恐怖のトホ母.木造台所スプラッター

 和40年代の日本の庶民が住む家というはまず例外なく木造でございまして、ワタクシが子供時分に住んでおりました生家もまた粗末な木造家屋でございました。すでに「木造モルタル2階建て」という建築様式はさほど珍しいものではありませんでしたが、ワタクシの生家はモルタルすら塗られていない平屋建ての小さな家でございましたから、当時としてもやや「ボロ家」の部類に属する家ではなかったかと存じます。

 のようなボロい木造家屋ともなれば、台所でゴキブリの活躍する余地は逆に広がるのが当然でございまして、実際よく現われたものでございます。従ってワタクシにとって台所の隅っこを這うゴキブリというものはさほど珍しいものではなく、いわば蚊やハエの延長線上にある、もう少し大きな害虫という認識でございました。このような幼児体験を経ているため、現在でもワタクシはゴキブリを発見しても特に大騒ぎすることなく、冷静にゴキブリ退治に出陣する程度の免疫はあるのでございます。

 であれば様々な殺虫スプレーをはじめ、「置いておくだけで良い」という“対ゴキブリ兵器”が数多く出回っておりますからゴキブリ退治もさほど自らの手を汚すことなく行なえるのでございますが、昭和40年代前半ともなりますとまだゴキブリホイホイすら現われる前のことであったはずでございまして、当時の主婦は徒手空拳、主としてハエたたきや丸めた新聞などのプリミティブな武器だけを頼りにゴキブリに闘いを挑んだものでございます。昨今の主婦ようにゴキブリを見ただけでメモリの足りないMacintoshのようにフリーズしてしまうようなヤワな神経ではございませんでした。

 してや動物的でアバウトな世界観に支配されているワタクシの母ともなりますれば、ゴキブリを発見するやただちにハエたたきなどを握りしめ、ある時は鍋やらビンやらが林立する狭い台所の戸棚の中、またある時はテーブルの下やガスコンロの裏側などを戦場としてゴキブリとの白兵戦を繰り広げたものでございました。繰り返しますが、このこと自体はワタクシにとってはかなり見慣れた光景であって、ゴキブリにまったく恐れおののくことなく戦闘に明け暮れた母の行動はむしろ尊敬すべきものであったとすら思うのでございます。

 る夏の夜、やはりゴキブリが出現いたしました。しかしその夜のゴキブリは特に逃げ足の早いヤツでございまして、おそらくそのゴキブリと母との間には夕方頃から小規模な戦闘が繰り返されていたのでございましょう。しかしそいつは母の攻撃を巧みにかいくぐりながら再三にわたって出没し、彼女の怒りの火に油を注いでいたのではないかと想像されます。「デカいゴキブリが一匹いる」と母は申しておりましたが、その目は「今度現われたら完膚なきまでにやっつけてやる」と言わんばかりの強い戦闘意欲に燃えていたのでございます。

 がて、隠れていたゴキブリがまたまた姿を現わし、その夜何度目になるかわからぬ母との戦闘の火ぶたが切って落とされたのでございます。母は間違いなく「この一戦で決めてやる」と思っていたことでございましょう。しかし、なにぶん夏のことでございましてハエも多かったことから彼女がゴキブリを発見した時、ハエたたきは別の家族が持っていったままになっており、彼女はとっさにハエたたき以外に手近な武器を獲得する必要に迫られたのでございます。

 がとっさにその手につかんだものは包丁でございました。彼女は包丁を握りしめ、ゴキブリが潜んだと思われる戸棚の中からナベカマや調味料などを次々と床に引っ張りだしてゴキブリの隠れ場所をなくすと同時に、闘いのための広いスペースを確保するという作戦に出たのでございます。確かに、狭い戸棚の中ではハエたたきなどを振り回すのは困難でございますから、包丁という直線的に動かせる武器をとっさに選んだことは母が今後の闘いを有利に展開することを予感させるものでございました。

 れ場所がなくなるとゴキブリは圧倒的不利に追いやられるのが当然でございまして、戸棚の奥に逃げまどうゴキブリを発見するが早いか、母は手に持った包丁の刃をゴキブリに向けてたたきつけたのでございます。しかし、包丁というのは薄いものでございますからゴキブリも必死にその刃から身をかわしたため、母の包丁攻撃の第一波はむなしく戸棚の内側に切りキズをつけただけだったのでございます。

 かし、「この一戦での決着」に燃える母はなおも次々と戸棚の中のものを床に引きずりだし、戸棚をほとんどガランドウの状態にしたのでございます。こうなるともう隠れ場所のないゴキブリは戸棚のヘリを右往左往するしかございません。しかもそこに母の第二波・第三波の包丁攻撃が加えられるに至っては、さしものゴキブリも死を覚悟したことでございましょう。そしてついに何度目かの包丁攻撃がゴキブリの身体を捕らえ、そいつは壮絶な戦死を遂げたのでございます。

 様は包丁でゴキブリを殺すというと、おそらくマンガのようにゴキブリがきれいに真二つになった様子を御想像になるかもしれませんが、実際のところはゴキブリの羽はかなり堅いものでございますし、イメージとしては包丁の刃の当たったところを中心にゴキブリの身体が「くの字」に折れているところを御想像頂ければほぼその場の光景と違いはございません。見事ゴキブリとの闘いに勝利した母は荒い息を吐きながらその「くの字」に折れたゴキブリを始末し、荒れ果てた戦場の復旧作業に取りかかったのでございました。

 の凄惨な闘いの夜からすでに30年近い年月が経ちました。ワタクシも今や台所でゴキブリと死闘を繰り広げた当時の母と同じような年代に達しております。が、しかしさすがに包丁を使ってゴキブリ退治を行なう自信はございません。これは体力や運動神経の問題ではなく気分の問題なのでございまして、その意味ではあの夜見事にゴキブリを仕留めた包丁を母はその後も本来の用途に使い続けたのか…ということをワタクシは今でも時々深く考えずにはおれないのでございます。なぜか?ですから今申し上げたように、気分の問題なのでございますよ、気分の…。

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