モンゴル珍道中日記

1997年8月、都立大学山住総長のお供ではからずもモンゴル国を訪れる機会に恵まれ、山住総長、総長令嬢で内科医師の令子さん、イクオル社の藤春社長と私の4人で非常に愉快に8日間の旅をした。以下、総長の“酒仙”ぶりを紹介しつつ旅日記を綴ってみる。[文字をクリックすると写真が見られます]

8月24日:

日本からモンゴルへの直行便は関西空港からモンゴル航空(MIAT)が夏の間だけ運航している。それに乗るために羽田から関西空港までJL115便で行くことにした。総長は搭乗手続きを済ますと「喉が乾いたね」とビールを飲む。関西空港に着いて搭乗手続き、出国手続きを済ませて蕎麦屋に入って蕎麦を食べながらビール。免税店で日本酒(酔心)とウィスキー(オールドパー)を購入。

OM9032便は予定より約1時間遅れて出発。飛行機はボーイング727、既に日本では使用していない骨董品。然し、最後まで滑るように快適な飛行だった。 総長は機内ではまずビール、食事の時にワイン、食後に又ビール。 上空から見て耕地がなくなったらモンゴル領に入ったということらしい。滞在中畑というものを見たことがなかった。 着陸直前に上空から見た夕日に映える大草原は筆舌に尽くし難い美しさ。世界観が変わる程の感動を覚えた。出かける前に「ウランバートル空港の滑走路は未舗装」といって不安がらせた友人がいたが、実際にはちゃんと舗装されていた。到着は午後8時30分頃だったが、夏時間で日本と時差がないために未だ日が出ている。

空港には国立大学の Davaa 副学長と国際交流部の ChuluunBaatar 氏が出迎えに来てくれた。ChuluunBaatar 氏とは去年の夏東京でお会いして以来の再会である。乗用車とミニバスに分乗して Bayangol Hotel に向かう。この韓国製のミニバスが滞在中の我々の足となった。チェックインを済ませて外出、スフバートル広場の夜景を見た後レストランに入る。夕食の時にはアルヒ(Arkhi、モンゴルのVodka)を飲んで

☆ アルヒ飲みアヒルのやうによたよたと

等といいながらホテルへ帰る。

関西空港で買った2本の酒は令嬢の部屋に安置。ホテルで NHK のテレビが見られるのに驚く。毎朝「あぐり」を見てから朝食に行くことにした。

8月25日:

総長は前日チェックインの時にもらった朝食券が見当たらない。大騒ぎで探したけれど出てこないので事情を話して何とか朝食にありつく。

朝食後、お土産に持ってきた扇子と団扇にサインしようとして書き始めたがどうも上手く書けない、良く見ればペンの積もりが何と“まゆずみ”。

☆ まゆずみで Yamazumi と書く難しさ

「総長、どうしてまゆずみを持っているんですか、怪しいですね」「どうして入っていたのか分からないね」「まゆずみがポケットに入っているということはただ事ではありませんよ」、令嬢が現物を見てぱっちりした目をくるくるさせながら「これは“ちふれ”ですね、母はちふれの化粧品を使っているけれどまゆずみは使いません・・・」「益々怪しいですね」、かくて総長まゆずみ事件は謎のまま。

モンゴル国立大学を表敬訪問し学長、副学長、国際交流部長等と懇談。大学本部の玄関前には一見スターリン風の ChoiBalsan の像と中国風の獅子の対があった。その後ホテルに帰って昼食。"Fillet of beef with fruit"を食べる。硬めの牛肉の上にパイナップルの輪切りが乗せてある、これが気に入って滞在中5回食べた。

昼食後、ガンダン寺に行く。1838年に第5代活仏によって建立されたチベット仏教の寺院で、現在は宗教大学を併設している。総長は帽子と経典と仏像を衝動買い。その後市内が一望できるザイサン丘へ。総長は涼風に吹かれながら昼寝

ホテルに帰ったら突然「マキガミ君じゃないか」といってロビーにいた若い男に飛びついた。マキガミだかハナガミだか知らないけれど総長が入れあげている歌手だそうで日本祭に出演するために来ているとのこと。かつて総長は彼のコンサートに北海道から沖縄まで同行したことがある由。勿論出演もしたとのこと。彼が明日出演すると聞いて「マキガミのコンサートにはどうしても行かないわけにはいかないから、国立大学学長の夕食会の日程を変更してもらえないかね」を繰り返す。

総長の部屋は鍵の具合が悪く、風呂の水が抜けず、魔法瓶が割れているということで交換を申し出て部屋を移動。「酒はこちらの部屋にもって来なさい」と何度も言うが令嬢は応じない。

8月26日:

朝食の時ビールを自分でケースから取り出して飲む。令嬢に「朝から飲むのは止めなさいよ」と言われても動じない。朝食後部屋に帰って寝てしまい遅刻。国立大学の先生達と懇談した後チンギス・ハーン村に行ってゲルの形をしたレストランで昼食。総長は勿論アルヒを飲む。モンゴルといえば馬乳酒が有名だが、臭いがすごく、流石の総長も一口飲んだだけでおしまい。因みに、馬乳酒はアルコールが3〜4%だそうで「あれは酒ではありません」とのこと。一日に数リットル飲む人も珍しくないとか。

☆ 馬乳酒は一口だけで後アルヒ

連れションをしていたら馬が近づいて来た。
☆ 馬並に大草原で用を足し
☆ 馬からも笑われながら用を足す大草原の風に吹かれて
この歌と写真を見た友人から
☆ 馬笑ふ大草原の小チンギス
という句を進呈されたことを付記しておく。

☆ 馬肉食べ馬力をつけて草原へ
☆ 天高く牛馬のどかに大草原

Manzushiryの遺跡を訪問。19世紀前半には数百人のラマ僧が修行していたという修道院と寺の廃墟である。着いた頃から小雨が降ったり止んだりで膚寒くなったが、持参した食べ物と飲み物を岩の上に広げる。総長は専らビール。総長は岩の上で昼寝をし、我々は寺の廃墟を見学しに山に登る。 大急ぎで帰ってホテルに寄って着替えて学長主催の夕食会に UlaanBaatar Hotel へ。

朝から「マキガミ君のコンサートに行かないわけにはいかないんだ」を連発。宴が始まっても総長は心ここにあらず、その様子は敵に完全に分かられてしまい「今日私の若い友人が日本祭のコンサートを開いていますから皆さんも一緒に聞きに行きませんか」といったけれども敵もさるもので「今日は他に用事があるので失礼します」と受け流す。モンゴルの夕食はそれ程豪華ではないので1時間半程で終わったけれど、しこたまアルヒを飲んだために総長は足元がおぼつかない。雨が降り始めていたが、コンサートが開催されている隣の建物までやっとたどり着いたときには文字通り「後の祭」、「祭の後」というべきか。ハナガミ君達と談笑し写真を写して帰ってきた。

ホテルのお湯の温度が低く風呂に入れない、然し、総長は“水風呂”に入ったとのこと。

8月27日:

総長が「名刺がなくなってしまった」というのを聞いて「数時間で作ってくれる所がある」といって連れていってくれた。安いので記念に私も作った。

民族歴史博物館へ行ったが休館日。スフバートル広場を見物。広場の真ん中に革命の英雄スフバートルの像が立っている。

自然史博物館で恐竜の骨等を見学。総長は具合が悪くなり椅子に座っていることが多かった。少し熱がある様子。昼食の時にはビールを一口飲んだだけ。

午後は総長をホテルに残して Gobi の会社に行ってカシミア製品を買った後、食品マーケットに寄る。ケーキ、リンゴ、オレンジ、干しぶどう、ソーセージ等を買う。生クリームの大きな花が3個付いたケーキはなかなか美味しかったし、アイスクリームは甘味が少なく非常に良かった。

夜は民族音楽と舞踊を見物。特に、1人が同時に2種類の声を出して歌うホーミーという歌唱には驚いた。低音で歌うメロディーと頭のてっぺんから聞こえる笛のような高音が同時に歌われている。モンゴル音楽の主役は馬頭琴と呼ばれる頭部が馬の頭の形で胴部が台形の2絃琴である。この日は日本祭で日本人の観客が多かったせいか、和服を着た日本人のおじさんの尺八を加えた「北国の春」も演奏された。

総長はゲーリー・クーパーの訪問を受け、ホテルで安静に。総長が元気であれば舞台に上がってカラオケをやったことだろう。総長にそっくりなモンゴル人の有名な俳優がいると聞いて来る前から楽しみにしていたが夏休みでウランバートルにいないということで会えず、代わりにゲーリー・クーパーに会う羽目になってしまった。

☆ アルヒ飲み下痢が始まる大草原
☆ ゲルに寝て下痢をしながらゲラを読み

8月28日:

経済大学の訪問にでかける準備をしていたら、経済大学顧問の Dambadarjaa さん(初代駐日大使で76才)が部屋まで迎えに来て下さり恐縮。総長はパジャマのままで御挨拶。総長父子をホテルに残して経済大学へ行き、懇談の後学内を見学。図書室といっても殆ど本がないのに驚く。「都立大学で使わなくなったコンピューターを貰えないか」といわれる。是非何とかしてあげたいと思う。

経済発展の必要性を説く経済大学の先生方に「この素晴らしい大自然を大切にしながら発展に取り組んで下さい、この緑の絨毯は世界の宝ですから」とお願いする。日本企業が経済援助の名の下にモンゴルに進出し、緑の大草原に高速道路網やゴルフ場等を作らないことを切望したい。

午後は、玩具の博物館と宮殿博物館を見物した。宮殿博物館前の広場で若者達が自作の絵を並べて売っていて、日本人観光客の一団が来ると一人が馬頭琴で「北国の春」を演奏する。観光客の集まる場所には必ず何人かこのような“画家”達がいた。

☆ 澄む空に音色さえたり馬頭琴

その後昨日とは別な劇場で民族音楽を聴く。

総長は夕方にやっと熱が下がり、食事をする元気が出てきたので Countryside Restaurant へ行って夕食。モンゴルらしく骨付きの羊肉を食べた、これが頗る美味。

8月29日:

経済大学の学長・顧問達の案内で郊外のゲルを訪問。国立大学の学長も30代だったが経済大学の学長も36才である。「今日は教科書裁判の最高裁判決が出るからホテルにいないとまずい・・・」といっていた総長も「総長がどこにいるかによって判決が変わる訳ではないし、コメントの原稿はとうの昔に渡してあるから心配要りませんよ」という誘いにのって同行。馬にも乗ってみて御満悦。モンゴルの馬は日本の馬より小さいので乗り易いがそれでも怖かった

☆ こはごはと馬にまたがる大草原

馬の群の中で去勢してない牡は1頭だけと聞き He must be very happy といって
☆ 幸せな馬が一頭群の中
と詠んだら、総長曰く「but he must be tired」と。
☆ 幸せな馬が一頭群の中なりたくもありなりたくもなし

ゲルでいいろいろ御馳走になって「今からタルバガンを料理するから食べて行って下さい」「今から川に行こうと思っています」「帰りにもう一度寄って下さい」「そうします」といって Tuul 川へ。ホテルで作ってもらって持参した昼食を食べた後、学長・令嬢・藤春さんは釣りに、総長と大使は歴史談義に花を咲かせた後、草の上で昼寝。そろそろ出発しようとするが、遠くまで釣りに行った3人は大声で呼んでも聞こえないらしい。何を思ったか総長は靴を脱ぎズボンをたくし上げて川を渡り始めた、次の瞬間足を滑らせて川の真ん中で転倒、胸まで水に浸かる。やっと釣りに行った3人が戻ってきて、令嬢が大急ぎで濡れた衣服を着替えさせる。パジャマのズボンの上にズボンをはき、ワイシャツを2枚重ねて着る。「総長の川流れですね」といったら「流れてはいない、転んだだけだ」と。その時馬が数頭川を渡っていった。丁度教科書裁判の判決が出る時間だった。

☆ モンゴルの大草原で馬に乗り川に転んで馬乳酒を飲む
☆ 教科書の判決聞かず馬に乗り川に転んでアルヒ飲み干す
☆ 下痢の朝川に転んで服洗ひ

先程のゲルを再訪する。「後でもう一度いらっしゃいといわれて本当に行けば日本では図々しい奴と思われる」といったら「モンゴルではそういうことはない」とのこと。安心してタルバガンの肉を頂く。滞在中何度も草原でタルバガンの可愛い姿を目撃しているので残酷な気もしたが、なかなかの美味。タルバガンはアメリカ等では prairie dog と呼ばれるリス科の動物で草原に穴を掘って棲んでいる。「穴を掘る」という意味のモンゴル語「ヌフ・マルタハ」には「安住の地を密かに確保しておく」という“裏の意味”があるそうで、然るべき人々は在任中にせっせと穴を掘っているらしい。

山間の凸凹道を土煙を巻き上げながら1時間半程走って Gobi 社の山荘に着く。車酔いをしたらしく気持ちが悪かったが令嬢から薬を貰って飲んだら直に良くなった。客室に泊まるかゲルにするか迷ったがバス・トイレ付きの方が安心と思って客室にする。令嬢と藤春氏は乗馬を楽しむ。夕食前に卓球。シャワーを使おうとしたがお湯が出ない、これならゲルに寝てみれば良かったと残念に思う。満天の星が見たいと思ったが薄曇りで余り良くは見えなかった。

8月30日:

出発前に山荘裏の“若草山”に登ってみる。

再び未舗装の凸凹道を1時間半程走ってホテルに戻る。今日も車酔い。総長は帰国してから見たら尻に青痣ができていたとのこと。

朝日新聞から教科書裁判勝訴を報じた記事の FAX が届いていた、予定通り総長の談話が載っていたので安心。

午後、デパートとザハ(食料品、衣類、日用雑貨等を売っている青空市場)を見物。デパートは売場が広々としていて客が少なかったけれど、ザハは人出がものすごく、押しまくられて自分の意志で歩くことができなかった。その後ドルショップでお土産を買う。

市民の足はバストロリーバスが主で自転車はほとんど使われていない。

夜は藤春奨学金の贈呈式に続いて総長主催の夕食会、国立大学学長と副学長を招待。24日に関西空港で買った「酔心」を開ける。本来ならとうの昔に空になっている筈の「酔心」が令嬢の厳しい管理のお陰で今日まで手が付けられずにいた。関西空港で買った「オールドパー」は何と封を切らずに日本に持ち帰った、奇跡というべきか。

食後、10月に来学する女子学生が挨拶に来た。

8月31日:

暗いうちに起きて食堂に行ったけれど朝食にありつけない。毎朝食べていた2階の“指定”のレストランは7時開店だから、前夜フロントで「どうすればいいか」と聞いたら「1階のレストランに連絡しておくからそちらで食べて下さい」といわれていたので安心して1階に行ったら我々の食券を見て「2階に行け」という。「2階は7時開店だろう、昨夜フロントで1階で食べるように言われた」というと「2階が開いているからそちらへ行け」というので行ってみたが開いていない。何か嘆かむ今更に、直ちに「あきらめよう」と衆議一決、空港へ向かう。 手続きが終わると総長は「喉が乾いた」といってビール。お土産にもう1本アルヒを買うといって必死に令嬢を説得し、免税店で1本買って自分のバッグに入れる。

OM9031便は1時間遅れて出発。往路同様帰路も飛行は快適。 総長は機内ではまずビール、食事の時にワイン、食後に又ビール。それでも足りず、ウィスキーを買って水割りにして飲む。令嬢はと見れば、長旅の疲れが出たのか長い睫毛を伏せてぐっすり眠り込んでいる。チェックインの時席が3人と1人に分かれていたのを見て総長が令嬢に1人の窓際の席を薦めた読みの深さに感服。「当局の目が届かないこともありますね」「あれは当局の出張所だからね」。

「検疫」の書類が配られたので総長が寝ている間に「下痢」と「発熱」の項に鉛筆でチェックをしておく。目を覚まして「鉛筆で助かったよ」といって消す。

☆ 検疫をゲーリークーパー無事通過

関西空港に着いて24日に入った蕎麦屋を探して入る。
☆ 関空に着けば蕎麦より先づ冷酒


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