河津では梅より早き桜かな

 桜といえばソメイヨシノが幅を利かせているが、花の美しさや開花期間の長さなどではソメイヨシノよりずっと優れている桜がいろいろある。その中の一つを見に伊豆半島の河津まで行こうと思う。忘月忘日、随分気温が高く風が強い。石橋山古戦場跡の看板を横目で見ながら熱海に向かって順調に走ったが、後200m程でお宮の松というところで大渋滞に巻き込まれて随分時間がかかった。この分では東海岸は渋滞がありそうだから、熱函道路を通って下田街道経由で行くことにした。大変な人出の熱海梅園を横目で見ながら山を登って熱函道路を通り順調に下田街道に入ったが、下田街道もかなり渋滞している。韮山に入って暫く行くと「政子産湯の井戸」の小さな看板が目に付いた。12月に来た時は住宅工事に埋もれてしまいそうで先行きが心配だったので、もう一度寄ってみようと思った。「もうなくなっているかも知れない」と思いながら寄ってみると、大々的に石垣を積む工事をしているではないか。「已んぬる哉」と近付いて見ると、囲い等は取り払われているが井戸そのものは健在だった。工務店の社長らしきおじさんが「町の要請で保存することになった」「見物に来る人がかなりいる。この間はバスで来た人達もいた」等と親切に説明してくれた。どうやら当分は安泰らしい。
 安心して下田街道に戻った。温度計は21度を示していて2月中旬とは思えない気候である。いつの間にか渋滞がなくなって、修善寺で有料道路を通り湯ケ島に入った。川端康成が「伊豆の踊り子」を執筆したという「湯本館」の看板が電柱毎に掛けられている。浄蓮の滝に寄ってみた。伊豆の踊り子の像の写真を撮り、下まで下りていって滝を間近に見た。高さは25m程度であるが水量が多くなかなかに迫力がある。
 「天城峠旧道は積雪・・・」という表示があったが、とうてい今日のこととは思えない。天城峠は新道のトンネルで抜けて、河津七滝ループ橋を過ぎれば間もなく湯ヶ野温泉である。まだ5時前だったので「今日の中に桜を見ておこう」と思って河津の町へ足を延ばすことにした。天気予報では「明日は雨又は雪」ということになっている。今日の天気からは考えにくいことではあるが、親鸞上人曰く
   明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐が吹かぬものかは
である。
 河津の桜について予め予習してきたけれど、現地に来てみると何処が名所だかよく分からない。駅の案内所で聞いたら、線路脇と堤防沿の並木は直ぐ近くで、「原木」は帰り道に見られるらしい。線路脇の木は多少勢いがない感じがしたが、堤防沿は見事だった。堤防沿いに2列に植えられていて地面に照明が埋め込まれている。まだ明るいので点灯されていないが、夜桜も美しいに違いない。「桜祭り」というけれども、時間が遅いせいか人出は殆どなく、提灯や紅白の幔幕等という余計な物が何もなく、桜の美しさを満喫できるのがいい。木によって3分咲きから7分咲き位であるが、タイワンカンヒザクラとハヤザキオオシマザクラの自然交配種という河津桜は、花は濃いピンク色で大型、樹皮は平滑で艶があり開花期間が非常に長い。帰り道で見た「原木」は特に素晴らしかった。道路沿いの家の門柱として左近の橘と右近の桜が5m程の高さを競っている。現在は7分咲き程度であるが、何と1月3日に開花したとのこと。こんな綺麗な桜を2ヶ月以上も楽しめるとは何と羨ましいことか。この桜を見ては
   散ればこそいとど桜はめでたけれ浮き世に何か久しかるべき
等という歌は詠まれなかったに違いない。
   河津では桜の次に梅が咲き
   桜見て土産は何も河津かな
 薄暗くなりかけた道を湯ヶ野温泉に戻った。駐車場に車を停めて、河津川にかかる橋を渡ったところが「踊り子の宿福田家」である。橋の正面の2階にある3方に障子とガラス窓が付いた小さな部屋が書生川端康成が泊まった部屋「踊り子の間」であるが、今回は川端先生が晩年屡々お泊まりになった部屋「思い出の間」を予約してある。橋から見て左手の2階である。部屋の入り口の鴨居には川端先生直筆の「思い出」と書かれた額が掲げてあり、部屋の壁には川端先生の筆になる「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月」という明恵上人の歌の色紙が掛けられていた。部屋にはビデオがあり何本かテープが用意されていたが、残念なことに「伊豆の踊り子」のテープがない。夕食前に風呂に入ることにして、男性専用時間帯の岩風呂・露天風呂に行ったが、岩風呂は熱すぎて入れなかった。露天風呂の周りには梅が咲いていた。
 食後、ロビーにある100枚以上の色紙や「伊豆の踊り子」縁の写真、新聞記事、川端康成の書、太宰治直筆の宿帳等を随分時間をかけて見た。「伊豆の踊り子」は田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵を主演女優として6回映画化されている。
 ぐっすり寝て目が覚めると外は雨になっている。部屋の窓の外には河津桜が綺麗に咲いている。気象情報では東京は雪で、伊豆半島も南部以外は雪らしい。気温が昨日より20度位低いようだが、体感ではそれ程ではない。
   昨日春今日は真冬の伊豆路かな
 宿の前にある踊り子の像や宿の横にある「踊り子文学碑」等を見て出発した。天城峠が越えられるかどうか分からないが、行けるところまで行ってみることにした。河津の桜を昨日見ておいてよかった。河津七滝ループ橋の下に桜の名所がある筈だからと寄ってみたが、雨が降っているので車の中から眺めただけでいいことにして、先を急いだ。天城トンネルの近くまで登ると雨が雪に変わり道路がシャーベット状になっている。向こうから来た車の運転手に聞いてみると「トンネルの向こうはだめだ」というので、料金所から引き返すことにした。無理をすれば行けないことはないかも知れないが、その結果どうかなることを好まない。
 こうなれば東海岸沿いに帰る以外に方法がないので、今来た道を引き返して河津から国道135号線に入った。幸い雨であるが、大変な渋滞で歩くより遅い。稲取にある「どんつく神社」に寄ってみた。大変に狭い道を通って辿り着いてみると、物凄い風雨で傘もさせない。「こんな雨風の中をわざわざ来て見る程の神社ではなさそうだ」と思いながら行ってみると、本殿の中に入れるようになっている。入ってみて驚いた。御神体は直径50cm、長さ150cm位の木製の巨根である。御神体が御輿に乗せられていて、その他に小型の物が5〜6本と、椰子の実の奇形や天然木の本物そっくりな“頼朝夫人”が置かれている。神社では普通御神体は恭しく奥の方に祀られているものだが、ここでは誰でも触れるようになっている。
 国道に戻ったが相変わらず渋滞しているし、時々雪が混じったりもする。このまま伊東、熱海と進むのは芸がないと思っていると、修善寺方面への分かれ道にさしかかった。行けるかどうか分からないが修善寺へ行ってみようと思い、一碧湖から中伊豆バイパスを通って行く中にだんだん雪が混じり始めやがて雪になったが何とか峠を越えることができた。梅園に寄ってみると、紅梅は満開だったが白梅はまだ3分咲き程度だった。
   桜見て雪に降られて梅を見る
   河津にて桜を愛でし次の日は雪に降られて修善寺の梅
 下田街道は渋滞もなく順調に走り沼津から東名に入ったまではよかったが、裾野の辺りから雪になった。御殿場を過ぎる辺りまでかなり強い降りで流石に緊張したが、そのうちにおさまってほっとした。全く渋滞がなく順調だったので海老名サービスエリアで休憩して帰宅した。