イスタンブールトホホ紀行その3. 

●昼は殊勝に黒海の絶景を眺め、夜は…

 スタンブール3日目。この日は朝から夜遅くまでなかなかタイトなスケジュールの日でございまして、まず出かけたのがおなじみの波止場。ちなみに、我々がイスタンブール滞在中、何度も足を運んだこの波止場の名称は「エミノニュ」というのですが、トホ妻は結局最後までこの波止場の名称を覚えられずに「ムニュムニュ」など言っていたわけでございますが、ハイ、この3日目もまずムニュムニュの波止場に4人で足を運んだわけでございます。

 こから定期遊覧船に乗っていよいよボスポラス海峡クルーズ。ボスポラス海峡の南口にあるイスタンブールから、“ボスポラス北口”にあたるアナドル・ヒサリまで約2時間弱の船の旅というわけでございますが、海から見たイスタンブールの眺めというのがこれまた実に絶景。北上すれば左にヨーロッパ大陸、右にアジア大陸を見ながら進むわけでございまして、その幅は最も狭いところでは700mとか。海峡沿いには途中には瀟洒なモスクがあったり、宮殿があったり、城塞があったり、ホテルがあったり…両大陸を結ぶ第1・第2ボスポラス大橋の下もくぐるわけで、実に見どころ一杯でございます。

ボスポラス海峡沿いに建つ美しいモスク

 して到着致しました、定期遊覧船の終着アナドル・ヒサリ(ちなみに、トルコ語ではアナドルというのは『アジアの』、ヒサリというのは『要塞』という意味だそうで、アジア側要塞ということになりましょうか)。ここはもうボスポラス海峡の出口、黒海に近いところでございまして、ガイドブックによりますと「必死コイて城塞跡まで登って行くと絶景が待っている」とか何とか…。まずは昼飯を食ってひと休みした我々、ちょっと足の悪い父親はさすがにここは自重してワタクシ、トホ妻、そして母親という3人でその「絶景の待つ城塞跡」まで登ったわけでございますが…

 やもうこれがキツいのなんの。ゲッと言いたくなるような急坂を片道20分程度の行程でございますが、歩くことはさほど苦にしないワタクシやトホ妻にもこれはキツかった。しかしその同じ急勾配の道を76才にもなって「暑いわねー!」などと言いつつ同じように登ってしまう我が母親の体力というのは一体…。しかし頂上に達してみますと、ガイドブックにあった通りに遥か黒海を望むその絶景は実に素晴らしいもので、足の痛みと暑さにゲロゲロになった我々も涼しい風を受けながらしばし陶然と見とれたものでございました。

向こうの水平線はもう黒海…

 界で父親と合流し、再び遊覧船に乗り込んで帰途についたわけでございますが、それにしても感心する…いや、呆れるのがボスポラス海峡沿いの建物がドレもコレもやたらに「水面ギリギリ」に建っているそのアリサマ。日本的感覚で言えば「台風でも来て波が高くなったらドウするんだ?」「せめて防波堤くらい作らなくていいのか?ヲイ」と思ってしまいますが、何せここは内海である地中海からまたチョイと奥まったところにあるボスポラス海峡。すでに地中海が汐の干満が少ないことで知られておりますから、この辺なら、水面ギリギリに建物を建ててもドウってことはないのでございましょうねぇ。

そんなギリギリでいいのかッ?!

 事にイスタンブール旧市街のムニュムニュ…いや、エミノニュの波止場に戻ってきたのが4時頃でございましたでしょうか。汗ダクの上に今日の登山で足も鉛のように疲れておりましたから、とりあえずはいったんホテルに戻って休息。だがしかし、何しろ今日はタイトなスケジュールなのでございます。しばしの休憩をとったところで再び我々はモソモソと活動を再開し、ちょっと早めの晩飯を済ませ、そのまま路面電車に乗って電話で予約したナイトクラブに赴いて本場のベリー・ダンスショーの観賞というわけでございます。

 のナイトクラブはイスタンブールでも有名な店だそうで(料金も高かった〜)、ベリーダンス以外にも様々な民族衣装などを見せてくれます。外国人観光客が圧倒的に多い店だけあってその扱いは手慣れたもので、我々をテーブルに案内すると「ドコから来たんだ?」というおなじみの質問。「日本からだよ」と答えるとすかさず我々のテーブルには日の丸の旗が飾られるというアンバイでございましたが、他のテーブルはと見れば星条旗やユニオンジャックはもとより、韓国国旗、アルゼンチン国旗、スペイン、オランダ、ケニア、イスラエル・・・呆れるほど国際性に富んだ客層でございました。

 場のベリーダンスはさすがに大したものでしたが、それ以外の民族舞踊もなかなかの見ごたえ。しかしある意味最も“驚いた”のは最後に見た歌手のショーではないかと思われます。この歌手、まぁ普通に歌も唄うのですが、驚異的なのは先程挙げた「世界各国からの客」のために、その国の歌をその国の言葉で(!)1曲ずつ唄うのでございまして、コレにはビックリ。伴奏対応するバックバンドにもビックリ致しました。観光客が来るかも知れない国の歌の譜面を全部ストックし、普段から練習してるってこと?

激しく動くダンサーの撮影は難しい!比較的マシな1枚を。

 なみに、我々日本人客のために彼が唄ってくれたのは「幸せなら手をたたこう」。日本語の発音も立派なものでございましたが、他にもケニアの歌、ボスニア・ヘルツェゴビナの歌、イランの歌、韓国の歌…全部その国の言葉で唄うのでございます。あービックリした。ビックリしてナイトクラブを出て、タクシーでホテルに戻ってきたのがちょうど夜の12時頃でございましたか。いやはや…ハードな一日だった。今日の昼間、ボスポラス海峡を船に乗り、城塞に登って黒海なんか眺めたことが遠い昔のことに思えた、この夜のワタクシなのでございました…。

  

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