読  書  日  記  '07

前回から3年もすっ飛んでますが、これは決して研修医生活で本が読めなかった、なんてことではなく、 更新を怠けただけです。今、以前の読書日記を読み返すと色々と新鮮で、この2年に読んだ本達 (マンガの方が多いですが・・)に関しても、読みたてのときの感想や気持ちを記録しておけば 良かったとも思いますが、まあ仕方ありません。(2008/1/3)

『繁殖』 仙川環:小学館文庫:533円 new
『死の川と戦う − イタイイタイ病を追って』 八田清信:偕成者文庫:880円 new
『星祭の町』 津村節子:新潮文庫:400円 new

『繁殖』仙川環:小学館文庫:533円
年末の休みに読もうかと何の気なしに手にした本。幼稚園の食中毒事件の裏に潜む謎! のような文を店頭で読んで、ふーん、たまには医療サスペンスもいいかな?と。 話はテンポ良く進み、どんどん読み進めた中盤で「・・重金属などの濃度 を測定した結果が並んでいた。」「何かの間違いではないかと思うんだ・・(略)・・先生 だって、この町でイタイイタイ病のような患者さんを見たことはないでしょう?」 という展開になり、あらら・・と↓の『死の川と戦う − イタイイタイ病を追って』を読んでそんなに間もなかったために偶然にちょっと びっくり。

登場人物はみんないい人だし、話に破綻もなく、深刻な状況が生じなかったのは いいんだけど、ラストは今ひとつ釈然としない。まあ不要な風評被害を出さず、 被害者も出さないように、秘密裏に処理しきれば、一種の解決だろうとは思うん だけど・・。もっとも、きっと世の中知らない所でそういうことは良くあるんでしょうが。

『死の川と戦う − イタイイタイ病を追って』 八田清信:偕成者文庫:880円
公害病であるイタイイタイ病のドキュメンタリー。10歳ぐらいの頃、小学校の図書館 でタイトルを見て、怖いお話かと思って借りたのが最初という数十年ぶりの本。読んで みたらお化けの話ではなかったけれど、違う意味で怖い、そしてとても興味深い本で、 夢中で読んだ記憶がある。今見ると、子供にも読んで欲しいという熱意を感じる 総ルビの分かりやすい言葉の本だが、内容は非常に詳細で深い。図や写真も多く、 当事者達の様々な表情は、報道写真の底力を感じさせる。

富山県のある地域に多発した、全身の激痛と骨折に苦しむ奇病。脈を取っただけで腕が 折れ、最後まで意識ははっきりしており、イタイイタイと泣き叫びながら死んでいく 悲惨な病。その病気に挑む地元の医師、萩野博士の苦闘が描かれる。原因はいくら調 べても分からず、何度も何度も仮説はつまづき、同業者には叩かれ、行政の壁は立ち ふさがり、風評被害を恐れる地域の住民にも敵視される。

なんて根性のある人だろうかと感心してしまうが、医師として、そして科学者としての 執念でじりじりと情報を集め、研究を進めて、「検査で見つけられていない何かが 水にある?」とカドミウム中毒を絞り込み、ついには裁判で全患者の補償を勝ち取る 過程は、迫力がある。

長さのわりに読みやすい本だが、今の小学校にはおいていないだろうか。私が骨って 一体どういうものなんだろうと最初に強く思ったきっかけの本であり、慢性中毒が 引き起こす全身状態というのものの情報に気をつけるようになったきっかけの本でも ある。今も、いろんなところで、小学生がいろんな種を暖めているんだろうなぁと、 整形外科医になった今、感慨深い一冊。

『星祭の町』 津村節子:新潮文庫:400円
両親を亡くし、祖母と東京から埼玉の小さな町に疎開した若い三姉妹の自伝的物語。 新聞の書評欄で見かけてすぐに探して読んだのは、舞台である埼玉の小さな町が、 私が以前勤めた民間病院のあるあたりで、馴染みのある地名の数々が懐かしく、 戦後のあのあたりはどんなだったのだろう、と好奇心が働いたからであるが、 小説としてもとてもよかった。

舞台は狭山、入間川のあたりでのんびりした小さな町であるが、東京からそう遠いわけ ではなく(現在同様、西武線一本で東京に通えると描写されている)、基地の町でもある。 暮らしぶりはつつましくて垢抜けないが、東京育ちの娘達から見ても、「この町の 人たちはおしなべてお茶についてはうるさく、他のものは節約してもお茶だけは 高い葉を買っている。」狭山茶所の面目躍如である。

物語は玉音放送直前の緊迫した街の雰囲気から始まり、終戦、進駐してくるアメリカ兵 に不安を募らせ、右往左往しつつも変貌していく庶民の暮らしぶりが細やかに描かれる。 熱心にお国の勤めを果たす少女であった主人公は、終戦直後から「目的を失って一人の 人間となった軍人達の、保身の浅ましさに愕然とした。戦に敗れるということはこうい うことか」と思い知らされる。

豊岡陸軍航空士官学校は「陸軍ジョンソン飛行基地」となり(私が勤めていた病院は、 この基地跡の公園のすぐ横だった)、米兵達のショッピングの需要に応えるべく、 そして気晴らしを提供することで兵隊による他の被害を未然に防ぐべく、役場の指導で 主人公の叔父の呉服店がみやげ物屋「イルマガワ スーベニア ショップ」として開店し、 新たな交流が生まれていく。優しそうな家族の写真を見せられて、相手もまた人である ことを再確認したり、圧倒的な豊かさを見せ付けられて打ちのめされつつも、文盲の 若い兵隊がいることに驚いたり、美しい衣装をまとって、日本人より一階級上 の人間になったかのように振舞う娼婦達に憤慨したり。その中で姉妹は男手のない よそ者一家の立場でそれぞれの生活を何とかやりくりし、自分達の進路を考えていく。

その激動の流れの中で、戦時中とは違う客観的かつ実用的に必要な情報をリアルタイムに 提供し、市民達を生き生きと引張っていく「埼玉新聞」の存在感もなかなかのものである。 現在は県内でも大抵の家は大手の新聞を取っていて、埼玉新聞だけを取っているという 家は少ないように思うが、作中に登場する新聞はもっぱら埼玉新聞だけで、基地や進駐軍 の周囲にも身軽な記者が良く出没している。戦時中の国家に厳重にコントロールされた 状態から解き放たれたマスコミが元気いっぱい活躍している若々しさがある。

また、作中に主人公が戦時中から文部省科学研究補助技術員として勤めている、音響の研究が 専門の小林理学研究所での様子が登場する。もちろん当時は軍用の研究開発をしては いるのだが、緑に囲まれた静かな研究所で、主人公がロッシェル塩(水中聴音器に使った らしい)を測ったり、穏やかな研究員や学生達と交流する様子はまた違う時間が流れて いるようで興味深かったが、この研究所は国分寺に実在し、この小説が小林研究所の歴史 的資料としても非常に興味深く、貴重であると 自社のHPで紹介していた。

洋裁の学校に通い、店を開いて戦後の厚生服(縫い直して別の服にするもの)から、基地の奥さん 達のドレスを縫ったりする様子は時代の描写としてもとても興味深かったが、我流ながら 洋裁好きな私には、一つ一つがとても楽しいエピソードだった。

途中に挟まれる淡い恋の物語と盛大な七夕祭りの様子は、戦後で物が無く、決して贅沢では ないのだが、映画のシーンのように情感がある。 私が勤めていた病院の裏手が「七夕通り」で、古ぼけたスタイルの地味な商店街になぜそんな 名前がついているのか不思議に思っていたのだが、関東の三大七夕祭り(湘南、茂原、狭山) といわれる由緒ある古い祭りの町であったとは、この本を読むまで知らなかった。そういえば 今日は祭りらしいよ、という日も当直で救急車の受け入れとかやってたしなぁ・・

物語の最後、学習院短大の設立を知り、もう一度勉強したいという気持ちを抑えかねて 受験をするくだりは、苦しく、ままならない時代だったからこその、勉強させてやりたいと いう教師達の思いと、勉強したいと一心に願う若い娘との交流が、印象的だ。
卒業証明書を取りにいった時の旧制女学校の恩師は「あなたたちの学年、大変だったものね」 と目をうるませ、大学受験に必要な新制高校の卒業認定試験は学習院が自ら行ってくれた。 たったひとりの受験生のために、寒い二月の休日に三人もの教授がやって来て、 温かくストーブをたき、終了後には、入学試験の受験資格を得たことを知らせるとともに 「合格して、しっかり勉強してください」とコートを着せかけてくれる。読んでいる こっちも胸が温かくなる忘れられないシーンだった。


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