meg様よりの投稿2

 し振りのmeg様からの投稿でございます。前回投稿では息子サンのショーゲキ的な芸術活動で我々を悪夢と悪臭の底に突き落として下さったmeg様でございますが、今回は…とりあえずお食事中の方が読んでも大丈夫なネタであることは確かなようでございます。

 ーパーで買い物をしていた時の事です。
つつがなく品物を選び終え、レジに並びました。わたしの番はすぐにまわってきます。とても順調です。...この時までは。

 ジのおばちゃんが「¥○,○○○です」と告げます。わたしもそれに応えて「確か千円札が3枚あったはず...」とか思いながら財布を取り出すべくバッグを開けました。

 そして次の瞬間わたしは信じられない光景を目にするのです。
当然そこにあるべき財布は陰も形も見当たりません。かわりにそこにあったのは...

真っ赤なフレッシュトマト

だったのです...!!


はあっ!?」わたしの意識は瞬時に遥かかなたへ。もう、なにがなにやら全く分かりません。

 かろうじて会計は一緒にいた主人が済ませてくれました。が、ナゾは変わらずナゾのまま。だってトマトですよ?しかも生。ビニール袋にすら入っていません。よくぞつぶれずにおさまっていたものです。

 もしかして長男のイタズラかも、とも考えましたが彼には冷蔵庫に届くような身長はありません。
まして主人がそんなイタズラをしてもメリットがあるとは思えません。(多分)

 すると、乳飲み子の長女をおいて他にはワタシしかおりません。しかし納得がいきません。だいたい、財布とトマトなんて間違えようがないはずです。強いて共通点を挙げればワタシの財布もトマトも赤い、ということぐらいです。ですが、この年になってただ「赤い」というだけで財布とトマトを間違えたりするものでしょうか...?

 現在に至るまでこのナゾは解決の糸口すら見つかっておりません。
まあ、主人に言わせれば「お前がやらかしたんだろ」ということのようですが...

 タクシ、直接読んだことはございませんが、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ作品の中のドレかに有名な言葉があるそうでございます。正確な引用ではございませんが、主旨としては「あらゆる不可能を全て排除した後、最後に残った可能性がどんなに信じ難いものであっても、それが真実である」といった意味の言葉でございます。

 回の投稿はこの金言を想起させる内容でございます。御主人、息子サン、生まれたばかりのお嬢様の3名がイタズラしたという可能性は動機的にも物理的にもあり得ないとして「全て排除した後」、最後に残った「アタシが自分で財布とトマトを間違えた」という推論。それが「どんなに信じ難いものであってもそれが真実」なのでございますよ。いやしかし、普通、間違えますかねぇ?…財布とトマトを…。

 meg様が前回投稿をお送り下さったのはおそらく一昨年の終わり頃ではないかと思われますが、当時ツワリ中でいらっしゃったmeg様もその後めでたく女児を出産され、今では立派な2児の母だそうでございます。時の流れるのは早いものでございますねぇ…息子サンもかなり大きくなられたことでございましょうが、その後ウンチ絵画創作活動の方はどうなっているのかも気になるところでございます。meg様、このたびは投稿ありがとうございました。

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