悪野猫之進様よりの投稿4

 つて結婚初夜の食あたりネタや御両親の「トドネタ」などをお送り頂いた悪野猫之進様からひさしぶりの投稿を頂戴致しました。今回は「トドネタ」にも御登場された父上ネタでございます。こういうのも「父から娘への性教育」の一種と申し上げてものでございましょうか…?

 回の投稿の「とど」ですが、亡父は母のことは「ごまふあざらし」と呼んでました。
手足の斑点(シミ)のせいで。そんな亡父のトホホネタです。いや、トホ自分か?

 歳のころ、私は自分は父親から産まれたと信じてました。
理由?
「俺はおまえが生まれた日に分娩台で寝たんや」
という父の言葉を信じたのです。いや、嘘は言ってないのですが。
私が産まれた日は大嵐で帰れなくなった父が、病院に泊まって空いていた分娩台で寝た、というのが真実で・・・・。

 の言葉に
「ぶんべんだいってなぁに?」
愛らしい2歳児は聞きます。
「子供が生まれるときに寝る台や」
父の返答はこうでした。
いや、人生の最初期の記憶としては最悪の部類にはいるのではないでしょうか?(笑)

 2才?…にさい、ですよね?2才児ってもうこんな難しいコトを理解できるものなのでございましょうか?ワタクシ自身の2才児の時のことを想像してみても、おそらくケモノと大差なかったはずでございまして、「自分は誰かから生まれた」「自分を生んだのは(どちらかの)親である」などという高度に抽象的な概念を理解できたとは到底思えないのでございますが…

 「親がアタシを生んだ」→「お父さんは親である」→「お父さんはぶんべんだいに寝た」→「ぶんべんだいっていうのはコドモが生まれる時に寝るらしい」→「ってことはアタシはお父さんから生まれた」という、この悪野猫之進様の論法は、ある意味では文句のつけようのない、完璧な論理展開でございます。結果的には間違いとは申せ、2才児でありながらここまで考えることが出来たことの方に逆に感心せずにはおれませぬ。

 タクシの人生最初期の記憶といえば…どこかのデパートの天井に季節感を演出するディスプレイとして飾られていたプラスチック製のブドウを食べたいといって泣いた、というのがございますが、おそらくこの時ですらワタクシはもう3〜4才にはなっていたはず…。やはりケモノと大差なかったようでございまして、2才にして自分の誕生の謎を掘り下げようとする悪野猫之進様の早熟な知性には脱帽する他ございません。このような早熟な知性の持ち主が現在どのようなオトナに成長されたのか…はよく存じませんが…悪野猫之進様、このたびは投稿ありがとうございました。

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