公立大学学長会議2002

 今年度の「公立大学学長会議」が11月14、15の2日間、大阪市立大学医学部医療研修センターにおいて開催された。この会議は1999年秋に岩手県立大学で第1回が開かれて以来、広島市立大学、宮崎公立大学とつづき、今回が4回目である。5月の定例総会と違って、学長による実質的な意見交換が必要との考え方に基づいて設定され、2泊3日か1泊2泊の日程、ハードで実りある研修会の役割を果たしてきた。名称を「学長研修会」から「学長会議」に変えたのは第3回からである。
 9時20分発の「のぞみ51号」に乗るために7時に家を出たが、中央道の工事のために随分時間がかかり、東京駅に着いたのは9時だった。
 新大阪からから地下鉄御堂筋線で天王寺まで行き、駅にほど近い「あべのメディックス」の7階にある会場へ直行した。参加登録をし、名札とペットボトル入りのお茶を受け取って会議室に行ってみると、開会までにはまだ30分程あるにも拘わらず、既にかなり大勢が席に着いていた。
 13時に臨時総会が始まったが、児玉会長は市議会議員来学のため出席できなくなったので、西澤副会長が議長を務めた。西澤先生は「会長に事故ある時は前会長が代行するという規則を作っておくべきだった」などと冗談を言いながら開会し、その後宮澤事務局長がきれいにカラープリントされた資料を使いながら協会の活動報告を行った。次いで、西澤副会長が教育基本法の改正に言及しながら、公立大学及び公立大学協会のあり方について基調報告を行った。引き続き、役員人事に関する議案が審議されて、臨時総会が終了した。
 小休止の後、見藤副会長が議長を務めて学長会議が開催された。事務局長、第1委員会の鈴木委員長、第2委員会と入試専門委員会の委員長である私、地域貢献あり方検討委員会の石井委員長、財政のあり方検討委員会の加藤委員長、ITインフラ強化特別委員会の柴田委員長代行から活動報告が行われた。地域貢献あり方検討委員会からは色刷り8ページの報告書概要版が提示され、「公大協も資料作りが上手くなったものだ」と感心していたら、その中に記載されている「公立大学の分類」に大学名が一覧されていることに対して異論が述べられた。また、岩手から駆けつけた柴田先生は雪で列車が遅れたために、発表の順番が変更された。報告数が増え、その内容が回を追うごとに充実してきたことに驚かされる。と言うことは、委員会などの活動が急速に充実してきたことの証左である。委員各位の努力に敬服する。途中で児玉会長が登場して議長席に座った。最後に、法人化問題特別委員会の報告が森委員長、加藤委員、磯部委員から行われた。法人化問題特別委員会は2年前に広島市立大学で開催された学長会議において発足し、以来、関係各方面との折衝を重ねつつ、膨大な時間と労力を投入して検討を続けてきた。この間に、国立大学の法人化が決定し、我が大学を含む幾つかの公立大学でも法人化に向けて具体的な検討が進められてきたが、公立大学はその多様性の故に、協会としての対応は極めて難しい。今回の報告を区切りとして、「法人化問題特別委員会」は発展的に改組され「法人化特別委員会」に引き継がれることになった。委員会の名称から「問題」が消えることになるが、「決して問題が無くなったわけではない、問題の発見にとどまらず、問題の解決とその方法までを含む、包括的な役割を持たせるための改組発展である」と加藤委員から注釈があった。これまでの委員会の精力的な活動に敬意を表し、新委員会の活動に期待したい。17時過ぎに第一日目の会議を終了した。
 宿舎は天王寺駅を挟んで反対側にある天王寺東映ホテルである。皆でぞろぞろと歩いてホテルに行き、チェックインした。その後2階の「白鳥の間」に集まり「意見交換会」つまり懇親会に臨んだ。席上、勲一等を受章された西澤先生と文化功労者に選ばれた常脇福井県立大学長から御挨拶を頂いた。
 懇親会の後は恒例の「夜の散歩」である。今年は児玉、加藤、森、私の常連に新顔の吉崎北九州市立大学長が加わって、通天閣まで歩いた。地元の児玉会長以外は全員初めての訪問である。既に時間外で登ることは出来なかったが、「空に灯がつく」という程ではないにしても漠然と想像していたより高かった。真下には「ふたりっ子」でオーロラ輝子活躍の舞台だった歌謡劇場がある。じゃんじゃん横町や新世界を通ったが、随分人通りが少なく意外な感じがした。「ふたりっ子」でお馴染みの将棋道場が何軒もあった。歩いた距離は過去3回に比べてきわめて短かった。行きに駅の中に善哉の店があるのが目に付き、加藤相談役が「食べよう」と提案し私が支持したが過半数の賛成が得られず継続審議となった。大阪市大医学部と附属病院の立派な建物を見上げながら駅に戻り、審議を再開した結果賛成多数で「甘党や をしず」に入り、待望の善哉にありつくことが出来た。加藤、森、私の3人は善哉とわらび餅のセット、吉崎学長は善哉を注文したが、最後まで賛成に回らなかった児玉会長は抹茶オ・レという聞き慣れない物を注文した。本場の善哉に満足し、自宅に帰る児玉会長と別れて駅の構内を歩いていたら、加藤相談役が「チャイニーズ・スイート・ポテト」を見つけて買ってきた。売り子に大学芋との違いを聞くと、芋の種類が違うとのことだというが、要するに中国産の芋を使っている「大学芋」である。深夜の駅の構内を公立大学協会相談役が大学芋を食べながら歩くという珍妙な図と相成った。そのまま「信濃」という飲み屋に入り、酎ハイを飲みながら大学芋を一パック平らげたのには驚いた。体重が60キロに満たない長身痩躯の加藤相談役が、宴会で鱈腹食べた上に善哉・わらび餅セットと大学芋を食べたのである。これに対して「加藤先生は製フン機ですね」といったら、30秒程間をおいて皆が笑い出した。「フン」という字が漢字か国字かが問題になり、加藤相談役は「国字ではないか」といったが、誰も確信が持てなかったので漢字に明るい同僚に電話して確かめた。論語にも使われている立派な漢字であった。
 最近、中国語と関西弁に興味を持っているが、折角大阪に来たので、大阪弁の練習をしようと思い、先ず「てんのうじ」の正しい発音を覚えようと努力した。関西弁はテレビなどで耳にする機会が多いが、自分で喋ろうとすると難しい。自分では上手くできたつもりでも、児玉先生や森先生のような関西人が聞くと「ちゃう」「あかん」ということらしい。
 ホテルで朝食を食べてチェックアウトし、会場まで歩いて行った。9時半から課題別分科会が始まった。法人化問題、教育改革、地域貢献、公立大学の将来構想の4つの分科会に分かれて2時間半議論を展開した。私が座長を務めた「教育改革」の分科会は、参加者が大変活発に議論に参加して下さったので、座長は楽だった。しかし、議論を整理して午後の全体会議に報告する役をお引き受け頂いた山口県立大学の岩田学長はさぞかし大変だったことと思うが、実に要領よく報告して下さった。どの分科会からの報告も中身が濃く、時間ギリギリまで報告を巡る活発な質疑が展開された。
 15時に散会となったが、今年も実に有意義な会議だった。「私は今年度一杯で学長の任期満了となりますので、公大協の会議に出席するのはこれが最後になります」と挨拶して会場を後にした。公大協の益々の発展を祈ってやまない。

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