トホ妻と行くヨーロッパ紀行・ウィーンの怪

 ホ妻は海外旅行経験に関してはワタクシ以上の実績がございます。その経験の大半はヨーロッパに限定されており、アジア地域はごくわずか、それ以外は全く行ったことがないという状態でございますから、かなり片寄った海外旅行経験ではございますが、ヨーロッパに関してとなるとすでに学生時代の夏休みにウィーンで語学研修、ドイツでホームステイ生活などを送っているくらいでございますから、ワタクシが27才にして生まれて初めて国際線旅客機に乗ったのに較べればはるかに華麗なる海外経験と申せましょう。

 ちろん、彼女のことですから学生時代の滞欧経験においても色々トホホなことはあったようでございます。ワタクシが存じておりますところでは同じ研修に行った女子学生たちとなぜか全員で日本の民族衣装、早い話が浴衣を着てどこかの町役場(?)を表敬訪問したら、その様子が写真に撮られ、翌日の現地新聞の一面を飾ってしまったなどという赤面すべき出来事もあったようでございますが、まぁそれらは当然結婚する前の話であって、ここで問題にするつもりはございません。

 題は結婚後、二人で行った新婚旅行でございます。トホ妻は新婚旅行先として欧州を希望し、また学生時代にひと夏を過ごした思い出の地ウィーンを再訪することを強く希望しましたので、新婚旅行はロンドン・ウィーン・イタリアなどを周遊するプランとしたのでございました。

 初の宿泊地ロンドンでは特に問題はなかったと存じます。少なくとも周囲のイギリス人の態度から何らかの違和感を覚えるようなことはございませんで、問題の“違和感”が表面化したのはウィーンに到着してからのことでございました。そして、それは空港から市内に到着し、市電に乗ろうとした時からすでに顕著に感じられたのでございます。

 ず、感じられたのは周囲のオーストリア人が不自然なほどワタクシどもに対して、いや、正確にはトホ妻に対して親切であるという“違和感”でございます。市電のホームで路線図などを広げていればたちまち親切な紳士が寄ってくる、路上でちょっとでも道に迷った様子を見せようものならたちまちオバさんが助けに寄ってくる、ウィーン中央墓地を歩いていると、こちらが尋ねてもいないのにわざわざベートーヴェンの墓がどこにあるかを教えるためにジイさんが寄ってくる、といった具合でございまして、その親切ぶりはまったく異常としか思えぬほどだったのでございます。

 かし、“違和感”はこれだけではございません。もう一つ、ハッキリと感じられたのはワタクシ達2人とすれちがうオーストリア人たちがトホ妻の顔をある時はチラチラと、ある時はシゲシゲと眺めて通り過ぎるということでございました。この行動には老若男女の別がございませんで、特に中学生くらいとおぼしきオーストリア人の少年少女の団体とすれちがった時などは、見るからに子供らしい好奇心に満ちた視線がトホ妻に集まったのでございます。

 の、「オーストリア人の異常なまでの親切」と「オーストリア人の好奇心に満ちた視線」という2つの違和感を結ぶカギはトホ妻の「見た目」にあると考えられましたので、ワタクシは客観的な立場から様々な推論を検証してみたのでございます。「東洋人、ないしは東洋人の女性が珍しいから」ということをまず考えてみましたが、音楽の都ウィーンであれば日本人女性観光客など他に掃いて捨てるほどいるわけでございますから、この「東洋人説」は説得力がございません。

 ホ妻が目の覚めるような美貌であるがゆえに人々が見つめてしまうという可能性もあるではないか、と皆様はおっしゃるかも知れませんが、上述のようにトホ妻を見つめるのは男だけではございませんでしたし、そもそも「客観的な立場から」という論点に立てば、残念ながら「トホ妻美貌説」などというものは真剣な考察に値しない仮説として打ち捨てられる運命にあるのでございます。

 かし、トホ妻と行動を共にしながら、彼女の服装・髪形・身長等々を総合的に観察したワタクシは率然としてある結論に到達したのでございます。御参考までに申し添えますと、トホ妻の髪形はカンペキな直毛、身長は156cmでございますからヨーロッパでは「かなり小柄」、そして服装はワタクシのお古のダッフルコートを着用していたのでございますが、ワタクシは身長が187cmでございますから、ワタクシのお古を着たトホ妻の姿はおおよそ下図のようなものだったのでございます。

 タクシが到達した結論、それは「オーストリア人はトホ妻を完全にコドモだと思っているのだ!」という「トホ妻コドモ説」でございます。外国人の、しかもコドモの旅行者が街で不安そうにしていれば周囲の人が我先に親切にしようとするのもうなずけますし、また日本人オトナ観光客なら見慣れているウィーン市民も「あ、東洋人のコドモだ。何年生くらいかなぁ?」などと思ってジロジロ眺めていると考えれば、あの興味に満ちた視線も説明がつくというものでございます。

 すると、必然的にワタクシども2人は夫婦とは見られていないということになるわけでございまして、「俺達はもしかすると親子だと思われている?」「いや、さすがにそれはない。兄妹か?それとも引率の先生と生徒か?」「ひょっとして、悪い日本人にさらわれてきたイタイケなアジアの子供だと思って同情してこんなに親切にしてくれるのか?!」などと様々な疑念がワタクシを悩ませたのでございます。

 かし、その後訪問したイタリアではロンドンと同様、ワタクシども2人はまぁおそらく普通の日本人アベック観光客と同じような扱いを受けたはずでございまして、特にイタリア人の興味を引いたり、親切にされたりといった“違和感”を感じることはございませんでした。「親切なおせっかい」などはむしろイタリア人の得意とするところのように思えるのでございますが…トホ妻の姿かたちが訪れる国ごとに変化したわけでもないと致しますと、上述の「トホ妻コドモ説」が当たっているとしても「なぜ、特にオーストリア人だけがトホ妻をコドモだと思ったのか?」という謎は依然として残るのでございます。

 ーロッパ各国の中でオーストリア人が特に「老け顔」だから相対的に若く見られたのか?もしかすると、たまたまその時オーストリア全土で「コドモに親切にしよう運動」が展開されていたのか?はたまたトホ妻はオーストリア人にだけ感知できる「こどもフェロモン」を分泌しているのか?…新婚旅行からすでに10年近い歳月が経過いたしましたが、あの不可思議な「ウィーンの謎」は未だにワタクシには謎のままなのでございます。

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