公立大学学長会議2001
今年度の「公立大学学長会議」が11月15、16の2日間、宮崎公立大学において開催された。この会議は今回が3回目であるが、昨年度までは「公立大学学長研修会」と称していた。
前日の14日は午後一番に都庁で「東京都立の大学改革」に関して石原知事から都立4大学の学長に対する説明があり、そのまま羽田空港に直行して16時25分発のANA613便に乗った。
宮崎空港から都立保健科学大学の米本学長と一緒にタクシーで宿舎になっている宮崎観光ホテルに向かった。早速チェックインを済ませてロビーでうろうろしていたら、島根県立大学の宇野学長にお会いした。共に大学セミナーハウスの常務理事をしていることもあり、「セミナーハウスの将来構想」などについて懇談しながら夕食を共にした。正確に言えば、学長としても常務理事としても大先輩である宇野学長からお話を伺い、夕食を御馳走して頂いた。
食事を終わってロビーに戻ると「児玉会長と加藤副会長がお待ちかねです」と言われ、早速、児玉会長、加藤副会長、森理事、宮澤事務局長と連れだってと街へ繰り出した。ホテルの前を流れる大淀川の河川敷に沿って橘橋まで歩き、橘通に出て少し行ったところにある赤提灯に“登楼”した。この顔ぶれで“深夜の散歩”をして赤提灯に登楼することが学長会議の恒例になったようである。昨年は広島で駅前から平和公園まで歩いてしまったが、今年は余り遠出をしないように暗黙の自己規制が働いていた。
15日は朝全員揃ってバスに乗り、宮崎公立大学に向かった。この会議は年々参加者が増加して、今年は欠席者が数人だけになり、すっかり定着してきた感がある。午前中は全体会議で、公立大学協会の新しい体制について加藤副会長から、法人化問題について森理事から報告があり、質疑応答が行われた。午後は、各地区協議会が開催され、それぞれに密度の濃い議論が展開され、その後学内見学ツアーが実施された。
かねてから宮崎公立大学の内嶋学長はテニス狂であるとお聞きしていたが、今回はお手合わせ頂く時間がないと諦めていた。ところが、加藤副会長や大阪府立大学南学長の字引には「不可能」という言葉は載っていないらしく、学内見学ツアーの途中に「早くツアーを済ませて、テニスコートに集合せよ」という召集令状が届いた。「七つ道具を何も用意していないから無理です」と伝えたところ「必要な物は全て用意してもらったから、そのままの格好でコートに行けばいい」ということで召集免除はなかった。それにしても加藤副会長は特別講演をすることになっているはずだが大丈夫かしらと思いながらコートに行ってみると、加藤、南、内嶋の各選手は既にボールを打っているではないか。児玉会長も加わっていた。どうやら加藤副会長は講演を手短に済ませてきたらしい。用意されていた靴に履き替えて薄暗くなるまで30分ほどゲームを楽しんだ。
大急ぎで控室に戻って着替えたが、時既に遅くホテルに帰るバスはとうの昔に発車してしまっていた。仕方がないので我々選手団はタクシーでホテルに戻り、懇親会に出席した。バスには乗り遅れたが、我々は会長、副会長を押さえていたので(会長、副会長に押さえられていたと言うべきか)、“遅刻”する心配はなかった。
懇親会終了後、前夜と同様に「深夜の散歩」に繰り出した。児玉、加藤、森、私の常連に井口京都府立大学長と伊東公立はこだて未来大学長が加わって中隊編成である。河川敷を歩いて橘通に出た辺りで「折角宮崎に来たから宮崎神宮に行って見たい」といったら加藤副会長が「この通りをもう少し行った左側にある」というので「そこまで歩きましょう」と衆議一決。自信を持って先導する加藤副会長に従ってフェニックスの並ぶ橘通を北上すること2、30分。しかし、神宮らしきものはおろか看板すら見当たらない。不安になってバスを待っている高校生に聞いてみた。「このバスに乗って・・・」といいながら停留所の数を指折り数えているではないか。これは大変だ。昨年の轍を踏むことになる。「引き返すに如くはない。回れ右っ!」引き返す途中で“燃料補給”が必要になったので、井口学長の薦めに従って登楼したが、これが恐ろしく若者向きの店だった。店員はオジサンの一連隊が入ってきたのに驚いたに違いない。我々の存在が当夜の客の平均年齢を著しく高めた。
16日の会議はホテルの会議室で行われた。午前中は前日行われた各地区協議会の議論の様子の報告とそれを巡っての質疑応答、午後は臨時総会が開催され、文部科学省大学課長の講演に続いて、規程の制定、役員の改選、公立大学の法人化問題に関する決議などを行って散会となった。
「昨夜は行き損なったけれど、折角宮崎に来たから宮崎神宮に行きましょう」ということになり、児玉会長、南学長と3人でタクシーに乗って宮崎神宮を訪れた。加藤ナビゲーターの指示は「方向」は正しかったと言えなくもないが、とても深夜に歩ける距離ではなかった。