四月のはじめから十年ぶりにイエメンの首都サナアに住んでいます。やはり、よその国にいると(そしてそれがいわゆる「途上国」と言われる国であるならばいっそう)、そこで日々遭遇する小さな事件の積み重ねは、いろいろな事を考えさせてくれる契機になります。特に今回、私は「開発援助プロジェクトがイエメン社会に与える社会的影響」という研究テーマを抱えて、そうした観点からこの社会を観察しようとしているのですが、それはもう皆さんにお伝えしたいネタの宝庫、という感じなのです。
日本にいるときから私は「プロジェクト・エスノグラフィー」を作りたい、という思いつきを温めていました。「そりゃいったいなんのこと?」という素直な疑問(開発援助の実務者から)や、「そんなもの存在するのかいな」という嘲笑(人類学者から)まで、さまざまな問いかけはあるでしょうが、私も今「プロジェクト・エスノグラフィー」なるものをこうだ、と定義することは出来ません。ただ、途上国の開発援助プロジェクトに伴って発生する様々な小事件をめぐる「情報の共有」のための一つの道具として、「ものがたり」してみたらどうだろう、という程度の思いつきです。とりあえず始めてみて、「ものがたって」行くうちに、「プロジェクト・エスノグラフィー」のあるべき姿も浮かび上がってくるかもしれません。
この場で取り上げたいと思っているのは、いわゆる「社会開発」タイプの保健・教育プロジェクトや、生計向上プロジェクトなどです。中東のはずれのこの地に来て三ヶ月、十年前は世界の開発の流れに取り残されていたように思えたこの国も、今やすっかり「開発援助」の世界に取り込まれていました。曰く、「参加型開発」「パーティシパトリー・ルーラル・アプレイザル」「バマコ・イニシアチブ」タイプの医薬組合、「貧困女性向けの小規模クレジット」などなど、この「業界」での流行は全てここにあります。「開発援助」と言う現象がいまや世界を覆い尽くしていることを実感します。そして「私だけのイエメン」がいろんな人の手でもみくちゃにされているような一抹の寂しさを感じるのは「地域研究者」の傲慢というものでしょう。
今回はプロジェクトとは直接関係ないのですが、小手調べとして先日私が遭遇した小さな事件についてお話ししたいと思います。なお、登場人物は全て仮名だと思って下さい。
午前中、イエメンでの「識字教育」の実体について修士論文を書くために下調べに来た大学院生を空港まで送っていった。次の来訪者は一週間後「イエメンにおける女性の生活空間」についてやはり修士論文を書くためにやってくる。前回三年住んでも、アラブ・イスラムの生活空間のなかで、イエメン女性の生活についてはイエメン人の男を経由してしか知識を得ることができなかった僕としては、女性がこうしてイエメンの調査に来てくれることは、禁断の女性世界をのぞき見るきっかけを与えてくれるようで喜ばしい。
空港からの帰り道、車検証の一斉チェックをしていた。まだ車(スズキの四輪駆動車)を手に入れたばかりで手続き中なので車検証がない。警察官にバクシーシ(これって賄賂だよね)を渡して見逃しもう。家に帰って、昼過ぎにエリトリア人の女中が掃除に来るまで昼寝してしまった。サナアは高度2300m、空気が薄いので眠たくなるという説があるけど。
午後、所用があって日本大使館へ向かう。大使館の通りに入るガソリンスタンドの角を曲がったところで、全身をベールで覆ったイエメン人女性が車に向かって手を振るようにして呼び止める。「Can you help me?」と英語で話しかけてきた。このサナアで見ず知らずの黒づくめの女性から話しかけられることなんて滅多にない。何か困っているのかもしれないと思って車の窓越しに「どうしたの」と言うと、彼女は「これを読んで下さい」と鉛筆書きの紙(ノートを一枚ちぎったもの)を手渡してきた。
そこには、ちょっとたどたどしい英語で「私はイエメンが嫌いです。イエメンの女性には希望がありません。私の父と兄は私に勉強を続けさせてくれません」と書いてある。僕は最初女性の地位改善運動かなんかの回し者が、外国人をターゲットに募金でもしているのかと思った。それにしても、イエメン人が自分の国を嫌いだと言うなんて、あんまりいい気分じゃない。
でもその紙は裏に続いていた。裏には「私は日本に行きたい。日本で勉強したい。でもパスポートがありません。助けて下さい。日本人はとても親切だと聞きました」と書いてある。ちょっと待て。なんだこれは。僕はかなりびっくりした。話を聞くと彼女は学生でサナアの東の方に住んでいるという。大使館はかなり西のはずれである。小さな町とはいえかなりの距離がある。彼女はいったいどうやってここまで来たのだろう。
彼女は「大使館のガードの人が中に入れてくれないので、大使館員にお願いが出来ない」という。そりゃそうだ、パスポートもなく用事もない女を入れるわけもない。なんだかとってもせっぱ詰まった様子に、何とかしてあげたいとは思うけれど、でも、いったいどうればいいというのだろう。
名前を聞くと「アマル。でもわたしは日本人のレイコと言う名前が好き」と思いがけない事まで言う。どこで「レイコ」なんて名前を知ったのだろう。この町に滞在している日本人はわずか30人弱。女性は子どもを入れても10人に満たないのに。サナアの町では、男と女が町中で(ここは道路の真ん中である)立ち話をしているというような光景はまず見られない。しかも一方が外国人で他方が黒づくめの(目だけを出したスタイルである)女性という取り合わせで長話をしているというのは相当奇異な光景である。それに彼女の父や兄はかなり厳しい人らしい。そんな彼女とこんなところで話しているのを父や兄にみられたら、僕だって撃たれないとも限らない(イエメンでは多くの成人男子はライフルや拳銃を所持している)。
「どうやってここまで来れたの」と尋ねると「友達の家に行くと言って、無理矢理家から出てきました」という。彼女も話をしている間、通りがかりの人が気にかかる様子。お父さんやお兄さんに見つかったら事だものね。タクシーできたのか、歩いてきたのか。そしてどうしてここにいたのか。ここで日本人が通りがかるのを待っていたのか。だけど、悪い旅行者かなんかなら、さらっていくかもしれないじゃないか。欧米のNGOの人が聞いたら里子にするところかもしれない。
ともかく「イエメンの女性だって、それなりに幸せじゃないか」とは無責任に言えない雰囲気だし、なんだかわけがありそうだったから「来週の水曜日のこの時間に、僕の家に来てごらん」と言ってみる。今ここで彼女を助手席に乗せるなんて暴挙はどう考えても出来ない。来週なら次の日本人女性も来ているから、家の中で彼女と二人っきりという状況にはならないだろう。それに一週間すれば彼女の気も変わるかもしれない。彼女は「どうもありがとう」と言って去っていた。さて、どうなる事やら。来週、兄や父親と一緒に乗り込んできたらどうしよう。
それにしても、なぜ彼女はこんな大胆な行動に出たんだろう。もしかして結婚させられそうになっているのだろうか(サナアでも13〜15才の花嫁さんは珍しくない)。
昼から、今朝着いたばかりの日本人学生とも子と本当にアマルが来るだろうかと待っている。午後1時半 コンパウンドのゲートの警備員から電話がかかってくる。本当にアマルがやって来たらしい。なんておてんばなのだろう。イエメン人の女の子が外国人のいるコンパウンドにやってくるなんて、十年前には考えられもしなかったと思うのだけど。ゲートまで迎えに行く。自慢じゃないが、自分の家にイエメン人の女性が尋ねてきたことなんて、前回三年間サナアに住んでいてもいっぺんもなかった事だ。ゲートに一緒についてきたらしい女性が二人(姉と従姉妹だという)いたが、僕が近づくとふたりは「じゃあね」という感じで去っていった。
アマルはグレーのバルトウ(全身を覆う上っ張り)を着て、白いスカーフをかぶり、その上で目の上下に黒いはちまき状のベール(ブルカ)をしている。こういう出で立ちの女性と握手をしたのも初めてだ。家に連れていく。アマルは家に入るとグレーのユニフォームとブルカをかなぐり捨てるように脱いだ。くどいようだが、これまで15年のイエメン地域研究生活で、目の前で女性がベールを脱ぐところをみたのは初めてだ。一瞬目のやり場に困ってしまう。
アマルは色が黒めのおてんばそうな娘。年を聞いたら中学三年生の16才。まだ子どもじゃないか。アマルは片言の英語で語り出す。「父親と兄が嫌い、お母さんも嫌い、兄嫁も理解してくれない。結婚した姉は夫にぶたれる。あたしも父や兄にぶたれる。父は私に勉強させてくれない。働けという、でも同時に外にでることをよく思っていない。」「イエメン人は、誰一人私を理解してくれない。」「イエメン国民はホープレス。だけど日本人は親切、日本はきれい。テレビで日本の番組を見たの。」「私は日本に行きたい。パスポートがなくても船で行けば船長がバスポートをくれると聞いたわ」とたたみかけてくる。いったいどうするとこんな事になっちゃうのだろう。
「とにかく、私は今すぐ日本に行きたいの」「日本大使は助けてくれるかしら」「会わせてほしいの」と続く。とにかく熱を冷まさせなくちゃ。とも子と二人がかりで「ルールはルールだから、大使だろうが誰だろうが、パスポートなしで日本に行かせてはくれないよ」という、わかったような顔をするけれど、納得していない様子。「イギリス大使館のミスター・ジェームスという人はお姉さんを助けてくれるかもしれない。姉はオランダかイギリスに行きたいの」という。いったいこの姉妹はどうなっているのだろう。
でも、どう考えたって中卒で日本に行けるわけもない。だから、「日本に行きたいんだったらまず、日本語を勉強して、手に職をつけないとだめ」と言う。すると「だってお父さんは勉強させてくれないんだもの」と泣き出す。うーん。この国ではそういうとはあり得るよね。そもそもこの国で女性がパスポートを手に入れようとすれば、多くの場合どうしたって父親か夫などの「保護者」が申請することになるのだ。仮にアマルがうんと勉強して、手に職つけても父親がうんと言わなきゃパスポートさえ手に入らないという可能性はある。「今日本に行くことは出来ないの?」当たり前なんだよ、アマルちゃん。「じゃあ何年待てばいいの?」どうしてそんなに焦っているんだ。まだ若いのに(と言っても、彼女に残された自由な時間はわずかかもしれないけど)。
僕に言えることはといえばせいぜい「これから二年ちゃんと勉強してご覧、君のそういう姿を見てお父さんの考えも変わるかもしれないし」。説得力は無いよね。
「その間に無理矢理結婚させられてしまうかもしれないわ」とアマル。やっぱりそういう恐れはあるのだろうな。
「二年経ったらかならず助けてくれますか」おいおい、大変なことになっちゃったよ。とにかく何かきっかけを与えなくちゃと思って大使館に電話をして友人に「日本語のテキストもらえるかい」と聞くと「あげますよ」というので、アマルのために取りに行く。大使館からとって返して、日本語教習用の教科書とカセット(JICAが研修生用に作っているもの)を渡すと、とりあえず今日は帰っていく。ところで今日は家から二時間かけて歩いてきたのだって。
午後、突然アマルが家にやってきた。この子の登場は心臓に悪い。でもとも子がいないので家に入れるわけには行かない。日本の住所を教えてくれというから一応書くけど、不安だなあ。突然訪ねてきたりするかもしれない。30分ほどして再びアマルがとも子と一緒に戻ってくる。帰りがけにぱったり会ったのだという。ベールを脱ぎながら、「私は顔を隠すのが嫌い。でもお母さんがこのかっこでないと許さない」と言う。アマルの家族構成は父母と、長女(25才・既婚)、長男(23・既婚)、次女(21)、次男(20)、三男(18)、四男(17)、三女=アマル(16)、四女(14)、五女(12)、五男(10)、六女(8)。アマルは11人兄弟の6番目。家族はみんな嫌いだし、イエメン人もみんな嫌いだけれど一つ上のお兄さん(アハマド)だけはいい人なんだって。このアハマドが今オランダにいるというので、留学しているのかと聞くと「政治亡命」しているのでもうイエメンには帰ってこないかもしれない、との答え。いったいどういう家族なんだろう。お父さんはアマルに働けと言う。ただしイエメン国内ならいいが、外国はだめ。一方母親は外に出るのさえだめという。
アマルが持ってきたイエメンの中三の英語の教科書に日本人ユキとイエメン人フアドが文通して、フアドが日本に旅行するというストーリーがある。それを嬉しそうに僕らに見せる。地理の教科書に日本の事が書いてあるのも嬉しそうに見せてくれた。そして「今すぐ日本に行きたい」が始まった。困った娘だ。
その後も困ったちゃんのアマルは定期的にわが家にやってきては「今すぐ行きたい」「大使に会わせて」と言います。いったい彼女はどうなるのでしょうか。日本にたどり着けるのでしょうか、それともその前に結婚させられて一生外国なんか行かない人生を歩むのでしょうか(プロジェクト・エスノグラフィーもそうですが、リアルタイムの情報共有のおもしろさは、誰もこの先の展開がわからないという点にあります。ただし、プライバシーに関わることですから、これはあくまでも僕の皆さんに対する「私信」であることを忘れないで下さい。決して引用、転記などはしないで下さい)。
さて、この事件で僕が考えていることは、「社会がそれを受け入れる体勢になっていない時に、よそ者が女性のエンパワーだけをは行的にインプットすると、アマルみたいな社会から「浮き上がった」子がでてきてしまうのではないか」ということなのです。これからアマルがどういう人生を生きるかはわかりませんが、こういう子が出てきた時によそ者であるわれわれはどうにも助けてあげようも無いのではないか、と言う無力感もあります。
その後、アラビア語の勉強を続けるためにイエメンに三年ぶりにやってきたあき子は、「イエメン人が嫌いなんて言うイエメン人はだめ。どこにいたって文句いうんだよ」と言います。僕も「お父さんもお母さんも嫌い」なんて言う子にはちょっと抵抗があります。それが「イエメン女性の置かれている地位の低さ」に対する反発からであったとしても。
でも一方、「ベールを被っているからといってそれが、女性の側圧をすぐさま意味するわけではない、イエメンの女性達はベールというアラブ・イスラムの生活文化の中でそれなりの自己主張をしながら生きている。ベールはよそ者の表面的な同情心を遮断するものでもあるかもしれない」などといつも書きながら、どこかで「ほんとにそうか」と自問自答していた自分がいることも事実なのです。
今度アマルがやってきたら、皆さんならどう対応しますか?
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