スペイントホホ紀行 その7.

ああ、哀れみのイチゴ水…セビリヤのイブ・モンタン人情話

 牛場での払い戻しをやっと済ませた我々は、疲れた身体を引きずって川っぺりの道をユルユルと歩きながら中心街に戻ってきたのでございます。あの騒ぎで疲れていた上に、何しろマドリッドに戻る夜行バスの出発時間が夜中の0時でございますからまだ時間がかなり余っておりまして、自然と歩調もユルユルしたものになってしまいます。

map7 は言ってもさすがに歩き疲れたことでもありますし、そろそろ晩メシでも食うかということになりましたのが確か8時頃。サンタクルス街のとあるレストランに入ったのでございます。しかし、何しろこのあと約6時間も夜行バスに揺られるわけですから、あまりタラフク食うのも考えもの。トホ妻もバス移動に備えて水分はなるべく控えたいと申しておりまして、懐には闘牛場で払い戻された1万ペセタ(8000円ほど)という“臨時収入”もあったのですが、どうしてもオーダーはショボい方向に向かわざるを得ないのでございます。

 々の注文はサラダ一皿にミックスパエリャ一皿(これはもともと2人前)のみ。あとはトホ妻がレモネードにワタクシがセルベッサ(ビール)というものでございました。我々のテーブルを担当したカマレロ(ウエイター)はちょっとイブ・モンタン風の、いかにもラテン系の伊達男という感じのオジサンでございましたが、おそらく、この時点ですでにイブ・モンタン氏の頭には「コイツら、ショボい注文しかしないヤツらだなぁ」という思いが芽生えたに相違ございません。が、そこは向こうもプロ。紳士的な態度でサラダとパエリャを運んできてくれたのでございます。

 のモンタン氏、他に客が少なくてヒマだったということもあったのでしょうが、我々がパエリャをモソモソと食っていると「うまいか?」などと言いながら様子を見に来るのでございます。スペイン語の出来ない我々が口にモノを入れたままモゴモゴと指でOKマークを作ってうなずくと「ムイ・ビエン」と言い残して去っていきます。「ムイ・ビエン」とは英語で言えばベリー・グッドといった意味で、ここではまぁ“そりゃ結構”といった感じでございましょうか。もちろんお世辞抜きでパエリャはとても美味しかったし、大体スペインは何を食っても実に美味しく、ハズレに出会うことはまずない、素晴らしい国なのでございます。

barレストランのショーケース(マドリッドにて)

 エリャを食い終わってワタクシがトイレに行って戻ってくると、トホ妻とイブ・モンタンが何かモメております。モンタン氏は席に戻ってきたワタクシの方を向いて「ポストレ?」とスルドい問いかけ。えーと、ポストレって…、あっデザートか。モンタン氏がトホ妻にデザートの注文を聞きに来たため、彼女がお腹を押さえるジェスチャーで「もうお腹一杯」と断っていたところにワタクシが戻ってきたというわけで、モンタン氏、何かデザート注文しなきゃ承知しないぞ、という顔をしてニヤニヤ笑ってます。うーん、オレも結構腹一杯なんだけど、まぁコーヒーでも頼むか…ということで、水分を控えたいトホ妻は何もオーダーせず、ワタクシだけコーヒーを頼んだのでございました。

 うこの時にはイブ・モンタン氏は完全に我々のことを、デザートすら注文するのが困難なトホホな貧乏客、と思ったに違いありません(まぁ、確かにそれに近い客ではあるのですが…)。特にレストランで食後に女性が何もデザートをとらないなんて、おそらくスペイン的感覚では相当珍しいことに相違なく、コーヒーすら飲まないトホ妻に対してかなり同情したのだと思われます。

 のイブ・モンタン氏、今度は蝶ネクタイをはめ直すのにわざわざ我々のテーブルの脇にやって来ます。蝶ネクタイの後ろのフックをハメるのは、ちょうど女性が首の後ろでネックレスをとめるのと同じで結構難しいもの。モンタン氏もなかなかうまくいきません。ワタクシが「やってあげようか?」とジェスチャーで問うても「いや、大丈夫」と言い、ようやく蝶ネクタイ結びに成功。シャツのエリを整えて身支度が終了すると、ワタクシの方を向いて「どうだ?」という顔。そこは何しろラテンの伊達男、スキのないイデタチでございます。ワタクシがさっき覚えたばかりの単語で「ムイ・ビエン(ベリー・グッド)」と讃えると、ニヤッと笑って下がっていきます。どうやらモンタン氏、ド貧乏なトホホ外国人客と思った我々にいろいろチョッカイを出したいようでございます。

 タクシだけがコーヒーを飲んでいるとまたもやモンタン氏登場。「フフフ…」と意味あり気に笑ってまた引っ込んでいきます。今のは何だったんだ?追加注文の催促かな?と我々が考えていると、おお、また来たぞ、モンタン氏。今度は銀のトレーを持っています。「シン・アルコール(アルコールは入ってない)」と言いながら置いたそのトレーには赤い、きれいな液体が入った小さなグラスが2つと、ちっちゃなお菓子が2つ。ひょえー!デザートすら頼まないトホ妻に同情したモンタン氏、わざわざこんなものをサービスしてくれたようでございます。

 い液体はイチゴシロップを薄めたと思われるイチゴ水。お菓子はカリントウのような揚げ菓子の切れっ端でございまして、まぁ店にとっては全くどうってことのないモノだったのでしょうが、それはモンタン氏の慈悲と共に、心に染みる甘さでございました。それにしてもさすがはイブ・モンタン。ラテンの伊達男はデザートもとらない哀れな貧乏女性客と思えたであろうトホ妻に対して何とやさしいことか!このイキなサービスに、いわんやとトホ妻がたちまちこの店とイブ・モンタン氏を大好きになってしまったのは申すまでもございません。

 とか感謝の意を表わしたいワタクシは帰りぎわ、持ち歩いていたガイドブックの「会話例文集」をひもといて、ある言葉をドロナワで覚え込みました。チップを置いてテーブルを立って最後にモンタン氏とすれ違う時に、さっそく今覚えたばかりの言葉「ケ・リコ・エスタ(とても美味しいです)」と言ってみるとモンタン氏、ニヤリと笑って「ムイ・ビエン」。そんなわけで、思い出深いセビリヤでの最後の夕食は、サンタクルス街の慈悲深いウェイター、イブ・モンタン氏のおかげで実に楽しいものになったのでございました。(→旅行記その8に続く)

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