恐怖のトホ母.ケチャップライスのトラウマ

 タクシの母は極めて元気かつ健康な女でございまして、現在もヨワイ70を過ぎて相変わらず元気かつ健康に生きておりますが、彼 女の「元気」「健康」という生きざまは今にして思えば「細かいことは気にせず、 食い物をたくさん食えば良い」という非常に動物的かつアバウトな世界観に裏打ちされたものであったと思えてなりません。これからお話し申し上げる出来事も彼女のそのような世界観が強く投影されたものでございまして、このような母親に育てられたワタクシが現在のように繊細なオトナに成長できたことは奇跡と申すほかございませ ん。

 代は昭和40年代前半、すなわちワタクシが10才前後のクソガキ小学生の頃の話でございまして、当時の日本は今とは較べものにならぬほど貧しゅうございました。普通のサラリーマン世帯でございましたワタクシの生家もまた極めてつましい生活を送る ごく一般的な庶民の家だったと申せましょう。

  時は食生活も今ほど豊かではございませんから、「残りご飯」を使った夕食というのは文字通り日常茶飯事でございまして、ワタクシなどは幼少時代の食生活の影響か、 いまだに残りご飯を使ったメニューが好きなほどでございます。しかし「残りご飯メ ニュー」というのはさほどバラエティはございません。「おじや」「チャーハン」と いったところがまぁ妥当なところでございまして、これが「オムライス」になりますと子供の頃のワタクシにとっては前の2つに比べて明らかにワンランク上の、たいそう魅惑的なご馳走だったのでございます。

 の夜、母は幼きワタクシと姉のためにオムライスを作ってやると宣言したので ございます。昭和40年代の小学生はまさに餓鬼でございますからワタクシはオムライスの完成を今か今かと待っていたのでございました。

 て、御存知のようにオムライスは薄焼き卵の中にケチャップライスが入っておりまして、調理にはトマトケチャップが不可欠でございます。今であればケチャップといえば半透明のビニールチューブに入ったものを御想像になりましょうが、当時のケチャップはまだ暗褐色のガラスびんに入っているのが普通でございました。しかもどの家庭でもそうであったように我が家でも使い古しのガラスびんは捨てたりせずに別の液体を入れる容器として再利用したものでご ざいます。

 はケチャップライス調理に際しましていつものように暗褐色のガラスびんを取り出し、 炒めご飯にトマトケチャップをかけた…つもりだったのでございますが、お察しの通り、それはトマトケチャップではなく、再利用したガラスびんに入っていた別の液体だったのでございます。中身を確認しずらい暗褐色のびんが招いた悲劇…いやそれ以 上に、事前に中身を確認しなかった母のアバウトな世界観が招いた悲劇と申せましょう。

 もちろん、母は瞬時にして自分の致命的 なミスに気付いたはずでございます。しかしその時彼女の思考プロセスは「致命的な失敗を犯したとはいえ、この炒めご飯を無駄にはしたくない」→「すぐに気付いたのだから“別の液体”はそれほど大量にかけたわけではない」→「今からケチャップをかければごまかせるかもしれない」→「どうせ相手は自分の子供、とにかく食わせれば良い」という流れをたどったのでご ざいましょう。結局母は改めてケチャップをかけ、それらしき色と味を加えることで強行突破を図ったわけでございまして、最後にそのケチャップライスを薄焼き卵でくるむ時、母にとってそれは文字通り自ら犯した過ちを包み隠す行為と思えたに違いございません。

 何も言わずに母はオムライスを卓上 に並べました。飢えたワタクシがまさにむさぼるようにそれを食べはじめたのは申す までもございません…が、ひとくち食べたところで早くもワタクシの舌、そして鼻孔は異常を感知したのでございます。ワタクシの様子を観察していた母はコトここに至ってもはや隠し通す事は出来ぬと観念したのでございましょう、ついに白状いたしました。

 「そのオムライス、ちょっと変な味する?実はね、お母さん間違って梅酒入れちゃったのよ」…ああ、人類の歴史始まって以来、梅酒入りケチャップライスなどというものを食った人間がかつて存在したでございましょうか。それは全くもって筆舌に尽くしがたい味と申し上げるほかないシロモノでございまして、ワタクシの拙い筆はあの味を皆様にここでお伝えするスベを持ちません。どうしてもそれを知りたいという方は御自宅の台所で実際に作って御試食頂きとう存じます。

 かし、なにぶんにもそれがその夜の唯一の食い物でございましたし、ワタクシは飢えた子供でもございますれば、飢えを満たすにはそれを食う以外に方法はなかったのでございます。人間、飢えれば何でも食うものであるという深遠な哲理をワタクシは小学生にして、しかも自分の身をもって悟ってしまったのでございました。

 時、我が家では梅酒だけは「子供が飲んでも良いお酒」とされておりまして、ワタクシもその味は知っておりましたし、けっこう喜んで飲んでおったのでございますが、それがご飯やタマネギを炒める際の調味料として使用され、あまつさえそれに無理矢理ケチャップ味を付けたものを食ってしまった以上、もはやワタクシの「梅酒観」は根底から、しかも永久に崩壊してしまったのでございます。最近では梅酒を飲む機会などめったにございませんが、いまだに「梅酒」と聞きますとあの時食った表現しようのない梅酒風味のケチャップライスの味が口腔内にマザマザとよみがえってくるワタクシでございます。

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