受験前後



後日談
志望校選定まで

後日談
お世話になった方々やサイトに合格の報告をすると、次から次へと祝福のお言葉、電話、手紙、メールが 雨あられと降り注ぎました。沢山の人の暖かい気持ちに触れることができ、本当に嬉しかったです。 ありがとうございました。

ほんの数年前までは再受験のようなアウトローは情報も少なく、孤独な局地戦をするしかなかったわけ ですが、文明の利器はすごい。たくさんのサイトで全国の様々な境遇、年齢の再受験を志す人達が互いに 情報をやり取りし、声を掛け合いながらお互いを支えている様子は、新しい時代の流れを目の当たりに するようでとても面白く刺激的でした。 ここのところ(='98〜'99)何かと犯罪がらみのニュースが 多かったインターネットですが、こういった、先端技術が人の情熱と温もりを活かすのに貢献している いう素敵な例に出会えたのは幸運でした。

翌日、駿台のお茶の水校舎で市ヶ谷校の合格祝賀会というのがあったので報告がてら行ってみました。何より いつも笑顔で気遣ってくれた教務の人の喜ぶ顔を見たかったのです。まだ後期試験前で、また連絡が十分に 行き渡らなかったため、40〜50人程しかいませんでしたが、皆とても晴れやかな顔で数ヶ月前とえらい 違いだと思いました。

保育園からの連絡を取り次いでもらったり、進路相談をしたり何かと声をかけてくれた教務のお姉さん達 (多分みんな年下)が、あっ!仲津留さん、受かったの?医科歯科?わぁーよかった、よかった!と みんなで喜んでくれました。教務のお姉さんにしてみると、私は生徒の一人であると同時に、自分たちの まだ経験していない年齢の女性でもあったのでしょうが「頑張れば何でも出来るんだなあって私も頑張ろう って思いました」なんてかわいく輝く笑顔で言われると、こっちは生徒のような、先生のような ややこしい気分の嬉しさでした。

志望校選定まで

医学部に行こう。で、どこへ行けばいいのかな?受験勉強を始めるちょっと前の夏ごろに考えた。 予算、家人の職場、子供達の生活=実家に近いところ、という絶対はずせない条件を考えると、東京か、 その近辺の国立大学しかない。理想的なのは自転車でも行ける埼玉大だったが、埼玉大には医学部がない。

引っ越さずにその条件を満たせるのというと、東京医科歯科大学。う〜ん、敷居が高い。確かかなり難関校 だったような?それでなくても医学部って難しいらしいし(まだあまり調べてなかった)できるかなぁ・・。 悩む私。「単科大学だし、数学とか専門の教授とかいないからかえって素直な問題なんじゃない?大丈夫だろっ。」 と家人。「そ、そうかな〜」と思わずのる私。「まあ、近いと言う点では東大は更に一駅近いよっ」 「・・\(-_-;)そりゃ、近いとか遠いとかの問題じゃないでしょう」

本当にどうしても他を考えるなら、と他に考えたのは群馬と横浜市立。群馬は医科歯科よりは可能性が ありそうで一時は結構考えた。家人は新幹線通勤をする!と言ってくれたけど、あんまり申し訳なくて どうも気が進まずじまい。だた、学士入学生度が始まったときはすぐに問い合わせ、資料が出来るまでにも何度も 大学に電話したりして調べた。結局1年から少しずつ入っている専門などをフォローするため、入学直後 から休日(夏、冬休みも)返上、毎日夜までの生活を初めから覚悟するようにと言われたので、生物を 学んでいないし、子供達のこともあるのでそれはきっぱりやめた。

横浜市立は横浜方面に引っ越せば、とは思ったものの、レベルは似たりよったりだし、2次の問題の出題 形式が自分に向いている医科歯科の方が、自分とっては有利だろうと思えたので、乗り気にはなれずじまい。

学校自体はどこでも良かった私にとって、どうしても気が進まないと言うのは結局引っ越しのことだった。 大人は別にどこに引っ越そうがいいんだけど、子供達を引っ越させるというのが私には非常に心理的負担が 大きかった。実家に近いだけでなく、今行っている保育園がとても大当たりのいい所で、いい保育園に 巡り会うというのは本当にかけがえのないことなのだ。引っ越し先でまた良い出会いがあるという可能性も あるものの、そうでないことも多い。私なんかの再受験だの再挑戦だのと違って、幼児期はやり直しはきかない。 という優先順位が私の中には確固としてあったのだが、結局それでずるずる受験をしくじって家族に負担かけ ただけで終わったら、と思うと、どう動くのが一番良いのか、とても頭が痛かった。

といいつつも結局、「もうなんでか自分はそこに行くような気がしてしまうという、何の根拠もない 脳天気な予感」で押し切った形になりました。


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