出て来い!モグラくん!

 タクシいわんやは東京の板橋区というところで生まれ、コドモ時代を過ごしました。一方トホ妻はやはり東京の世田谷区という所で生まれ育っております。板橋区も世田谷区もまぁ東京23区の中では場末に位置しておりまして、到底“都会”とは申せませんが、やはりそこは東京。田舎に比べれば大自然に触れ合う機会なんて少ないのが当然でございまして、これまでの人生でモグラとの関わりなんて、もちろん全くございませんでした。

 いまして11月の半ば頃、初めて我が家のヘボ庭にモグラトンネルらしき痕跡を発見した時も「何?これ…まさかモグラ?…うそぉ」といった感じでワタクシの反応は極めて鈍いものだったのでございます。現在我々が住んでいる所は一応は東京都下の住宅地でもございますし、まさかモグラが、しかも自分の家の庭に現われるなんて“街のコドモ”であったワタクシにとっては「ウチの庭にライオンが現われた」というのと同じくらいに、にわかには信じ難い出来事だったのでございます。

 かしそれはマギレもなくモグラの掘ったトンネル。地面が盛り上がった地下通路が隣家との境の塀に沿ってズコズコと続いております。足でそれを踏んづけても次の日には同じようにトンネルが作られていますから、いわんや家はどうやらモグラの通り道になってしまった様子。さぁ、こうなると何しろ“街のコドモ”出身で「大自然の神秘」方面の知識に乏しいワタクシはどう対処したら良いのかもわかりません。退治するのか…でもどうやって…?と思案していたところ、やはり“街のコドモ”であるトホ妻がボソッと恐ろしいモグラ退治方法をワタクシにささやいたのでございます。

トホ妻 「…アタシね、むかし伊丹十三の本で血も凍るモグラ退治方法を読んだ記憶があるのよ」

いわんや「血も凍る?…どういうの?」

トホ妻 「…あのね…モグラの通り道に鋭利なカミソリを埋め込んでおくんだって…」

いわんや「カミソリ?!」

トホ妻 「ほら、モグラって目が見えないじゃない?それで土の中を突進して来るからさ…」

いわんや「……げっ?!…じゃ、モ、モグラがカミソリに衝突して自分の勢いでスパーッと…」

トホ妻 「…そう…」

いわんや「……!!!…」

 あああ!な、何と恐ろしい!モグラ退治とは、かくも凄惨な行為なのでございましょうか。万一そんな方法でモグラ退治に成功したとしても、ワタクシ、チョン切れたゴキブリならティッシュを使って手でつかむことは出来ますが、チョン切れたモグラはたとえ新聞紙を使ってもつかむ自信はございません。大体、そこに“ヒラキ”になったモグラがいるかも知れないと思ったら、その「カミソリワナ」を仕掛けた場所を掘り返す自信もないのでございます。

 めて何か、もうちょっとマシな退治方法はないものか…そのためにはまず敵の生態を知ることが重要なのは申すまでもございません。そこで、ワタクシは我が家の本棚から小学館ジャポニカ大百科事典の17巻「ま→ゆ」を取り出したのでございます。このジャポニカは「昭和47年4月1日第2版3刷発行」という、トテツもなく古いものでございますが、ワタクシ今でもこれを愛用しております。

 タクシは布団の中に重いジャポニカを持ち込み、「ま→ゆ」の巻の「モグラ」の項目をひもといて早速モグラ研究に着手致しました。トホ妻もういうヘンな調べものをコトのほか面白がる女でございますので、ワタクシは自分で「モグラ」の項目を読むついでに、興味津々のトホ妻にも請われるままにこれを読んで聞かせたのでございました。以下、布団の中で行われたモグラ対策検討会議の“議事録”でございます。

いわんや「も、モ…もく…あった、あった。モグラ…哺乳類・食虫目・モグラ亜科に属するものの総称…ヨーロッパモグラ属…タルパ(Talpa)、アルタイモグラ属…アシオス…カロプス?(Asioscalops)、ミズモグラ属えー…エウロ…エウロスカプトル(Euroscaptor)かな?ニオイモグラ属…ス、スカプト…キルス?(Scaptochirus)、ニホンモグラ属…モゲラ(Mogera)…」

トホ妻 「モゲラ!アッハハハハ!そ、それって…最後にそんなオチがあるとは思わなかった!…ハハハ…それ書いた人、絶対ウケ狙って最後にモゲラを持って来たのよ!…ハハハハ…」

いわんや「しょうがないだろ、そう書いてあるんだから。えーっと…日本にはミズモグラ属とニホンモグラ属の2属が生息する。前者はモグラ類の仲間で最も原始的なもので、本州の低山帯以上の湿交林・針葉樹林に生息する。ニホンモグラ属のアズマモグラ…エム・モゲラ(M.mogera)に似るが…」

トホ妻 「ハハハハ!えむもげら!ハハハハハ…」

いわんや「そう書いてあるんだってば。それで…えー…アズマモグラは頭胴長12センチ内外で本州・四国・九州に分布し、平野の草原・田・畑・疎林に生息する。えー…トンネル生活者で…」

トホ妻 「ヒャハハハハ!せ、生活者って…だってモグラでしょ?…トンネルん中に本棚とか作って生活してたりして…それじゃ童話だよね、ハハハハ…」

いわんや「大体さ、童話ン中のモグラの固定的なイメージってサングラスかけててさ、頭にライトの付いたヘルメットかぶって、オーバーオールとか着てるんだよな」

トホ妻 「ハハハ…それで、炭鉱夫みたいにシャベル持っててさ…ハハハ」

いわんや「えーっと、話がそれた。えー…トンネル生活者で、ミミズ・昆虫の幼虫・クモ・ムカデ、ときにカエル・カタツムリも食べる。貪食(どんしょく)で、一日にミミズを48匹も食べた記録がある…」

トホ妻 「ハハハ…!48匹!…そのモグラもまさかそんなことが記録されてるとは思わないよね…ハハハ!」

いわんや「天敵はイイズナ・オコジョ・キツネ・アナグマ・フクロウ・ノスリなど…だってさ」

トホ妻 「しかしさぁ、モグラ退治のためにいくら何でもフクロウは飼えないよねぇ…ホウとか鳴かれたら近所迷惑だもんねぇ…ハハハハ…」

いわんや「…えー…モグラは農作物を害するため、日本ではそれを防ぐための土竜打ち(もぐら打ち)の行事が各地で行われたが、フランスのノルマンディー地方にも同じ趣旨の行事があった…」

トホ妻 「なに?そのモグラ打ちって…退治法?」

いわんや「待て待て、次の項目に書いてある。えー…もぐら打ち…田畑を荒らすモグラの害を防ぐための呪的(じゅてき)行事…多くは子ども行事になっており、“もぐら打ちどんどこせ”などと囃しながらワラ束で畑や家のまわりの土を打ち回るものと…」

トホ妻 「アハハハハ!

いわんや「ワラ打ちの横槌に縄をつけ、“なまこ殿のお通りだ、もぐら殿はお留守かい”などと引いて回るなまこ引きの形式とがある…」

トホ妻 「アーッハハハハ…!あ、アタシには出来ない〜!“どんどこせ”とか“お留守かい”とか言いながら家の周りを回るなんて出来ないよ〜!近所の人は何事かと思うよ、ハハハ…」

いわんや「ダメだよ、やんなきゃ。今度の週末二人でやってみるか?どんどこせって…」

トホ妻 「ハハハハハハハハ…!

 はトホ妻だけではなく、ワタクシ自身もこのモグラについての記述を読みながらつい笑ってしまったのでございましたが、しかしまた同時にモグラ研究の奥深さに感動を覚えたのも事実なのでございます。特にワタクシが感動したのは「48匹のミミズ」のくだりでございまして、おそらくどこかの生物学研究室で、助手が一日中ジッとモグラが食ったミミズを勘定し、やがて「せ、先生!モグ子が今、48匹めを食いました!」「おおっ…そうかっ!」といったようなヤリトリがあったと想像すると、過去モグラ研究に携わった方々の情熱に頭が下がる思いでございます。

 れにしても、さすがは愛用のジャポニカ百科事典。上に書いた“議事録”は実はほんの抜粋でございまして、実際にはモグラに関する高度に学術的な記述がこの何倍もあるのでございます。「モグラ」一語をひもといただけで、ここまで奥深い知識を獲得できるとは思いませんでした。モグラの“ミミズ大食いチャンピオン”の記録まで知っている人間が一体日本に何人おりましょうや?これをお読みになったアナタ様も、モグラ知識に関してはもう誰にもヒケを取ることはございません。

 の上、当トホ妻帝国掲示板でも皆様から様々なモグラ退治法を御教示頂いたわけでございますから、いわんやの「対モグラ知識武装」はもはや完璧。あとは綿密なモグラ退治作戦を立案・決行するばかり…と思っていたのですが、ワタクシのモグラ知識に恐れをなしたのか、その後、モグラが我が家の庭に現われた形跡がなく、ヨウとして行方が知れません。どうしたのだモグラくん!出て来て僕と勝負したまえ!と、まるでワタクシは「巨人の星」の花形満(古すぎる)のような心境でモグラが再び出没するのを待っているのでございます。

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