遺物・遺跡

厨子と観音像
伝千手高房着用鎧兜
千手寺
伝長慶天皇陵
千手城
千手山城?
金田千手氏墓塔家紋
筑前鷲尾(姪浜)城
西大寺奥の院五輪塔


厨子と観音像

高鍋千手家の観音像の写真を見せていただいた時に写したものです。
 
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伝千手高房着用鎧兜

金田町の千手穣氏所蔵のものです。1399年の香春岳城が落城の折に高房が雑兵の鎧兜に身を隠し落ち延びたもの、という伝説が真実ならば、600年以上前のものです(「金田町
史」)

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千手寺

現在の千手寺は、嘉穂町千手郷の奥にある小じんまりとした風情あるお寺です。(2000年8月)

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伝長慶天皇陵

風変わりな五輪塔に見えますが、最下段だけが当初のもので、水輪から上は後補だろうという
ことです。

周囲には、小型の五輪塔の一部が散乱しており、ここが中世の墓域だったことを物語っていま
す。(2000年8月)

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千手城

下の縄張り図の左下広場から、右上方向を写しています。右側が千手八幡、左側に土塁の先
端が見えています(2000年8月)


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千手山城

小野谷の桑野千年さんから、千手寺の裏山に城郭遺構があるようだ、とのお知らせを受け、11月に踏査、城郭を発見(?)しました。そのときに作成した縄張り図です。中世史料に「千手」での戦いは何度も出てきますが、ここがその中心地の一つであったのではないかと想像できるほど、堅固な造りでした。上の千手城(千手八幡)は、1Kmほど北西にあたります(2003年11月)

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金田千手氏墓塔と家紋

金田町を車で走行中、たまたま「千手本家」と書かれた墓塔を道端に見つけて、墓地を見て回
ると四家ほどの千手氏墓域を見つけることができました(2002年8月)

そこの千手氏は、すべてこの家紋です。呼び名は六段毬鋏(まりはさみ)に右一つ丁子巴でしょうか?

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筑前鷲尾(姪浜)城

大河ドラマ「北条時宗」ブームに沸いた、百道浜の中世博多展会場より望む、鷲尾城の様子で
す。今では、頂上は愛宕神社、中腹は住宅地になっています。

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西大寺奥の院五輪塔

2002年8月25日に、西大寺奥の院五輪塔を訪れました。鎌倉時代後期、西大寺中興の祖であ
る叡尊の廟所で、3m35cmの高さがあります。壇の上、地輪の下にあるのが繰形座で、これ
が長慶様の様式と同じというのですが・・・

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