浪  人  記  '98年度

反省&計画再編  本格予備校生への転身。
駿台予備校に入る  入学申し込み。保護者って・・・。
駿台学力テスト  クラス分けのための試験。
教材配布  成績順のクラスが分かる。
初めの一週間/生活  いよいよ開講。なのに薬漬けの日々。
授業開始  予備校の授業ってほんとに詰まってて楽しいです
駿台市ヶ谷校舎  駿台市ヶ谷校舎の紹介
亀ヶ丘八幡神社  駿台市ヶ谷校舎のお隣
市ヶ谷校舎の生徒  医系コースに通う人々
模試会場の建物ウオッチング  建物観察って好き。
おたふく  ダブル攻撃は効きました。
前期終了/夏期講習  なんとか前期無事終了,そして夏。
後期初日の吉兆  謎の鳥さんと私。
後期で初めての先生  中でも印象深かった大御所先生。
大ぼけ  人にはしつこく言ってた事なのに。
秋も深まり  なんだ坂こんだ坂・・
終講  ついに授業終了。
壮行会  駿台市ヶ谷校のほのぼの壮行会。
'99センター本番  2年連続難化、大荒れ。
'99出願  出願の出足は遅い。受験生の母の観察。
'99本番  ふたを開ければ史上最高倍率!。
侵入者  発表前の椿事
'99発表  あっ!。


浪  人  記  '98年度


反省&計画再編

家で出来るなんていうのが過信だったんだ。ちゃんと夏期講習とか予備校の授業も使おう。 生活は成り立っているし、学費ぐらいの貯金はあるのだ。でも。 そうだ添削は辞めて、他の仕事でお金を稼いで、後半はそれで講習行くなりなんなりしてやろう。 家のそばのモスバーガーで保育園の時間いっぱい数ヶ月働くってのはどうだろうか。 そんな計画でうろうろと活動していたのを見た家人が再びきっぱりと言った。
何で今稼ぐのか?お金は今稼ぐべきなのか?お金なら後でいつでも返せるのに?

駿台予備校に入る

私は一晩考えた。筋違いな遠慮ってのは、結局保身なんだな。 利用可能な条件を最大に活かすのが運命への礼儀ってもんだと誰かが言ってた。

翌日の昼、職場でお昼休み中であろう家人の携帯電話に電話をかけた。 もう一年,しっかり予備校に入って出来るだけやりたい。お願いします。前年に受けた模試の成績で、 どのコースの入学許可ももらっていたし、ダイレクトメールでパンフレットも送られていたので、 コースの確認や申し込み手順は分かっていた。

「うん、それなら医系スーパーコースがいいよ。市ヶ谷校舎で。今聞いてたんだけど。」
家人はなんと駿台お茶の水本校にいた。びっくり。

3月13日、駿台に入学申し込みに行く。
12年前は駿台の学費納入は現金のみで札束持って行った。これは生徒にこんなに学費使うんだから ね〜とプレッシャーを与えるためかと思っていたが、今は振り込みも出来るようになっていた。 入学申込書は保護者のサインがいるので2度手間を省くには一緒に来るのがいいのだが 大体は一人で来ていた。でも時々保護者同伴の子もいた。 私の前の机にいた男の子のお母さんは、ほらほらここに書くのよ、このペンを使ってごらん。 そうそっちはそうね、大丈夫?分かる?とべったりうるさくて結構怖いものがあった。

申し込み用紙に駿台に在籍したことのある人は在学したコースを書く、という欄があった。 私立理系2類だけど・・・そんなのもう無いし。試しに書いてみると係のお姉さんは「私理2??」と 悩んでいた。「それ10年ぐらい前のコースなんですけど」というと納得していた。 保護者の欄は「これは、配偶者でいいんですかね〜?」と聞くと、成績表や連絡を送る先と いうことなので本人でもいいし、それでもいいですよと笑っていた。

駿台学力テスト

4月1日/学力テスト。いきなり電車が踏切事故で遅れまくり、遅刻。市ヶ谷の坂を駆け上がると 大変良い運動になることが分かった。遅延組は沢山いて、午後に1時限目の試験を受けた。 保護者のサインがいる入学申し込み時は分かるとして、この試験にも母親同伴の、しかも男の子が いるのに驚く。上京して浪人する人達はまだ引っ越していないことが多いらしく、大荷物の旅行組も 結構いたので、付き添ってきたついでに見に来たんだろうか。しかし、もういい年なんだから 旅行も試験も一人でさせとけばいいのに。もっとも、理屈ぬきで心配で思わずまとわりついてくる母を いたわって仕方なく連れてきてる孝行息子なのかも知れない。

マークシートの数・英・国。いつもながら数学が苦しかった。大学の専門は数学で,数学の教員免許を 持っているというのに!!そしていつも安定して点を稼ぐのは必ず国語。国語は問題の文章を読むのも 楽しい。文章そのものを堪能して感動してしまうこともしばしば。問題を開くと、今度はどんな文章 だろう!とテストというのとは関係なく期待が踊ってしまう。

教材配布

4月9日/教材配布。テストの成績順で番号が付き、クラス分けがされている。200人ごとのクラス A〜DのCだった。とりあえずそれぐらいで良かったと思った。12年前は思いっきり校内テスト番号も 席順も成績順で誰が一番か丸分かりだったけど、今ではクラス編成は成績順だが、クラス内の番号は音順に してあって、誰が首席とかビリとか分からなくなっていた。ちょっと配慮したらしい。

久々に駿台手帳を眺める。以前あった「うるさいので下駄禁止」とかいう規則が無くなっていた。その当時 でも下駄の人なぞいなかったが・・・。副教材は2冊しか買ってないのに重いの何の!昔より数も多いし 大判になっている。家で計ったら5.4キロだった。CDが付いてるところも時代だわーと思った。

初めの一週間/生活

開講前の一週間は立て続けに風邪を引いた子供達の看病に追われた。そして前日は自分が高熱を出していた。 一週間上がったり下がったりの熱をばんばん薬で抑え続けた。そのため耳が痛くなって手が痺れた。
帰り保育園に直行し,ご飯だ、風呂だ、洗濯物だ、歯磨きだ、お布団だとぱたぱたしていたが この手の労働の楽しいところは、話したり、歌ったり、顔を見合わせたりしながら出来るところ。 体は妙にきついが、ごますり、材料混ぜなど子供仕事を毎日作って、楽しくご飯を作る。

ただ、全身が動いているので一気に熱が上がる。じっくり予習復習の余裕はないが、風邪が治れば エンジンかかるだろうと思うことにする。しかしそのうち、あまりにしつこい頭痛と歯痛と熱に 変だと思い始める。歯医者で親不知を見てもらったが異常なし。ふと気付いて頬を押してみると圧痛が。 かかりつけ医の所で、かくかくしかじか頬に圧痛がある。前、急性副鼻腔炎やったんだけど と言うと、すぐさまするすると鼻に細いファイバースコープを入れて診てくれた。腫れ上がっていて 私の頭蓋骨の中では細菌の局地戦が行われていることが分かって薬が出た。一気に軽快。やれやれ。

授業開始

12年前も思ったが、予備校の授業というのはすごく面白い。受験用と言うよりは学問の喜びって感じ。 昔から先生の雑談って大好きで、そこから触発されたものってすごく大きいのだが、これがまた実に 豊かな色んな分野の話が聞き放題で、は〜幸せ。

一番始めの授業は英語。小柄で元気な女の先生が,自分の専門の元禄歌舞伎の話をしてくれたのが とっても面白かった。そして発音がすごく美しくて聞き惚れた。(この船岡先生はのちに私と高校が 同じであることが分かった。話の内容から歳もかなり近いと思われるのだが決め手がなかった。帰 ってから卒業アルバムまで見ちゃいましたよ。それから授業の度に、はぁ〜いくつも違わない同窓生が こんなに立派になって・・と感慨深かった)

数学はどの先生も極めてるーという感じでばしばし明解。ことあるごとに「これは大学で数学やって る人は分かるけど」「大学で○○を習えばすぐ証明できるけどねー」と言われるので、その都度 (ひえ〜〜出来ませえ〜ん。)と心の声で答えた。

また別の授業中、誰かの携帯が鳴ってしまい、焦ったのかなかなか止まらなかった。板書していた ヒゲに白髪の長髪の物理の山本先生は振り返ってじっと固まっていたので、注意するのかと思ったら 「世の中変わったよねえ・・。信じらんないよ・・ホントに・・」としみじみ感動していた。この感慨は 今時の若造には分かるまい。と、私は内心うんうんと深く頷いて同意した。

駿台市ヶ谷校舎

市ヶ谷校舎は今年で20年目の医系志望コースのみの校舎で、大通りから入った奥まったところから いきなりもの凄く坂になってさらに長い階段(エスカレーター)を登ったてっぺんという高台にある。 隣は亀ヶ丘八幡という古い立派な神社。他の校舎とは全く違う,銅葺きの屋根と同色のスレート瓦、 立派な煉瓦タイルの外壁、広い階段とロビーという造りといい、敷地が門の付いた鉄柵のみで神社と 区切られているところといい、どうもこれは神社付きの結婚式場だったのではと思われる。 (今度調べて見るつもり)実は12年前もここに来たことが一度だけある。狭くて汚いお茶の水の 東校舎に通っていた私は、模試でここに来てあんまりきれいなんでびっくり仰天,これで同じ学費? ひどーい。医系の校舎だからって〜などと思ったものだ。

初日の電車事故の遅刻でその坂と階段をダッシュで上ってえらい目にあったが、帰ってから、「何でまた ああも高台になってるかね〜」とこぼしていたら、家人が「まあ基地って大概一番高い所に作るもんだよ ね。」そう、そういえば裏の広大な敷地は自衛隊市ヶ谷駐屯地であった。

亀ヶ丘八幡神社

駿台市ヶ谷校のお隣は上でも紹介したが、こじんまりとしてはいるが古い立派な神社。建物も境内も、 常に美しく手入れが行き届き、時節ごとの祭りも荘厳に執り行われ、立派に神社として生きている。 駿台で授業をしているとよく、どおん、どおん、と大きな太鼓を叩く音がしたり、境内に散歩に来て いる幼稚園児の鈴を振るような声が聞こえて風情があった。(授業中その音や声についてコメントした のは英語の大島先生のみだったが)駿台の2階の廊下から境内が見下ろせる。秋に、白いレースに くるまれた赤ん坊連れの親子がお宮参りに来ていて、木漏れ日の中で神主さんと話している光景は絵の ような光景だった。湿った土の茶、秋の日射しの金、壁の白、柱の朱、銅葺きの屋根の緑青色、神主の袴の 水色・・。

ただし、隣接の建物に千人以上もいる駿台生は境内に一切出入り禁止である。(お参りする分にはいいのだろうけど) この美しい境内を、喧噪と人混みとたばことゴミで埋め尽くすであろう事は容易に察せられるので、 まあ致し方ないと思う。立て看板だけでは効果無しなので、長い石段にも境内にも警備員のおじさんが しっかり見張っている。

もっとも私は警備員さんに(なぜか!)浪人生と見えたことはないらしく、フリーに入れた。午前中に PHSに連絡が入り、家人と境内で待ち合わせて一緒にお弁当を食べたりした。境内にはサラリーマンの 昼休みといった風情のお兄さんやおじさん、数人でお弁当を食べるOLさんがぱらぱらといた。見ていると お賽銭を上げてお参りする会社員風の人が結構いる、というのも発見だった。通ったついでに、という感じの 人もいれば、まっすぐやってきてお賽銭を投げ入れ、熱心に手を合わせる3人のOLさん(恋のお願い?)。 至極さりげない形で根付いている、日本の都会の宗教観を見た気がして境内ウオッチングは興味深かった。

そういえば、12年前の浪人のとき、通っていたお茶の水での駿台は、道を挟んでニコライ堂のお向かい だった。ビザンチン建築なるものは初めて見たので、すごく興味深くて、のこのこ見学に行ったりしたも のだ。とても古く、重厚で美しい建物だった。説明の看板に”日本最古のビザンチン建築”とあったので 興奮しながら家に帰り、母に、「すごい綺麗な教会があって、それは日本最古のビザンチン建築なんだって!」 と報告した。それに答えて曰く「日本に他にビザンチン建築なんてないから自動的に最古なんじゃないのぉ?」 (そ、そーいうことじゃなくって・・・)

いろんな宗教建築とお隣になれるのもまた日本らしいというべきか。

市ヶ谷校舎の生徒

医系というのは他の理系と違って女子が多い。4割ぐらいは女性でこれが共学の雰囲気ってやつかしらと ちょっと楽しい。おしゃれ度だってなかなかのもので華やか。おまけに今年は下着のようなスリップドレス が流行なので,下着にカーディガンを羽織った昔の身体測定の光景を思い出すような姿の娘さんがうじゃ うじゃで,スタイルもブラの性能もアップしているのでいっそういい眺め。スリップじゃない人はジーパン にシャツというスタイルが多い。普段はスカートもはくけどーここに来るときは面倒でね。と言ってるのを 小耳に挟んだ。

男の子はまあ色々な人がいるがやはり物理とか数学とか工学とかよりは全体のトーンは 明るめな気もする。また、この校舎は性質上多浪生が多い。再受験もいるのでちらほら年喰った人もいる (私か)。当然の事ながら喫煙所はモウモウであるが校舎内は禁煙なので別に困らない。 市ヶ谷校がいいと強く勧めた家人が言うには「優秀な人が回りにいた方が刺激になるし、市ヶ谷は年寄り 多いから肩身が狭くないし」(おいおい)私が即座に「大丈夫だよ18歳に見えるから」というと 「っそれは・・・」と絶句。冗談だってば。

ある日廊下に大きな段ボール箱が詰まれ、何かと思えば「カップ焼きそば極盛りにんにく風味」試供品が 配られた。他の日には、栄養補給のチョコ菓子を試供品としてもらった。 この先インスタント焼きそばや栄養補給菓子の有望な購買層という事なのね。確かに。美味しかった。

模試会場の建物ウオッチング

5月/中央大学理工学部後楽園キャンパス。理工学部とは言っても大きな木がいっぱいあって割と広く、 雨上がりのむっとした天気だったので木と草と湿った土とカブトムシのような匂いがして、門も新しい けどちょっとゴシック風のデザインだったのでなかなかいい雰囲気だった。昼休みそこでUAのミルク ティーをすごくきれいに口笛で吹いてる人がいて思わず聞き惚れた。

昼にご飯を食べに出てこの理工学部の隣に人気のない広い東京都戦没者霊園という公園のようなものが あるのに気付いた。門が開いてたので入ってみるとほんとにだーれもいなかった。振り返るといっぱい 人の歩いている道路が見えて別世界だった。お墓や碑があるのかと思ったら遺族集会に使うような建物 とだだっ広いコンクリートの広場が寒々と広がっていた。片隅にぴかぴかの小さい記念館のようなもの があったので入ってみるとそこも会議室と、展示室だけだった。しかしその展示室は遺品がぎっしりで、 千人針とか、かぶと、弾痕のある水筒、ソ連の収容所で全滅した子供の小さな服とか戦地からのハガキ とかそういうものがずらりとあって、端から見ていくとすっかり悲しくなってしまって、ため息付いて とぼとぼと午後の試験に向かった。

6月/芝浦工大芝浦キャンパス。工大って感じで工場っぽくて、風情はない。案内板を見ると機械好き にはパラダイスなんだろうなあと思われるいろーんな部屋があった。まるで男子校のような雰囲気だっ たが女子学生はどれぐらいいるんだろう。

おたふく

長女、一週おいて長男,お多福風邪になって、他にも発熱したりで合計半月ぐらい登校できなかった。 まだ教材がもの凄く難しいわけではないのでせっせとノートをコピーして挽回すれば何とかなった。 まあ男の子は大人になっておたふくやるとやっかいだから軽くすんでよかった。
ノートを借りた前の席の女の子に、「先週まるまる休んじゃったから〜」「何で?」 「いや子供がおたふくで」というと大変驚いていた。そしてすごく若く見えると言われました。ふふ。

前期終了/夏期講習

最後の3週間は休まず通えてとても嬉しかった。3つだけとった夏期講習。 未だかつてこんなに濃厚に受けた講習があるだろうか、いや無い(反語)。って感じ。12年前だって それなりに努力はしたはずだが,当時と今では講習を受けられる環境への感謝も、とにかく教材を 隅々まで吸収したいとという気合いも、払った学費の重みも、元はがっちり取らなきゃと言う切迫感も 全然違う。

前期の成績発表。前期の私には密かな野望があった。あわよくば前期総合成績の200番以内に入り、A組に入 って、東大理3だの京大だのに行くような人を身近に観察してみましょう。わくわく。でも、ちょーっと それは無理そうかしらん、という始まりから追い上げたものの・・・ま、そう世間は甘くないさと前期を終 え成績発表。ところが、がーん。あと「2点」で200番内に。あー練習のためと点の取れない政経を しつこく受けずに倫理で点を稼げばよかった、とか全くもって本末転倒な考えが一瞬よぎってしまうのが 点取り競争の魔力ってやつですね。いかんいかん。

後期初日の吉兆

市ヶ谷の駅前のお堀に時々来ている鵜のような黒い水鳥。妙に細身で、しかも水面から殆ど首しか出て いなくて、沈んだように泳ぐので、何か怪しく珍しい佇まいで春からずっとマークしていた。今では通りす がりにお堀の水紋を一瞥しただけで、視界にその鳥が写らなくても「ん、今日は奴がいるな」と分かるよう になってしまった。とにかく潜る時間がやけに長い。すぽっと頭から潜って淀んだ水中に完全に姿を消し、 獲物が捕れないときは必ずきっちり20秒後(いつも数えてる私・・)とんでもなく離れた場所に顔を出す。 それが後期の始めの日の朝、久々に彼の狩りを見ながら橋を渡っていると、8秒でぽっと出てきたので あれ?っと思って見るとキラッとくちばしに魚が!半年目にして初めて狩りの成功を見られた〜! おめでとうー!謎の鳥さん!さあ私も頑張りましょう。

後期で初めての先生

後期にクラスが変わっていくつかの授業で先生が変わったが、何と言っても最も印象深かったのはこの業界 では著名な、大御所の物理の坂間先生だった。スーツに白衣。白いザンバラ髪。物理の概念自体に迫る授業。 でも問題を受験向けにこつこつ綺麗に解いてみせるというのとはちょっと違うので、予習が完全に出来る ぐらいじゃないと至難。何と200人の教室にいつも35人ぐらいしか出席してない!ビジネスでもある 予備校でこういう状態でずっと続く先生はまずいない。大学の教室みたい・・と思って面白いので良く 一番前に座ったが、その手つきはなに?髪はとかすのか?何でピンクのスリッパ?たとえの絵がかわいい・・ と、全然関係ないことに神経が集中してしまって困った(^^;)。

更にご老体なのにまっ黄色のポルシェで通勤している。校舎の真ん前にまっ黄色が止まっていると、 あ、今日は坂間先生の日だな、とすぐ分かる。一度乗る所を観察しようとお昼にロビーで張っていたら、 意外にもびしっとおしゃれなブレザーに身を包んで白髪をなびかせた先生がやせこけた風体で現れ、 がちゃりと乗り込んで、ぶぉーんと去っていった。「バック・トゥー・ザ・フューチャー」を思い出した。

大ぼけ

全国判定模試という模試を終え、自己採点していて気付いた。久しぶりの記述式試験だったので、 すっかり忘れていた。物理の答えに「単位」を一つも付けてない!つまり”もれなく”減点。答えは一つ 除いて全て合っていたのに。去年まで、Z会の添削をしながら、私は何百人の生徒に「単位を付け忘れるな」 と赤を入れたことだろう。それなのに、ああ・・・大ぼけ。ともあれこれを思い出したのは大変収穫だった。

最近は問題用紙を前にし、これが本番!(のつもり)と思うと、ぞくぞくと怖くなる事が良くある。

秋も深まり

ほぼ毎週末、模試の嵐。模試がないときは保育園行事や会議。朝早くから全科目6時過ぎまでぶっ続けが続く とへろへろなるものの、毎週末を子供達と楽しくすごしてくれる家人あってこそ!で帰るとにこにこ顔にへろ へろも忘れそう。時にはみんなでドライブして来て、夕暮れにへな〜とした集団がぞろぞろわいて出ている 試験会場の門のとこで、ママ〜♪(^^)/(^^)/(^^)/と叫ぶ不思議な出迎え部隊になっていてくれたりする。

医学部の定員削減が加速度的に実現しだして、春には予定に入っていなかった医科歯科の定員も削減。 さらに学士入学制度導入が急速に広がりだしたため、普通入試からの学士は絞られるんじゃないかという 情報が飛び交い、再受験者の集う掲示板では「首都圏の医学部は東大理1や理2に入れる頭じゃないと 狙っても無駄だから地方に行くように」といった意見を巡ってもめていた。というわけでこれはいわゆる 背後に水がごーごー流れている状態ってやつですね。 もうとにかく成績を取るしかないしぃ〜とそれを闘志の糧にしています。

終講

12月8日をもってついに終講。(後は冬期講習と年明け講座のみ)ほんとに実に実に面白い授業が一杯で、 それだけで大変な喜びだったが、それだけで終わらせる訳にもいかないのでこれからが正念場。この一週間、 各時間ごとに、あの先生は最後にどんな話をするんだろうとわくわくした生徒がひしめき、授業終了と共に 拍手がわき起こるという場面が沢山あった。そこら中にカメラで撮りあったり、サイン帳のカードを交換して たりするキャピキャピした女の子が一杯で、あっかるーい。講師達もよく言ってたけど、わずか10年前でも、 今とでは浪人生って見かけも行動も随分違う。とつくづく観察してしまった8ヶ月でした。

謎の黒い鳥だけが泳いでいた市ヶ谷のお堀にも、いまはたくさんの鴨がやってきて、くるくると泳ぎ回って、 季節の移り変わりを感じます。ところで今日は最後の模試も帰ってきたが、全科合計で偏差値69でも、 まだまだ医科歯科はC判定。横浜市立はB。後期の総合成績の席次も発表。140番,やったー余裕でA組 だー。・・・ってもう終わりだし。あとは結果のみ。ぶるぶる。

壮行会

終講後、一階ロビーで壮行会があった。私は別に歌とか歌わされて、エイエイオー!とかしてもなあ、って 感じで特に出るつもりはなかったが、先生のお話が面白そうだったのでロビーに降りてみた。人が一杯の ロビーの片隅の小さな壇上で、最初に施設長が暖かく簡潔な挨拶と激励の言葉を述べると、次の挨拶は青い 見慣れたつなぎを来た年輩のおじさんだった。「あっ!おじさんだ!おじさんだ!」という嬉しそうな ざわめきが広がる。いつも毎時間黙々と黒板を綺麗に消してくれる清掃担当のおじさんの一人だった。 おじさんはちょっと困ったように照れながらみんなは一年こんなに頑張ったんだから大丈夫、というような 事を言い、盛んな拍手が起きた。次にエプロンの制服の女性が壇上に上がった。「食堂のおばちゃんだ!」 という嬉しそうな声が挙がる。彼女の「私そんなに皆さんと歳は変わらないと思うんですけど、いつも おばちゃんと呼ばれて、えって感じだったんですけど・・(^^#)頑張って下さい」という言葉に笑いが広がる。

次の講師の話は、よく眠って体に気をつけてと良く言うけど、風邪ひくときゃひくし、熱があったら起き抜け から、起きて3時間後と同じぐらいに血の巡りがいいので大丈夫。眠れなくても徹夜の麻雀の後の朝は妙に 頭が冴え冴えして勘が当たることがあるので大丈夫。というもの。その次の講師の話は自分が努力したら あとは他人のじゃまをする。教室で奇行を演じ周りをびびらせるのも手だ。でも試験官に連れ出されても 知らない。という物だった。教務の人達は皆(^^;)←こういう顔

各クラスの担任から挨拶。謎の腹話術芸、年明けからずっと睡眠3時間で作りましたという本格的な応援 の歌の披露。(かっこいい伴奏が作ってテープに入れてあった。バンドをやっていたらしい) とってもほのぼのと楽しい壮行会だった。

'99センター試験

今年の会場は板橋の都立北園高校。「げた箱」や40人の教室なんて久しぶりで新鮮。 解きながら去年難化したから今年は易化という予想を覆しそうな気はしたが、翌日ふたを開けてみると やはり今年は軒並み平均点ガタ落ちの大荒れだった。私もその流れにきっちり沿って大荒れの国語と英語で 失点したものの、(医学部を受けるにあたって)余裕は全〜然無いが、去年よりはずっとマシ・・と いったとこだった。さて2次やいかに。

それはともかく現代国語の問題の山田詠美は素晴らしかった!。う〜ん、すごい。これぞ書くために生まれてきた人 だなぁぁ〜とため息つきつつ、試験中でありながらもぞくぞく・にこにこしてしまうのを止められない 状態でした。(でもこの設問がくせ者だった)後日その話をすると「え?山田詠美?受験生にエッチな話?」 という人もいたが、そうじゃありません。主人公は小学生。登場人物は先生と親と級友。ぜひぜひ1月18日の 朝刊をひっくり返してみてみましょう。(出典「眠れる分度器」)

'99出願

点が取れなかったため出願の出足が遅く新聞で発表された中間報告ではとても倍率が低い。後半伸びるのだろう。 3浪以上に必要な健康診断書を安くとろうと保健所に問い合わせてみたら月一回しかやって無くて間に合わないので、 近所の病院に行くことにしたが、火がついたインフルエンザの流行のせいで、待合室はウイルスと菌にまみれた 人がごったがえしていてとても怖い。大枚はたいて予防注射をしておいて良かったかも。少し離れた他の病院は 何故か空いていて助かった。そこは建物は立派で看護婦さんは優しくて、先生は穏やかな人なのに何でいつも 空いてるんだろう??

この時期郵便局に行くと大学の出願封筒を持っている人がよくいる。朝一の空いた小さな郵便局という場に も、一人のおばさんが封筒を持って(受験料の)為替などを買っていた。(んなこと、本人にやれせとけば いいのにー。でも風邪でもひいたのかも)等と思っていると、受験生本人の息子もそこにいた。 「じゃ、切手買ってきてやるからねっ」と窓口に走る母。「金額分かってんのかよ〜」と両手をだらりと下 げて突っ立っている息子。指定の場所に「ここに並べるのよっ」と言いながら切手を貼る母。眺める息子。 額をつきあわせて書類のチェックをし、封をするところで、「全部あるわねっ」と母。「なんだよぉ〜 チェックしろっていっただろぉ」とニコニコしながら甘えた声を出す息子。「書留でお願いしますっ」と 再度窓口に走る母。
私は心の中で叫びましたね。「自分でやれぇぇぇぇ!!」

前期/東京医科歯科大学、後期/群馬大学、それから私立は慶応大学医学部。 私立に行くお金なぞあるわけはなく、全く考えていなかった私ですが、慶応は最も安く(でも一千万以上 かかるぞー)しかも何と学費を融資してくれる制度が出来たというのを聞きつけただんなが、いきなり願書を 買ってきた。「そんな借金できないよー」「働いて返せばいいでしょっ」「それに慶応医学部受かるぐらいなら たいていの国立受かるよー」「練習になるでしょ。受けて損はないでしょ」とのお言葉で出願することに。 受験料が高いっ。6万円!。

'99本番

慶応。お金持ちがいっぱい来てんだろうなーと見回す。汚い女子トイレで並んでいたときに、これ終わったら イタリア行くのーとこいている女子高生発見。英語/以外と易しく完答。化学手応えある問題ながら完答。 数学,物理,手こずって6割ぐらい。ん??これはかなりいけてる?

東京医科歯科。(一日目学科試験)数学/9割3分解答。白紙の人も結構見られた。英語/いつになく易し く完答。物理化学/手堅いとこはがっちりとったものの合わせて5割くらい。はてさて??いいような気も するし、大ポカで失点していればアウトだし??
(二日目面接試験)志望動機の他、家庭環境などみて、やってけるの?家のことはどう相談してるの?といった つっこみが続き、更に2次面接に残された。残った10人弱の人を見るとスーツ姿がずらりで「年寄りが集めら れてるな・・・」と思った。わざわざ医学部長室に通され年輩の偉そうな方々に、「やってけるの?」「ご主人 はどう思ってるの?」「育児の支援者は確保してるの?了解してるの?」「子供にとって大切な時期は?」 (幼児期と思春期前期と答えたらそれでOKだったらしい)「ちゃんと育つの?人事ながら心配だなぁ〜」 「研修医が何時に出てるか知ってる?」「しばらくは人間以下の位置だよ」と,もー突っ込む突っ込む。 ここは毎年再受験生は言われ放題らしく(でもそういう先生方も入るとみんないい人らしい)、神経細い人 なら大変そう。けど私は淡々とニコニコ答えて平気な人。 私は最後の面接者だったのでもう夕方で、白衣の人や先生らしき人が廊下を走り回って「何時に空きそう?」 「レク7時から出来る?」「ああっ無理だよおー」などと叫んで走り回っていた。 随分皆さんお疲れのようなのにぐったりしながらもまあ丁寧にじっくり面接してました。

試験の日は帰りが遅くなるので,だんなが保育園にお迎えに。しかも私がへな〜と帰ってみると、ご飯と 手作りハンバーグ(ちゃんとタマネギみじん切り入り)とお味噌汁が!「う〜ん、野菜がないなあ」などと 本人は謙遜してましたが、美味しかった!次の時は挽肉モヤシ炒めをどっさりかけた味噌ラーメン。絶品です。

侵入者 

発表前というのは落ち着かない日々だ。医科歯科の発表を間近に控えたその日も、じっとしているのが いやなので、朝から窓を開け放って情熱的に掃除機をガシガシかけていた。その時、背後にはっきりと 人の気配が。家には私一人のはず。玄関は閉まっている。ここは4階。ぎょっとして振り返ると、 そこには!!!食卓の上に大きなカラス!!も〜〜驚いたの何の。ちょっと部屋を出た隙に、カーテンも 開けていた窓から入ってきたのだ。

ささやかな部屋の中で見るカラスはでっかい。それはそれはでっかい。その羽は妖しい金属光沢を放ち、黒光り している。うかつに脅して反撃されたらかなり怖い・・・。と躊躇しつつ見据えると、なんと私がお昼に 食べる予定でお皿に乗せて置いてあった、my手作りコロッケをくわえているじゃありませんか。

「こらー!!!!」と思わず掃除機の柄を武器に攻撃。カラスは慌てず騒がずコロッケをくわえたまま、 ばっさばっさと部屋の奥の開いていた窓に迷わず向かい、一陣の風と共に去っていった。(わ、わたしの コロッケ〜)・・・。雀などは部屋に迷い込むと、あっちにばさばさ、こっちにばさばさで大騒ぎになるのに、 さすがカラスってすごく賢い・・・。

さてこれは吉兆か凶事か?カラスってすごく賢いから知恵の神様といえなくもないかも。コロッケ 取られたけど、これは貢ぎ物って事で吉兆か?と大変都合良く解釈する。 (後日友人に話すと、不吉な真っ黒い鳥に家に入られた挙げ句、自分の物を横取りされて、しかもそれが 合格発表直前だったら普通へこむよ〜。と言われた)

'99発表

3月3日(水)慶応発表。意外に出来たのでこれはもしや?いやいや借金なんてしたら大変だよ〜どうしよう。 早慶戦はどっちを応援すればいいのだ。等と余計な心配をしながら待ち、2時過ぎ来たレタックスをドキドキ! と開けると番号はなかった。がっくり。やっぱ受ける層が違うのねー。(ところで1浪は10点、2浪は 20点、3浪以上は30点引かれるって噂は本当だろうか??でも試験後にこの噂を聞いた私がだんなに話す と、「でも3浪”以上”でひとまとめで良かったよね。」そ、そりゃそうだ・・・)

3月9日(火)ついに前期・東京医科歯科発表。どきどきです。あの答案なら大丈夫のような。でも上位65人 なんかに入るか?センターぱっとしないし。みんな出来たかも知れないし。今年は史上最高の倍率だったし。(医科歯科初の足切り実施) とってもいたたまれなかった私は発表は1時なのに朝一で家を飛び出し、池袋の漫画喫茶で読みたかった漫画を 読んでました。岡野玲子の「陰陽師」は噂に違わず実にいいですね。ってなにやってんだか。 切りのいい所まで読んだので着いたのは1時3分過ぎでした。うおぉ〜というすごい叫び声がわき上がってました。 小雨で傘をさしている人が多く、なかなか前に行けませんでした。番号を探すと・・・、
ありました!合格〜!

保育園に子供を迎えに行くと、事情を知っていて心配していてくれた先生達もみんなで大喜びしてくれました。 もう何かする気力もなかったので普段どうりにご飯を作りました。子供と一緒にハンバーグをこねて焼いて いると,だんながシャンパンを携えて帰ってきました。職場からうちの近所の酒屋に冷やしといて もらうよう電話を入れていたのです。新婚旅行でシャンパーニュで飲んだシャンパンと同じ銘柄でした。 祝杯はとてもおいしかったです。


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