な姿をかなり留めているものの、結構傷みも激しい。昔は動いていたであろう馬の上下動 のクランクも動いていないものが多い。そして、華やかな音楽と共に回り出すと、音楽に負けないぐらいの 音量で、ぎーぎーと全体がきしむ音がする。木造建造物の減る今日この頃、こんなに木のきしむ音を聞ける 機会はそう無い。

また、ペンキはかなり剥げて、今時の新しいメリーゴーランドよりはかなり渋い色合い。当時の姿を残そう という意向なんだろうかとも思うが、木馬には結構無造作にぺかぺかの安い飾りを打ち付けて修理した跡 なんかがあって(アメリカ時代にやったのかも知れないが)その方針がよく分からない(^^;) 天井の絵は冴え冴えしているが、修復されたんだろうか?豆電球の切れている所なんかは替えて欲しい・・。

中央のかなり曇ってしまった鏡仕立てのプレートや料金表はドイツ語の当時そのまま。

照明のポールと,アールヌーボーな鏡の天井飾り、天井外側の天使と女神の絵
天井中程の風景画、電飾の周りの木彫
天井内側の天使画、電飾の周りの木彫
中央の柱。ラッパを吹く女神、フクロウ、料金表
中央の台座の装飾
椅子や馬車の脇には随所にヒューゴハッセの頭文字H.Hの装飾が見られる。
中央の座席の装飾
天使の駆る馬車
木馬と木豚(?!)

豊島園は毎年夏、かなり独創的な広告を打つのでそれも楽しみだが、99年(か、98年)の広告!!水着姿の 野村幸代が光り輝くエル・ドラドの馬にまたがっているポスターがでかでかと・・・。
「水着なんかで乗るなぁぁぁぁっ!その馬は木製なんだぁ〜っ(心の叫び)」・・・・・どういうコンセプトだか(-_-#)。 確かに目立ってたけど・・。池袋の地下通路で引き裂かれたポスターを見たときには悲しかった(T_T)。

取材秘話?!

上で使った写真を取りに行ったのは10年以上前の最初の大学生時代。(オートフォーカスのちびカメラ だったので、今見るとかなりもどかしい写り)当時、連続幼女誘拐事件が世間を騒がせていたところだったので、 平日のがら空きの遊園地で単独でカメラを構えてメリーゴーランドに張り付いているのはかなり気がひけた。 (でもこのときは自分が女でまだ良かったと思った・・・)

乗って撮った内装のアップなども1回では取りきれずに、一人で何回も何回もチケットを出して乗っては、 じーっと観察してパチリパチリ・・。3回目か4回目かにまたがら空きの入り口に行くと、チケット係の お兄さん、「メリーゴーランド、好きなんですか?」(^_^;)思わず「はいっっ。このメリー ゴーランドが大好きなんです。」するとお兄さんはにっこりしながらチケットを押し戻し、どうぞいう 身振りをして、一回ただで載せてくれたのだった。ありがとう〜〜。

ムーミンパパとメリーゴーランド

日本ではお馴染みのムーミンシリーズ(トーベ・ヤンソン)の「ムーミンパパの思い出」では、 ムーミンパパの生い立ちとその子供時代、青年時代の冒険が綴られている。

初めてメリーゴーランドの話を聞いたムーミンパパ(挿絵右)が、 機械マニア(ロマンティックで詩的なムーミンパパとは正反対の性格)の親友(挿絵左)に、それは どんなのものかと尋ねる。すると親友は「機械だよ。断面図で見ると歯車がこんな風に動くんだ・・」と 難しい図面を書き出し、ムーミンパパはすっかり頭が痛くなってしまう。

しかし、その後王様の園遊会で本物のメリーゴーランドを見たムーミンパパはすっかり感激。前に説明した じゃないかと言う親友に、「あれはこれとはぜんぜんちがっていたよ!これにはうまや、銀や、はたや、 音楽があるじゃないの!」 親友曰く、「歯車だってあるんだよ」。このちょっぴり皮肉でお茶目なやりとりは、 小さなエピソードなのに妙に私の印象に残り、お気に入りのお話だ。

ところで、この親友の名「フレドリクソン」が、イギリスで初めて回転木馬の仕組みを考案し、パテントを 取ったフレデリック・サベッジ(その華麗な歴史参照)と似ているのは 偶然なんだろうか?


HOME