トホ妻のグチはとってもホニャララ

 ホホ妻の帝国を今お読みになっておられる方の中には共稼ぎ御夫婦のカタワレであるという方もいらっしゃると存じます。いわんや家も一応共稼ぎでございまして、いわんや・トホ妻ともに会社員でございます。ただ、ワタクシどもの場合は社内結婚というわけではございませんから、勤め先が別々の企業なのはもちろんのこと、業種も、会社の規模も、お互いの職種もまったく共通点はございません。

 わんやは過去に何回か転職しておりますが、その全てがいわゆる「虚業」、すなわち何かのメーカーではなく、広い意味でのサービス業に属するような、まぁ簡単に申せば怪しげな商売でございました。しかもどこも中小・零細企業でございましたから、「デカい会社」「一流企業」「製造業」などといったものとは無縁のトホホな職歴を重ねてきたわけでございます。

 れに対しましてトホ妻の方はと申しますと「大学卒業後一度も転職せずに」「外資系」の「製造業」で「経理・財務ひとすじ」という職歴でございますからワタクシなどに較べればはるかに華麗なるキャリアと申せましょう。しかしここでワタクシが問題にしたいのは職歴が華麗かトホホかということではなく、冒頭申し上げたようにお互いの勤め先の業種も経営規模もお互いの職種も、とにかく完全に水と油ほどに異なっているということでございまして、会社員としてのいわんやとトホ妻の唯一の共通点は、お互いに「会社員である」ということくらいであると言わざるを得ないのでございます。

 て、ワタクシ今までに共稼ぎ御夫婦の御主人の方、あるいは奥様の方と何人かお話ししたことがございますが、お聞きした範囲では共稼ぎ夫婦というものはけっこうお互いに「仕事上のグチを言い合う」ようでございまして、これはワタクシども夫婦も例外ではございません。従いまして、相手の勤め先の「上司がどんな人で」「どんなイヤな奴がいて」「最近、会社でこれこれの事件があった」といったことに関しては自然とお互いにある程度詳しくなるものでございます。

 れが例えば、社内結婚して今でも同じ会社に勤める者同士の御夫婦とか、そこまでいかなくとも例えば雑誌編集者同士で結婚したといったような同じ職種の御夫婦であったり致しますと、仕事に関しての2人の共通点は非常に多うございます。そうなりますと、仕事上のかなり高度で専門的なグチであっても「共通の認識基盤に立って」とでも申しますか、「その辺は説明しなくてもお互いよくわかってるじゃん」という前提で話を進めてもほとんど支障はないのではないかと想像するのでございます。

 かし、なにぶんにもワタクシどもは上述のようにお互い全く共通点のない勤め人生活を送ってまいりましたから、有体に申し上げてお互いの会社生活はお互いにとって想像のつかない世界に属しているのでございます。例えばトホ妻は外資系企業の経理でございますが、ワタクシにとって「会社の中を外人が何人もウロついて」「その外人と英語で会議をして」「決算だの、月末締めだの、そういうお金に関するムズかしいことを処理して」「銀行だの、監査だの、税務署だのとお金に関するムズかしい話をする」世界というのはこれはもう自分の身に置き換えることはおろか、ワタクシにとっては想像することすら難しい世界なのでございます。

 ういう、想像もつかぬ仕事に関するグチを聞く作業というのは、時としてアタマを酷使するものでございます。これが例えば「○×課長が△□さんにセクハラしたのよ」といったゴシップ系の話であれば問題はないのでございますが、たまさかトホ妻のグチが彼女の特殊な仕事内容に深く関わったものになったり致しますと、彼女にとっては日常使い慣れた経理・財務に関する専門用語が時には英語なんかでグチの中に頻出するわけでございまして、そういう専門的な「仕事上のグチ」というのは、かの偉大なるSF作家アイザック・アシモフの表現を借りれば、ワタクシにとっては「高地火星語を聞いているようなもの」なのでございます。

 「もうアタマきちゃう。先月からホニャララアカウントのホニャララは年次ごとのバジェットじゃなくて引当金としてホニャララのタックスと一緒に繰越金でホニャララするシステムに替えたはずなのに、今頃になってホニャララ勘定の数字を請求書一枚ずつ入力しなおすって言うのよ。そうするとホニャララファイルを全部最初っから見なくちゃならないってのにさぁ、もう、信じられる?」…と、まぁ例えばこういったこと(もちろん、“ホニャララ”の部分にも何かムズかしい用語が入るのは言うまでもございません)をトホ妻から言われますと、ワタクシとしてはやはり瞬間的に失語症に陥ってしまうものでございまして、何とか話の手掛かりを見い出すためには、とりあえず質問をしてみるしかございません。

いわんや「うー…、そのさ…ホニャララファイルってどういうんだっけ?」

トホ妻 「だからさ、毎月請求書を送るでしょ?そういうものは帳簿上は全部ホニャ項目に計上されるワケなんだから、それをホニャララファイルに全部入れるの。それはどこの会社でも一緒なのよ」

いわんや「ふーん…、それを入力するのってやっぱ大変なわけだ…」

トホ妻 「アナタね、いい?三つも事業部があるのよ。ホニャトロニック事業部とヘニャックス事業部はハニホヘを売ってるからまだいいけど、ヒニャララー事業部なんてハラホロを扱ってるからカスタマーが中小企業が多いでしょ、請求書だけでもものすごい数になるんだから」

いわんや「うう…、あ、待てよ。事業部って3つだっけ?この前4つって言ってなかったっけ?」

トホ妻 「こないだ説明したじゃないよ。旧ホニャラッチ事業部とヒニャレレ事業部が統合してこないだヒニャララー事業部になったって…」

いわんや「あー…うん…そういや何か聞いた気もするな…」

 ったく、デキの悪い生徒と家庭教師の会話のようでございます。経理の専門用語は仕方がないと致しましても、せめて事業部名と扱い製品くらいキチンと覚えても良さそうなものなのでございますが、現在従業員6名の会社で働くワタクシには何度聞いても複雑過ぎてこれが覚えられないのでございます。

 かしこのままでは日本経済の一翼を担うサラリーマンとしてのワタクシの面目が立ちません。このような時、ワタクシが取る戦術は「巧妙に話題をスライドさせ、自分の得意な土俵の方に相手を引きずり込む」ということでございまして、上述の例で申せばもう少し企業経営一般の方向に話を持って行き、その辺でさりげなく会話の主導権を取り返す、という方法論が求められるわけでございます。そこでワタクシは例えば下記のような感じで話の方向転換を試みるのでございますが…

いわんや「うーん…なるほどね、やっぱり今やどの企業も経営の効率化のために事業部をどんどん統合させたり、廃止したりして組織のスリム化を図る方向にあるワケだよな、うん」

トホ妻 「スリム化って言ったってさ、ヒニャララー事業部はハラホロの原料のハラホの製造拠点を中国に移したワケだから日本にはあんなにたくさん人は要らないんだけどね」

いわんや「いや、でもね、その辺はどこの国際企業にも共通した問題でさ、今日の日経新聞にも書いてあったけど、どっかの会社が…」と、ここでワタクシはさりげなく、しかも巧妙に話題を転換しようとするのでございますが、しかしこういった努力は大抵の場合、うまくいった試しはございません。

トホ妻 「そんなことどうだっていいのよ!それより明日からアタシはホニャララファイルからホニャの項目だけ抜きだして、それをエクセルのホニャー勘定科目からフニャー科目に一個ずつフニャッチと照合しながら入力し直さなきゃならないのよ。どれくらい手間かかると思ってんのよ?」

いわんや「うう…うーん……」

 う書くと皆様は「いわんやって金勘定に関しては完全なバカだったのか」とお思いになるかも知れませんが、実はそれは全くその通りなのでございまして、その意味ではワタクシも十分トホ夫と申せましょう。しかし、だからと言ってトホ妻の専門的なグチを聞くことが苦痛かというと、これがそうとばかりも申せません。つまりワタクシにとってこういうグチは先ほど申し上げたように「つまらない」などというレベルを超えた「さっぱりわからない高地火星語」のようなものでございますから、まぁたとえて言えばまるで理解できないアラビア語のグチを聞くようなエキゾチズムがあるとでも申しましょうか、なかなかホニャララで、時にフニャララなものでございますよ…はーはっはっはっ…

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