まさおのにっき
1997年3月4日号


今週の体重。83.5kg
(3/ 2計測)

先週との差 -0.5kg


とうとう恐れていた事態になってしまいました。日記とかをホームページに載せたりしても、どうせ面倒になってほったらかしになるのが目に見えてるし、なによりちょっと気恥ずかしいし、こうゆう事はやめようと思ってました。でもとにかくなもので。まあ、言いたい事言って、気が向いたときに更新すればいーや、と気軽にやっていきたいと思います。

 

3月4日(火)天気は外に出てないので不明

暇だなあ。今月の収入を考えたら、わざわざ人を誘って飲みにいく気にもならない。新聞読んで、テレビ見て、ご飯作って、食べて。何かヘンな事ばかりついつい考えてしまいます。今日はこんな事考えてました。
クローン動物が話題になったりして、科学による生命の謎の解明が盛んに行われてるけど、このまま順調に進んでいったら、命はどこまで命でありえるんでしょうか。将来的に(いくつかの大幅な飛躍が必要だと思うけど)人工的に人間を作れるようになったとしたら、その人間に”命”はあるのだろうか。
たとえば、自分の体を少しずつ人工のものに交換していったとする。脳以外が全部人工のものになっても、自分は自分としての意識、自我が残っているだろうという想像は出来る。では、脳も交換したら?
普通に考えたら、脳が自分のでなくなったらそれは自分ではなくなる、と考えるでしょう。でも、完全に脳の構造が解明され、人工的に作れるようになったと仮定したら? 脳が場所ごとに違う働きをしていることは今ではよく知られている。少しずつ交換していったらどうなるか。
視覚をつかさどる部分、聴覚をつかさどる部分、同じように味覚、触角、言語、記憶、さらに感情(喜び、悲しみ、憎しみetc.)。そして、とうとう完全に脳が人工のものと入れ替わってしまった。それは自分なのだろうか、もし違うというのなら、じゃあどこまでは自分だったのか。その境目はどこにあったのだろう。
もしその完全な”人造人間(懐かしいひびき)”が自分でありえるとしたら、やはり宇宙は唯物論的なもの、その構造が理論的に物理法則によって説明できるもの、ということになるのだろうか(アインシュタインはそう考えていたらしい)。逆に、自分ではなくなるとしたら、自分ではなくなったその”境目”は何か。その”境目”より先は、もはや、物質という視点からでは絶対に分からないということになるのだろうか。その”境目”が、”命”の意味を知る上でのキーワードなのかもしれない。そして、そこまで科学が発達して始めて、物質科学では解明できないことがある、ということがやっと分かるのだろうか。ひょっとしたら、それを人間が知るために、科学があるのかもしれない。
頭が回り始めてしまった。そろそろやめよう。どなたかご意見をお聞かせください。

今日の夕食。
今夜は久しぶりに鳥の唐揚げを作った。けっこう一部の人には評判いいんです。
ところで唐揚げと竜田揚げって何が違うの?なに?(鈴木きょーかみたい)。かたくり粉を使うのが竜田揚げだという人もいましたが、小麦粉とブレンドして使う人もいるし、そうしたらどっちになるのだろう。どなたか本当の事知ってる人、教えてください。ちなみに私はかたくり派です。

ニューキャラクター登場!
これは誰でしょう?名刺を頼まれたので描いてみました。分かる人は相当の通です。分かった人には漏れなく豪華なプレゼント!したいなあ。

今日の小話。
江戸時代。遊廓の遊女たちが、昼間は特にするこがなく、ゴロゴロしていた。それを見た女主人が、
「こらおまえたち!こんないい天気なのにいい若いモンがゴロゴロしててどうすんだい!どうせやることないンならいつもお世話ンなってるトコにお日様でもあててやんな!」
遊女達もどうせ暇だったので、みんなで川っぺりにならんでアソコを日に当てていた。
それをみつけたおかっぴきが飛んできた。
「やいてめえら!公衆の面前にそんなモン丸出しにしてるたあどうゆうつもりだ!ちょっと番所まで来い!」
「そんな、お役人さん。決して悪気のあったことではございません。ここはどうかひとつ、おめこぼしを‥。」


さあ、こんな感じですが。最後まで読んじゃった人は後悔してるんじゃないでしょうか。まあ、また懲りずに覗いてみてください。ただ、いつ更新されるかわかんないけど。

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