沖永良部

沖永良部島

つるの生まれ育った沖永良部島
鹿児島県の南の県境近くにある、美しい珊瑚礁の島です。

所在地  所在地とその気候風土
エラブの言葉  本土と琉球の交わるところ
つると海  美しい珊瑚礁の思い出?!
つるとウニ  様々なウニの思い出
つるとソテツ  熱帯、亜熱帯に自生する裸子植物
つると出初め式  島の出初め式はちょっと違う?!
つるとフリージア  島の主な産業の一つ、花
つると米軍  昔は基地もありました
テーブルサンゴ  安全地帯?! new
島の鍾乳洞  一見の価値あり new
えらぶ関係のページ  他にも色々

所在地
鹿児島本土から南に約536キロ、奄美群島の一つです。県の最南端の島、与論島の一つ北にあり、 もひとつ北は徳之島です。気候風土は沖縄にかなり近いです。

人口1万6千人、面積94.5ku、隆起珊瑚礁の島で、周りにはリーフが発達している。和泊町、知名町の 二つの町からなる。平均気温22度。一番高い山が246mで、飛行機から見ると真っ平らに見える。 フリージアの季節なら、カラフルな絨毯のように見える。カルスト地形がよく見られ、鍾乳洞が多い。 主な産業は農業(サトウキビ、ユリやフリージアなどの花、ジャガイモなど)と観光。漁業は少し。 飛行機なら鹿児島空港から1時間40分(東京からの直行便はない)、定期船なら、鹿児島港から 18時間位。西郷隆盛が流された地。

不思議なことに、お隣りにはうじゃうじゃいるハブが全くおらず、(珊瑚礁の石灰質の土壌が嫌いなのでは 等、色々言われているがはっきりとは分かっていない)そのせいか(?)人もおっとり、穏やかな 気風と言われています。一方,極めて教育熱心です。

"つる"は子供の頃、ニュースで「世論調査によると・・」というのを聞くたび、「どうして 与論(島)ばっかり調査するんだろう?」と思っていたそうだ(^^;)。

沖永良部 ガイドマップ  海・花・サンゴ・鍾乳洞・遺跡・・、観光スポットもいっぱい!

えらぶの言葉

鹿児島県ではあるが、いわゆる「鹿児島弁」ではなく、完全に琉球語圏といって良い。ウチナーグチといわれる 沖縄語に近い。ネイティブな年配の人同士が話し出すと、"えに"には殆ど理解不能。しかし子供達は ほぼ標準語。若い人もそれに近い。20年以上前、徹底した方言追放運動があり、話し手は激減。 今は一転して方言保存運動に奔走している。つるは標準語・鹿児島弁・沖永良部方言の自称"トリリンガル"。 本土とは母音が変化したりしているが、ごくごく古い時期の日本語の語彙がかなり残っていて、大変面白い。 えにが日本古語とインドの古代パミール語の関連の本を読んでいた時、その共通語彙の表などをつるに見せたら、 なんだ〜これも、あれも、使ってるぞ。と言っていた(^^;)。

つるが小学校の頃「方言追放運動」のまっただ中。授業中はもとより、遊ぶ時から何からつねに標準語を 使うよう言い渡された。今週の努力目標「方言を使わない」なんてものもあった。うっかり方言を話すと 言いつけられ、注意された。昔、方言追放運動は日本のあちこちであり、うっかり使うと首に札をかけて 立たされた地方もあったらしい。

(↑すごい・・・えには関東育ちだが、親戚は殆ど関西か九州であり、場所が違えば当然言葉は違う ものと思っていたし、いとこ達もごく自然に土地の言葉を話していた。それがそれぞれその人らしさを醸し 出していて、その人の個性とは不可分なものだったと思う。しかし同じ時期にそういう政策をとっていた 地区もあったことは、当時知る由もなかった。

ただし、あまりに通じない言葉に非常に苦労し、辛酸をなめた、一世代前の集団就職組の同郷の人達の 強い要望もあってのことだったらしいので、そうそう単純な問題ではない)

しかしとっさの時はやはり使い慣れた言葉が出る。失敗したときの「あぁ」とか「おっと!」に当たる言葉 「あべっ!」がその一つだった。そんなときは?つる曰く「あべっ!!・・静江。と言ってごまかす! (^^)/今、俺は人の名前を言っただけだぜ〜って。」子供はたくましい(^^;)。 (さて、あべ静江の分かる人っていくつ位まででしょう・・)

つると海

大学時代、日本海と太平洋、どっちがいいか論争になった。
「海水浴の定番はやっぱり太平洋に決まっている!!」「日本海の水の澄み方はそっちとは比べものに ならないぞ」「汚いのは混んでる一部の浜だけ!!」「埼玉は海がないけどやっぱり太平洋がイメージかなぁ」 「瀬戸内海が一番」「それも太平洋に込み!」日本各地の出身者達が二手に分かれて白熱。「つるは?」

「?!・・・・東シナ海。」一同:「おお〜!!そ、それはちょっと別格だなぁ。(^^;)」

つるは、海はコバルトブルーもしくはエメラルドグリーンなもの、浜の砂は白いもの、海であそべば 色とりどりの熱帯魚がいるもの、海の底には様々なサンゴがあるもの、と思って育った。 ついでにハイビスカスは雑草のようなものという認識もあり、こっちで一つだけ花を付けた小さな苗の 鉢植えが900円で売られているのを見て驚愕していた。だから今も東京近辺の海に行こうという気は 起こさない。波のプールに行ったときは、波があるのに真水なんてヘンだー!!と叫んでいた。

日本有数の規模を誇るサンシャイン水族館に初めて行ったとき。「南の海の宝石達」という熱帯魚コーナー で、南の海だったらこういうのもいる〜?と振り返ると、つるは目が点。「なんで、おまえがここにっ?!」 という幼なじみとの邂逅モードになっていた。さらに水槽内の飾りを見て、「死んだサンゴにペンキで 変な色が付けてある!うわ〜変〜!品が無〜い!!」そ、そう(^^;;)?私は気にならなかったけど・・

もっとも生きたサンゴはデリケートなので、つるの遊んだ海のサンゴも年々破壊が進んでいる。

つるとウニ

つるにとってウニは寿司の上に乗っているものではなくて、とって食べるもの。素潜りで岩の間にいるのを 取り、かち割って汚れやサンカクムシ(寄生虫らしい。三角形で、うっかり食べるとチクチクするらしい。) を海水で洗い流して食べるととても美味しい(らしい)。

美味しいウニっていうと紫ウニ?「トゲが無くて、海草や汚れをいっぱい体にくっつけてるヤツ。」 バフンウニだ。もっとも、食べ放題だったそのバフンウニも、近年は環境の変化か、乱獲のせいか、 殆ど見られなくなった。

またある日、ぷかぷか泳いでいてふと気が付くと、海底には一面にぎっしり30センチはある長いトゲの ウニがぎっしり!(ひぇ〜)長いトゲには毒があるのを知っていたつるは必至に泳いでその場を逃れた。 え〜!毒のある長いトゲのウニってガンガゼ?それがぎっしり?こわーい!「さあ、そうなの?」 つるは魚もウニも顔見知りだったのは良く知ってはいるが、正式名称などにはいたって無頓着。

また、裸足で砂浜を走っていて何気なく海草を踏んだら、海草の下には(浜に良くいるトゲのある)ウニが うじゃうじゃ!足の裏はウニのトゲだらけになってしまった。しかしきれいなお姉さん達に優しくトゲを 取ってもらって、ラッキ〜(*^_^*)だったそうだ。

つるとソテツ

蘇鉄(ソテツ)。島には至る所に生えている。濃い緑色の丈夫なシダ状の葉、うろこ状の茶色い胴。 パイナップルが木になったような形と言えば近いだろうか。関東でも庭に植えているところは結構ある。

つるが子供の頃、野球のカウントはソテツの葉で取った。葉の左右のどちらがどっちのチームか決めておいて、 取った点数の分だけそっち側の葉をむしっていったのだ。(なかなか合理的!)

また、ソテツの実は、赤くて卵形、とても硬く4センチほどにもなり、島では「ヤナブ」と呼ばれる。 毒があるので食べることは出来ないが、いい遊び道具だった。運動会では「玉入れ」ならぬ「ヤナブ入れ」。 紅白の、中に綿やソバガラの入ったお手玉のような玉を入れる玉入れと違って、かたーいヤナブであるから、 籠の付いた竿を支える人はバケツをかぶる。それでも降り注ぐヤナブで「ガンガンガンガンッ!!って すんごい音でうるさくて大変!!(つる談)」だったらしい(^_^;)。

はるか昔はこのヤナブも救荒作物だった。飢饉の時、これを水にさらして毒抜きをし、(ホルムアルデヒド を含む。水洗いが十分でないと中毒死する)飢えをしのいだという話は「ソテツ地獄」と呼ばれて伝わっている。

つると出初め式 

子供の頃、お正月の消防署の出初め式が楽しみだったそうだ。「出初め式と言えば、パイナップル だよなぁ」・・・
?(^^;)?"出初め式"って、はっぴ着た人が、はしごの上で逆立ちしたりするヤツじゃないの?

つるによると、そういう人材はいないのか、はしご乗りはなかったらしい。では何をするかというと、 高い木の枝にパイナップルやパパイヤをぶら下げて、それを消防の人が消防ホースの水で打ち落とす! 落ちてきたところを子供達がわーっと拾いに行く、という行事だったらしい。

「足の速いヤツはパイナップルが取れるんだけど、いつも取り損ねてパパイヤ2個ぐらいしか取れなくて、 あげく持って帰ると漬け物にされちゃったりしてたんだよね・・(T_T)」
(えらぶにはパパイヤのぬか漬けがある。瓜漬けがほんのり甘いような独特の味。お茶受けにもおいしい)

つるとフリージア 

島の主な産業に温暖な気候を利用した花の栽培がある。特に有名なのが白い大輪のユリ、エラブユリと、 フリージア。春に飛行機から見ると、黄色、赤、紫、白、と色とりどりの花の絨毯の様に見える。 球根用の畑は、花はすぐ摘む必要があるので、摘み放題。つるが子供の頃は学校で「明日は一人100本、 フリージアを摘んでくること」と言われ、思い思いに道すがら摘んできた花を体育館にぎっしりと飾って 卒業式をした。

つると米軍

沖永良部は戦後、沖縄同様アメリカ領で、出入りにはパスポートが必要だったし、通貨も違いました。 日本に復帰したのは昭和29年頃、その辺のいきさつには熾烈な民族運動があり、多くの人達の執念の歴史が あるわけですが、つるはまだ生まれていないので直接は覚えていません。ただ、その後も島には長く、 沖縄復帰まで米軍キャンプがあり(今は自衛隊基地)、それはつるも良く覚えているそうです。 「よくバイクに乗ってる兵隊さんに「ヘロー、チンガム!」って叫んでガムもらったよ(^o^)」という 牧歌的な記憶のようですが、私はうわぁ〜私の世代でそういう経験のある人がいたとはっっ!!とびっくり。 だって進駐軍を追いかけてギブミーチョコレート!!って叫ぶ子供達って、”終戦直後のドラマ”の定番では ないですか(^_^;)

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