2005.08.20

誤字等No.141

【押しも押されぬ】(取違科)

Google検索結果 2005/08/20 押しも押されぬ:24,400件

今回は、「みにまむ」さんからの投稿を元ネタにしています。

押しも押されぬ」は間違い、「押しも押されもせぬ」が正しい。

検索結果の上位には、このような文章がずらりと並びました。
どうやらこれも、代表的な「日本語の誤用」のひとつのようです。
認める辞書もあるらしいですが、文法的に見ても「変な表現」です。

押しも押されぬ」の誤用を指摘するサイトは、そのほとんどが極めて単純に「間違い」と断言しています。
どこがどう間違いなのか、なぜ間違いが起きるのか、そもそも本当に間違いと断定できるのか。
そういった考察は、ほとんど見当たりません。

ただ「正解」だけを押し付け、「考える」ことを許容しない学校教育の弊害でしょうか。
それではあまりにも狭量にすぎるのではないか、と感じられてしまいます。

押しも押されもせぬ」は、「実力があって堂々としている」という意味の成句です。
成句であるが故に「改変」は一切行われず、文語的表現が「そのまま」の形で使われています。
現代語に直せば「押しも押されもしない」となるはずですが、そのような使い方は少数派です。

自ら他人を押すこともなければ、他の誰かに押されることもない。
這い上がろうともがくこともなく、ライバルに脅かされることもなく。
確固たる不動の地位を築きあげた状態、とでも解釈すれば良いでしょうか。

一方、「押しも押されぬ」の意味を考えて見ましょう。
押すことはあるけれど、押されることはない。
邪魔者は押し退け、他人の追随は許さず。
ひたすらに上だけを見つめて、電車道を突き進む。
そんな感じでしょうか。
押しも押されもせぬ」とは、だいぶ立場が違いますね。

同じような意味の言葉に、「押すに押されぬ」があります。
この「押すに押されぬ」の誤用が「押しも押されぬ」であるとする説もありました。
あるいは、「押すに押されぬ」と「押しも押されもせぬ」の混同によって「押しも押されぬ」になった、とする説明。
これも多いですね。
二つの言葉が混ざって別の言葉になる現象は珍しくありませんから、十分に考えられる話です。

ところで、この「押すに押されぬ」については、これを「間違い」だとする意見がありました。
押しも押されもせぬ」のみが正解であり、「押すに押されぬ」はその「誤用」である、と。
さすがに、これには同意できません。
このように、自分が知らない言葉を「間違い」だと糾弾する人は、ときおりみかけられます。
自分の知識に対してかなり自信があればこその態度と言えますが、少々「独善的」です。

多くの「辞書」では、「押しも押されもせぬ」と「押すに押されぬ」は「同じ意味」として扱われています。
しかし、このふたつの言葉の「構造」は同じではありません。
「越すに越されぬ大井川」と唄われるように、「押すに押されぬ」からは「押したくても押せない」という意味が読み取れます。

確かに、「不動の地位」を示す点では同じかもしれません。
しかし、「自ら他人を押そうとしているかどうか」という点に関して、大きな違いがあるはずです。
評価対象となっている側が「押している」かどうかは、全く問われていないのですから。

このような「構造」が意識されることなく、単に「同じ意味」として扱われているのも、「成句」ならではの特徴かもしれません。
「成句」として通用する言葉には、もはや「逐語的解釈」は不要なものとなっているのでしょうね。

ところで、多くのサイトが「押しも押されぬ」を「間違い」と断じる一方で、気になるページがひとつありました。
そのページに書かれていたのは、「押しも押されぬ」と「押しも押されもせぬ」は「意味が違う言葉」だとする内容でした。
すなわち、「押しも押されぬ」は「実在しない誤表現」ではなく、「押しも押されもせぬ」とは別の意味を持つ成句ということです。
押しも押されぬ」には、「歴史がある」「由来がはっきりしている」などの意味があり、家柄や由緒などをほめるときに使うとか。
だとすると、「押しも押されぬ」自体が「間違い」なのではなく、「使い方」が間違っているということになります。

実際に「押しも押されぬ老舗」で検索してみると、確かにある程度の数はヒットしました。
が、その多くは、ある特定のブランドに関する文章であり、文面自体もまったく同じ。
もともとの売り手が書いた文章を、数多のショッピングサイトで流用している構図が見えました。

確証はありませんが、もし本当に「押しも押されぬ」という成句が実在するのなら興味深いことです。
「由緒正しい」という本来の意味で使ったはずの「押しも押されぬ」に対して、「日本語が乱れている!」などのクレームが来ることになりかねないわけですから。
そう考えれば、たとえ実在の言葉だとしても、無用な誤解を受けないためには使用を避けた方が良さそうです。

さて、ここで「誤用」としての「押しも押されぬ」が使われる理由を推察してみます。
押すに押されぬ」と「押しも押されもせぬ」が混ざったとする説は確かに説得力がありますが、それだけでは不足です。
なぜ、本来の「押すに押されぬ」や「押しも押されもせぬ」が使われないのでしょうか。
知識不足や勘違い、覚え間違い以外にも、何か理由があるのではないでしょうか。

まず「押しも押されもせぬ」について。
ひとつ考えられるのは、単純に「長い」ということ。
「押しも押されぬ実力者」と言えば、七五調の、実にリズムの良い語感となります。
これを「押しも押されもせぬ実力者」としてしまうと、なんとも間延びしてしまい、語感が崩れます。
言葉の「美的感覚」を重視する人なら、「押しも押されもせぬ」を「省略」して、「押しも押されぬ」と変形してしまうこともありそうです。
もともとが文語調の「逐語的解釈を必要としない」言葉であるために、それを省略しても「意味の変化」が気にならないという側面も見逃せません。
ただし、現代語風に「押しも押されない」としてしまった誤用については、この理由付けは少々弱くなってしまいます。

もうひとつの「押すに押されぬ」はどうでしょうか。
語調は、問題ありません。
こちらの課題は、その「視点」です。
押すに押されぬ」も「越すに越されぬ」も、「引くに引かれぬ」も「行くに行かれぬ」も、視点は「その行動を起こす本人」に据えられています。
それは押したくても押せない、という「押す側」の事情であって、「押される側」について語るものではありません。
このあたりのニュアンスが、「押すに押されぬ実力者」など、対象自体を評価するために使うことをためらわせる原因になっていると考えることができます。

このように見てくると、「押しも押されぬ」を、単純に「誤用」として「正解で置き換え」ようとする態度には疑問が残ります。
実際に「誤用」であるとしても、その文章を書いた人が「本当に言いたかったこと」は何なのかくらいは、読み取る必要があるはずです。

これは間違い、これは正しい、と決め付けるだけでなく。
難しい専門用語や学術理論を振り回す、一般人にとっては「価値の無い」解説でもなく。
誤字の背景に潜む「真の姿」を探し出し、「考えるきっかけ」を作り出す。

所詮、素人の戯言ではありますが、ここ「誤字等の館」は、そんなサイトでありたいと思っています。

[実例]

日本人とは、かくも「別の言葉との取り違え」に弱いのでしょうか。
このような「取り違え」が原因と思われる誤字等の品種を、「取違科(とりいか)」と命名しました。

[亜種]

おしもおされぬ:293件
押しもおされぬ:196件
おしも押されぬ:34件
圧しも圧されぬ:5件
圧しも押されぬ:6件
押しも圧されぬ:8件
押しも押されない:36件

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