杉浦日向子作品解説

二つ枕 (「ガロ」'81年8月号〜11月号)
すべて浮世絵風の絵柄で描かれている漫画。現代人から見ると重苦しい浮世絵が、軽いくだけた台詞を話すことによって、江戸時代や浮世絵そのもののイメージを変えている作品。「初音」「麻衣」「萩里」「雪野」の関連しない物語の4部作になっていて、それぞれ春信、英泉、国貞、歌麿の浮世絵の画風をなぞらえている(と思う)。話に合った画風を選んで(もしくは物語に合う画風を選んで)描かれていると見ることもできる。

日々悠々 (不明)
江戸の庶民の無駄話をそのまま写し取ったかのような漫画。会話がとりとめもなく、脱線しながら進んでいく展開が軽快で好き。(話の筋道を作ってそに上をなぞるより、話の展開がちょくちょく変わる展開の方が難しいと思う。)どの話もラストは唐突ながらもオチがついて終わっている。

閑中忙あり
(「ビックコミックオリジナル増刊」'84年4月15日号〜'84年8月15日号
「ASUKA」'86年8月号、'86年11月号)

明治初期、同じ家に同居している政治学生、医学生、画学生と語学生の4人の学生の話。元士族と商人では考え方が違ったり、江戸の影響を色濃く残してはいるものの、新しい時代を受け入れてもいる若者の姿が描かれている。個人的に画学生の妹尾が西洋の絵画を受け入れながらも、西洋人の考え方には反発する「ぶどうのかおり」の話が好き。

東のエデン (「サンデー毎日」'86年1月12日号)
外国人から見た明治初期の日本を描いている。のんびりしすぎている日本にイライラしつつもそれなりに適応しているホワイト氏の妙な親近感を覚えてしまう。現代人から見た江戸は、外国人から見た江戸に視点が似ているような気がする。外国の文化を取り入れる前の日本人と外国人である自分との関係を「たしかにここには追放前のアダムトイブがいる。僕は彼らを幻惑しにここへ乗り込んだ蛇かもしれない。」と形容しているのが好き。

YASUJI東京 (「小説新潮」'85年3月〜'86年3月)
この人の作品では珍しく現代を舞台にした作品。井上安治の明治の風景を描いた浮世絵と現代の東京の風景をシンクロさせながら東京を描いている。私的な視点で気ままに安治の絵を見ている半面、安治の絵を「絵ではない、まして写真でもない。窓だ。」と鋭く分析もしている。

とんでもねえ野郎 (「週刊モーニング」)
タイトルどおりの男、桃園彦次郎が主人公の話。この彦次郎というのが、いかに食い逃げするか、他人にたかるか、そればっかりしているしょーもない漫画だが、ひとつひとつの話がそれなりにオチがついて終わっているので読み易く分かり易い。人に杉浦日向子の作品を勧める(読ませる)ときはこの作品を最初に貸している気がする。

百日紅 (「漫画サンデー」'83年11月15日号〜'88年1月26日号)
壮年期の葛飾北斎の漫画。一応、北斎が主役だが、北斎の娘お栄と居候の善次郎(後の渓斎英泉)も主役でもある。この3人を通して江戸の日常をさりげなく描いている作品。初期の作品が完全に第三者の目で描かれているのに対して、これは一人称と三人称を織り交ぜて描かれている。

百物語 (「小説新潮」'86年4月号〜'93年2月号)
百の怪談話をすると本当に妖怪が出てくるという江戸時代の遊びからとられた題材の漫画。この作品を最後に杉浦日向子は(漫画を)絶筆している。99話で連載が終わっているあたりがある意味心憎い(笑)。
他の作品に比べて理解しにくいが、これは読者を遠ざけているのではなく、読者の想像に委ねられていると見るべきであろう。昔語や怪談話には何らかのオチが用意されていると現代人は考えがちだが、それらのオチは後からつけられたモノであって、必ずしも原因がわかるとは限らない。そういう当たり前のことに気づかされる作品でもある。