★トホ妻の原始的宗教行為に関する考察

 婚して配偶者と暮らし、2年3年と経過していくうちに、人は必ず「何だってまたウチの女房はこんなコトに異常にコダワルのであろうか?」「ウチのバカ亭主は何でこんなつまらないことに対してカタクナになるのであろうか?」と言いたくなるような事象に必ず出会うものでございます。たとえば「メシを食う時は必ず最初に味噌汁を口にしなければならぬ」という信条を持った配偶者を持ったとすれば、「そんなことドウでもいい」と思っているガワからすればそのコダワリは全く論理的な理解を超えたモノにしか写らないのは致し方ございますまい。

 のような理屈の通らない主張、理屈を超えた信条を持った配偶者を、理屈で理解しようと思ってもそれは不可能であるということを近年ワタクシもようやく悟るに至りました。もはやこれは理屈ではございませぬ。宗教なのでございます。配偶者が信奉するわけのわからぬ信条・コダワリといったものはコレみなすべて宗教。そう考えれば「なんだコイツは?」と思っていたことも「これも信仰なんだからまぁ仕方ないか」という気分になれる…かもしれないのでございます。トホ妻もまた、ワタクシには理解できない「ワケのわからぬコダワリ」を主張する女でございますが、どうやらその信仰の方向性はイマ風な新興宗教ではなく、かなり原始宗教に近いようでございまして、たとえば…

   

原始宗教1.「太陽信仰」

 様はニワカには信じられぬとおっしゃるでしょうが、実はホ妻は「太陽信仰のオンナ」だったのでございます。ただ、古代エジプトのソレと異なるのは、トホ妻の太陽信仰がトにもカクにも「様々な布をお日様にあてる」という行為を神聖化しているという点。たとえば濡れた洗濯物を干すような場合、ワタクシにとって「干す」という行為の目的は「布を乾かすこと」にあるわけでございますから、部屋にブラ下げて乾かそうが、スト−プの前にかざそうが、とにかく乾けばイイのでございますが、太陽信仰に燃えるトホ妻にとっては、洗濯物はすべからく聖なる太陽の祝福を受けて干さねばナラヌもののようなのでございます。

 働きである我々夫婦は土日のどちらかをトホ妻が洗濯日とし、残った方をワタクシが洗濯日とすることが多うございますが、たまさか土日の両方とも曇っていたり雨だったりしようものなら、トホ妻は洗濯そのものをヤメてしまうくらいでございますから、その太陽信仰はかなり強固なものと思われます。ワタクシから見れば、お日様に当てるかどうかなどということより、一週間分の洗濯物をため込むことの方がはるかに大問題のような気が…。

 濯物だけではございませぬ。土日にお日様がポカポカと照っていようものなら、太陽信仰に燃えるトホ妻はたちまち毛布やフトンを聖なる太陽に向けて干したいという宗教的衝動に取り付かれるのでございます。当然、寝ているワタクシは容赦なくタタキ起こされる結果となり、万一ワタクシが寝床から出ようとせずに彼女の「聖なる太陽とフトンの交歓」を阻害しようものなら、モノスゴい勢いで怒られるのでございます。そして午後になって干した毛布をパンパン叩いて取り込むと、そこに顔を埋めたりクルマッたりして、ウットリと喜びに浸るトホ妻…これはもはや、一種の宗教的法悦と申すべきなのでございましょうか?

 かに、日光にはナニガシかの消毒ないし殺菌効果というのがあるはず。ワタクシだって天気が良ければ洗濯物を外に干しますし、独身一人暮らし時代に自ら布団をお日様にあてて干すことだって…年に数回くらいはございました。そして、干した布団は確かに気持ちがいいものでございます。その意味ではトホ妻の太陽信仰は多少なりともまだ理屈の通る余地のある、比較的「スジのいい方」と言えるわけでございまして、要するにトホ妻とワタクシとは「同じ考え方で程度の差」が著しいだけなのだ、と考えることも出来るわけでございます。しかしトホ妻の原始宗教はこれだけではございませんで…。

  

原始宗教2.「毛穴信仰」

 間の身体に一部、あるいは人体そのものに宗教的意味付けを与えるような信仰と申しますと、「巨大イチモツを御神体にしている神社」などが思い出されますが、メジャーな宗教としては現在ではほとんど残っていないのではないでしょうか?ワタクシも身近にそんな例を見たことはございませぬ。だがしかし、トホ妻は21世紀のコンニチでも人間の身体の一部を神聖視しているのでございまして、しかもその「身体の一部」というのが、よりにもよって「毛穴」とは…。ワタクシの長年の観察によりますと、毛穴信仰のポイントはほぼ以下の諸点に集約されるようでございます。

1. シャワーを浴びただけでは毛穴が開かない。毛穴が開かないことはワザワイであり、真夏でもチャンと熱い風呂に入って毛穴をよーく開き、毛穴の中の汚れも落とさなければならない。

2. 暖かい場所から急に寒い場所に出てガタガタ震えるのは、「毛穴が開いている」からである。

3. アルコールを飲むと毛穴が開く。従って、真冬に暖房の効いた場所で酒を飲んだあと、外に出ると極端に寒く感じるが、ソレもコレもみな毛穴のせいである。

4. だんだん寒さに身体が慣れることを「毛穴が閉じてきた」と表現しなければならない。

5. その他、どんな事象でも毛穴に結び付けられそうなコトは結びつけねばならない。

 のクソ暑い時期でございますよ?イチイチ風呂なんて入っていられませぬ。シャワーで十分ではございませんか。しかし、トホ妻は夏であろうがナンであろうが、「風呂に入って毛穴を開く」ことを神聖視しているのでございまして、トホ妻にとって風呂というのは「身体を洗う場所」ではなく「毛穴を開く場所」のようなのでございます。ワタクシなど、真夏に熱い風呂に入ろうものなら風呂上がりにたちまち汗ミドロになってしまい、思わずもう一度シャワーで汗を流したくなってしまうくらい。しかし毛穴信仰に洗脳されたトホ妻の目にはワタクシなどは「毛穴を開かない邪教徒」に見えるのでございましょうねぇ…。

トホ妻 「ほら、まだお風呂熱いからアナタも入りな」

いわんや「いいよ〜今日は暑いしぃ〜。オレは寝る前にサッとシャワー浴びるから」

トホ妻 「シャワーだけじゃ毛穴が開かないでしょーーッ!!」

いわんや「あーあ、また始まったよ…得意の毛穴信仰がぁぁぁぁー」

 いまして、夏であろうがナンであろうが、トホ妻は容赦なく風呂を沸かし、自分だけまずサッサと入るわけでございまして、湯舟の中では彼女はお湯に浸ると同時に「自分の毛穴を開く」という、ワタクシには到底感じられない身体的変化を感じつつ、宗教的法悦に浸っているわけなのでございましょうねぇ…。

   

原始宗教3.「拝火教、ないしはオユ信仰」

 とえばみなさまが夜間の外出から御自宅に戻って来られた時、家のカギを開け、玄関に入り、部屋の照明をつけ…さて、その後いったい何をなさいますか?「まず着替える」「とりあえずテレビでもつける」あたりがおそらく最もよくあるパターンではないかと思われるのでございまして、まぁ何らかの切迫した状況下においては「トイレに駆け込む」「そのままバタリと寝る」「着替えるのもソコソコに、借りてきたアダルトビデオを見る」等々のやや変則的な行為に走る方もいらっしゃいましょうが。

 ホ妻の場合、家に帰ってきて最初にするのが何かと申しますと…それは「ヤカンでお湯をわかす」という行為なのでございます。たとえば冬の寒い夜などに、外から帰って冷えた身体を暖めるために熱いコーヒーを飲みたいからお湯をわかす、といったように使い道が決まっているのであれば、これはごく自然な行為でございましょう。しかし、トホ妻の「お湯をわかす」という行為には実は何の目的性も存在していないということに、結婚後数年してワタクシは気付いたのでございまして、「オユ信仰」とでも言うべき、理屈ヌキの、理屈の通らない、理屈を超えた行為だったのでございます。

いわんや「なぁ…そんなにたくさんお湯わかしてどうすんだよ」

トホ妻 「お湯はね、家の中には常になきゃいけないの」

いわんや「つ、常にって…使い道もなくお湯わかしてどうすんのさ?エネルギーのムダじゃんよー」

トホ妻 「何言ってんよ。いい?主婦たるものその家のお湯を切らせるなんてことがあっちゃイケナイの。チンチン沸いたお湯からたちのぼる蒸気…これこそが平和な家庭を象徴するのであってね…」

いわんや「何ワケのわかんねーコト言ってんだ?お湯の使い道がないなら火、消すぞ」

トホ妻 「消しちゃダメー!んじゃ、わいたらアタシがそれで顔洗うモン!それならイイでしょ!」

 の会話からもお分かりのように、トホ妻にとっては「いまお湯を沸かしている」「沸いた状態のお湯が存在する」こと自体に宗教的意味が存在するようなのでございますが、オユ信仰の教典には沸かしたお湯の使い道についてはあまり書かれていないようでございます。だがしかし、いくら信仰の自由とは申せ、ゾロアスター教のごときこの拝火教・オユ信仰はワタクシもさすがに看過できぬところ。なぜならこれは明らかにガスの無駄使いでございます。地球温暖化の危機が叫ばれるコンニチ、時代に逆行したこのような邪教を許しておけましょうや。

いわんや「はぁー…またヤカンでオユ信仰かよ…ガスの無駄じゃんよー」

トホ妻 「ダメッ!お湯が常にあってこそ平和な家庭なんだって言ってるでしょッ!」

いわんや「じゃ、ポットに入れといて、そのお湯使えばいいじゃん、イチイチ沸かさなくても」

トホ妻 「ところがね、恐ろしいことにアタシはポットに入ってるお湯じゃイヤなのよ。ヤカンの中でチンチン沸いてるお湯じゃないと…」

いわんや「ほー、さすがはオユ信仰。ヤカンはいいけどポットはダメなわけかよ…ってなぁ…そんなワケわかんねー理由で無駄なお湯沸かしてもしょうがないの!消すぞ」

トホ妻 「待ちなさいってば。いい?どっかの家で急に赤ん坊が生まれるかも知れないでしょう?」

いわんや「ほっほー…さすがはオユ信仰。近所のカミさんが急に産気づいた時のために…ってなぁ…うーまーれーまーせん!!

     

 ちろん、ワタクシにも「トホ妻に言わせればヘンな」習慣は幾つかございます。たとえば、大変な暑がり・汗っかきで夏ともなれば上半身裸で昼寝をすることも珍しくないワタクシでございますが、こういった場合でも「必ず腹には何かかけなければならない」ということだけは遵守しております。それが毛布であろうがザブトンであろうが、あるいはさっき脱ぎ捨てたTシャツであろうが、とにかく何か腹にかけなければならないのでございまして、もちろん、これは「腹を冷やさないように」という配慮からでございます。ところが、邪悪なるトホ妻はワタクシのこの行為をなぜか攻撃してまいりまして…。

トホ妻 「まーたオナカにザブトン乗せて寝てるよこのオトコは…」

いわんや「当然だろ。夏にお腹を出して寝ると冷えて腹を壊す。カミナリ様がおヘソを取るっていう迷信もだなー、夕立になって気温が下がった時に腹を出さないようにっていう科学的イマシメなわけでさ…」

トホ妻 「イイ年してなに言ってんのよ。アナタのその『オナカ信仰』には笑っちゃうね」

いわんやオナカ信仰だと?!あのなー、腹を冷やさないようにするってのは、これは科学的な根拠に基づいているんだぞ。自分の毛穴信仰だのオユ信仰だのと一緒にすんな」

トホ妻 「ほーっほっほっほ。笑わしてくれるね。おーら(腹に乗ったザブトンをはぐ)」

いわんや「何すんだ!腹を冷やしたらダメなんだったらーッ!」

トホ妻 「きゃはは!出たよオナカ信仰(笑)」

 のように、「お腹を冷やしてはイカン」という科学的なワタクシの行為をトホ妻はコトあるごとに弾圧するのでございまして、まったく悪辣な女でございます。そもそもワタクシがお腹にザブトン乗せたからって一体誰に迷惑が及ぶというのですか!自分は原始的な拝火教オユ信仰などにウツツを抜かし、エネルギーを無駄使いして地球温暖化に拍車をかけているくせに、ワタクシの科学的な腹部の保護行為を妨害するとは。むしろオユ信仰などという反地球的原始宗教こそボク滅しなければならぬと皆様もお思いになりましょう?こうしていわんや家の不毛な“宗教戦争”は果てしなく続いていくのかと思うと…あああああ。

   

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