Seattle珍道中日記2019

 殿様、社長、Linさんとともに、今回はSeattleを訪れた。Linさん以外にとってSeattleは曽遊の地である。殿様と社長はこれまでに何回か来訪しているというが、専らSeattleの市内が興味の対象だったらしい。逆に、私はSeattleの市内はいつも素通りで、専らBoeingと国立公園が興味の対象であった。

9月12日:

 今回我々が搭乗するのは18時15分発の全日空NH178便である。家を出る前に確認したところ、NH178は出発時刻が19:00に変更されていた。本日運用予定のJA822Aは7:00にNH818でPNHから戻っているので、こんなに早く「遅発」の表示が出るのは何事かと調べてみたら、JA822Aが急遽NH927/928としてTAOを往復することになっているではないか。予定していた機材の不調により、急遽代役を命じられたのであろうが、NH928の到着時刻は17:25であるから、NH178の出発時刻までには出発準備が間に合わない。ということで、NH178の出発時刻が早々と変更された理由は分かったけれど、何故長距離仕様機であるJA822AをTAOくんだりに転用するのかと腹立たしい。
 12時過ぎに家を出た。何故こんなに早い時間に出発したかというと、NGOからNH492で8:55に到着しているLinさんの首が伸び過ぎるのが心配だったからである。中央道、首都高速、東関東自動車道何れも渋滞なく快走できたために、13:45に駐車場に到着することが出来た。駐車場からハイヤーで空港まで送ってもらい、出迎えに出ていてくれたANAの係員に誘導されてチェックインカウンターZに辿り着いた。ここで「機材繰り」について確認出来たことは、NH927/928用に予定されていた767に不具合が生じたために、代替機が必要になり、急遽JA822Aを投入せざるを得なくなったということだった。SEA線に使われる184席仕様の787-8は5機しかなく、そのうちの1機は9月4日からDELで「不動様」になっているので、動けるのは4機しかいない。とはいうものの、釈然とはしなかった。更に、予定していた搭乗ゲートが52番から33番に変更されたことを知らされた。ANA便が33番から出発することは極めて希であるが、その理由は直ぐに理解出来た。当日午後は南風モードで運用されており、NH178が離陸する滑走路16Rに極めて近いからである。しかし、日常的に使われている50番台の搭乗口を想定して、集合場所を第5サテライトにある殿様ラウンジとしていたために、33番からは遠いけれど、33番の近くには殿様ラウンジがないので、集合場所を変更するわけにはいかない。
 時間が早いせいか、空港内が閑散としていた。既に首が伸びきっていると思われるLinさんに電話して、予定した集合場所で合流することが出来た。天下無双の飛行機「狂」で知られるLinさんは、平民ラウンジに陣取って飛行機の発着状況などを具に観察していて、首が伸びることはなかったらしい。殿様ラウンジでConciergeに確認したところ、DELで9月4日から「不動様」に成り済ましていたJA814Aはやっと修理が終わり、明朝NH9402として戻ってくるとのことであった。
 殿様と社長がITMからNH2178で到着し、全員集合となった。殿様と社長は「赤組」の殿様であるが、「青組」でも殿様になろうとして、今回は「青組」を利用している。つまり、ダブル殿様を狙っているのである。殿様は悠然としかし着実に飲み且つ食べているが、社長はあられやお菓子などを一杯鞄に詰め込んでいる。ヰスキーをペットボトルに詰めて行こうとしたので、「社長ともあろう者がはしたない」とたしなめた。17時台は出発便が多く、立て込んでいたラウンジがガラガラになり、殆ど我々だけになってしまった。
 33番ゲートからJA822Aに乗り込み、それぞれの席に落ち着くことが出来た。殿様が1A、Linさんが2C、私が3A、社長が3Kである。昨年の台湾珍道中の時に「1Aを確保する術」を口走ったのがいけなかった。それ以降殿様はその術を駆使しまくっているらしい。19:03に出発して、直ぐ近くにある滑走路16Rから離陸した。機長は鈴木さん、CPは益田さんである。機内アナウンスによれば「追い風が強いために、定刻より早く到着する予定」とのことである。成る程、そういうことであったか。「NH178は、追い風が強いから、出発が1時間程度遅れても定刻に到着できる」という読みがあって、JA822AをTAOへ往復させたのだ。それならその様に説明してくれれば、「Boeingの工場見学に間に合わなかったらどうしよう」などと気を揉まずに済んだのに!
 食事の後直ぐに寝て、4時間ほど眠ることが出来た。本日の飛行はFL=410であった。段々高度を下げてきたので、CPに「着陸は34ですか、それとも16ですか」と訊ねたら、機長に確認して「34Lか34Rのどちらかです」とのことだった。それならば着陸の前に、BoeingのEverett工場、SEA、Mt. Rainierなどが見えるはずである。BoeingのEverett工場の手前で1回トンビをしてくれたので、BoeingやMt. Rainierが良く見えた。34Rに着陸してS1ゲートに接岸した。到着時刻は定刻の11:25分より早い11:19であったから、48分遅発、6分早着ということになる。強い偏西風のお陰である。アメリカの入国審査は、トランプ大統領就任以降、意外にも、迅速に行われるようになった。機械化が進んだせいかも知れない。
 Shuttle busでRent-a-car Centerへ行った。予め予約してあるので、ボードに私の名前が表示されているのを確認して、指定された場所に置かれている車を受け取れば良い。置かれていた車はDodge Journey Crossroad 3.6Lであった。出口でNeverLost GPSを受け取り、目的地を今夜の宿であるHilton Garden Hotel Seattle North/Everettに設定して走り出した。運転はDr. New Jerseyが担当した。Dr. New Jerseyは頻りに「この車は直進性が良くない。右に寄ってしまう」というが、皆は異口同音に「それはLinさんが右傾化しているせいだよ」と反応する。実際に、私が後で運転してみた限りでは、SUVにしては若干足回りが頼りない感があるものの、右傾化は感じられなかった。T-Mobile球場を左に見ながらI-5を北上し、Seattleの中心を通り過ぎて1時間ほどで到着した。Hilton Garden Hotel Seattle North/EverettはBoeingのEverett工場に隣接している。車をホテルの駐車場に停めて、目の前にあるFuture of Flightに直行した。本日の最終Tour(15:00出発)を予約しておいたが、1つ前の14:30出発に変更してもらった。Tourの参加費は大人が$25、65歳以上が$23である。少し時間があったので、屋上の展望デッキに出て、工場や駐機場、滑走路などを眺め回した。飛行試験が行われている滑走路の彼方にMt. Rainierが見える。予め全ての持ち物をロッカーに預けてから、ホールで説明を受け、ビデオを見てから、2組に分かれてバスに乗り工場見学に向かった。「世界一大きな建物」という説明であったが、工場に入って地下道の長さを見て「世界一」を実感した。747、777、787の組立ラインを見学した。747の組立ラインが複雑な半地下方式であるのに対して、777と787の組立ラインは平面方式で分かり易い。私は、これが3回目の訪問であるが、前の2回に比べて今回は「活気がない」様に感じられた。昨今のBoeingの状況を反映しているのかも知れない。工場内での組立作業が終わると、外の駐機場に移して残りの作業を行い、塗装を施して完成となる。今回は、完成間近と思われるJALの787が1機駐機されていた。787の翼や胴体を運搬するDream Lifter(474LCF)がNGOへ向けて飛び立って行った。
 90分のTourを終えてバスを降りると、当然の如くGift Shopに誘導される。Boeing Goodsを物色した後、博物館を見学してから、社長以外の3人はホテルにチェックインした。3人とも予め+$16で「滑走路が見える部屋」へのアップグレードをしておいた。Hiltonは前日に部屋の選択を促す連絡が専用アプリに入るので、私とLinさんの分は滑走路側の4階の部屋を選択しておいたが、殿様はその連絡に気付かなかったために、チェックインの時には既に滑走路側は満室になっていた。どうやらアップグレードの要請が、本社から現場に届いていなかったらしい。そのために、私とLinさんは、+$16なしに滑走路が見える部屋(405と425)に泊まることが出来、殿様は予約より安い料金で滑走路が見えない部屋(424)に泊まることになった。
 社長は、校務を絡めて来ているために、明日はそちらに専念しなければならない。そのために今夜はSeattle市内のホテルに宿泊することにしている。Everett Mallに行き、Walmartに寄って食料品などの買物をした後、匂いに誘われてKyoto Japanese Steak Houseで夕食を食べた。
 いつの間にか雨が降り出していた。数時間前に走ってきた道を逆向きに走って、社長をHoliday Inn Expressに送り届け、「今来たこの道帰りゃんせ」ということで、3人の今夜の宿に落ち着いた。24時間体制の組立工場は、明々と照明がついて稼働し続けている。  

9月13日:

 社長は本日は校務に専念しなければならず、17時に合流することにしている。社長は3人がBoeingと市内見物をして、夕方合流することを期待しているらしいが、3人で相談した結果、(社長には内緒で)The museum of Flightをゆっくり見学することにした。9時に出発し、I-5を南下してBoeing Field(BFI)に隣接しているThe museum of Flightに行った。入場料は、Linさんは$25、殿様と私は$20である。広大な敷地に5つの建物と芝生があり、飛行機の実物や飛行機関係の展示がある。Aviation Pavilionという大きな建物には、Concorde、Air Force One、747(Prototype 1号機)、787(Prototype 3号機)、B-29等19機が所狭しと展示されている。芝生の上にはLockheed 1049G Super Constellationが鎮座している。BFIの離着陸を直ぐ目の前に見ることが出来、飛行機狂は何日いても飽きることがないだろう。Cafeで腹ごしらえをして、かれこれ5時間ほど滞在した。
 今日から3泊するDomicile Marina SLCは、辿り着くのは難しくなかったけれど、車を停めるのと部屋に入るのに悪戦苦闘した。Linさんに車の番をしてもらい、殿様と私が鍵の入手に挑戦した。予めインターネットで「入居の仕方」を受け取っているので、その指示に従って先ず殿様が操作したがうまく行かない。私が操作したら、鍵らしきものが出てきたので喜んだが、(後で分かったことであるが)それは駐車場の鍵だった。殿様も私も部屋の鍵を取り出すことが出来ない。「入居の仕方」には「管理人はいない」と書かれているが、入口の隣の部屋に3人ばかり人がいるので聞いてみたら管理人だった。駐車料金は前払いしてあるので鍵が取り出せたが、クレジットカードの情報を提供しなければ部屋の鍵を取り出すことが出来ないことが分かり、一件落着。9階建のコンドミニアムである。社長が208号室、殿様が310号室、Linさんが511号室、私が812号室だった。部屋に入ってみると、実にきれいなCompletely furnished appartmentである。何と!カーテンは電動である。特に8階の私の部屋は角部屋ですぐ前にLake Unionがあり、素晴らしい眺めである。
 社長が校務を終えて合流したので、Whole Food Marketに行き、食料品の買い出しをした。社長はLinさんに「秘書長を命ず」の辞令を交付しているが、更に自分自身に対して「料理長を命ず」、Linさんに対して「料理長補佐を命ず」の辞令を交付した。
 買物を済ませて、社長の馴染みの店であるI Love Sushiに直行した。場所はLake Unionを挟んで我々の宿舎の対岸にある。共同駐車場の空いているところに車を停めて、店に入った。16貫の盛り合わせを注文した。以前いた社長御贔屓の板前さんは「濱名巻」なるものを提供してくれたというが、今は独立して大変な人気だという。十分満足して外に出てみたら、車のワイパーに小さな黄色の封筒が挟んであった。開けてみたら「駐車料金を払え。車輌ナンバーは控えたぞ。15日以内に払わないと高くなるぞ」というものだった。已んぬる哉! I Love Sushiで聞いてみたら、それぞれの店の指定区画があるという。何か嘆かん今更に! 「乗務6時間以内の飲酒を厳禁する」という規定があるので、Dr. New Jerseyは運転できない。この規定はつい先頃「12時間」が「6時間」に緩和されたばかりである。私が運転して、宿舎に戻った。念のため、駐車料金支払い指示書に書かれている方法(インターネット経由の振込)を試してみたら、可能であることが確認出来た。後日談であるが、帰国してから同じことを試みたところ、「Web Page Blocked」と表示されてしまい、支払うことが出来ないことが分かった。Hertz経由で請求してくるのだろうか。
 宿舎に帰って、812号室、つまり私の部屋で情報交換会、つまり酒盛が開催され、日付が変わって1時頃にお開きとなった。

9月14日:

 208号室、つまり社長室が食堂に早変わりして、立派な朝食が用意されていた。料理長は、社長が自信を持って辞令を交付しただけあって、見事な腕前である。Linさんと私は全く調理の経験がない。私が自信を持って出来るのは、お湯を沸かすことくらいである。殿様も似た様なものではないかと思われる。
 すっかり腹ごしらえが出来たので、出かけることにした。今日の予定は、市内見物と野球観戦である。先ずはSpace Needleに登って、広い視野を持つことにしよう。Public Parkingに車を停めて、184mの塔を見上げながら近付いていった。登塔料金は大人$37.50、老人$32.50である。殿様は65歳になったばかりであるが、身分証明書の提示を求められない。高速エレベーターで158mにある展望台まで登ると、シアトルの全体像がよく分かる。しかし、曇っていたので、残念ながらMt. RainierやOlympic National Parkは見えなかった。この塔は1962年の建設というから、1958年建設の東京タワーより少しだけ「若い」ことになる。
 次に、Hiram M. Chittenden Locksを訪れた。これは海より水位が高いLake Unionと海との間を結ぶ運河に設けられた閘門である。パナマ運河のミニチュア版といえる。閘室に船を入れ、閘門を閉めて水位を上げる過程を具に観察した。陸上にいて様々に指示を出す「管制官」と船員とのやりとりがなかなか面白かった。
 次は、Pike Place Public Marketである。土曜日とあってもの凄い人出である。Starbucks Coffeeの1号店がある。圧巻はFish Marketである。ここで料理長が選んで購入した$162の食材が、後刻食卓に載せられ、大いに楽しむことが出来た。
 次にAmazon goに寄った。会員制の無人コンビニエンスストアであるが、社長はその場で登録をして俄会員になり、私は付き添いとして入店した。会計がどの様にして行われているのか不思議であるが、社長が登録したクレジットカードに間違いなく請求されていた。私はAmazon goのチョコレートを5枚買った。帰宅して食べてみたら、カカオ70%でなかなか美味しかった。
 食材を冷蔵庫に収納したりするために一旦宿舎に戻り、一休みしてから野球観戦のためにT-Mobile Parkへ行った。予約しておいた駐車場を探すのに一苦労したが、ギリギリでイチローの引退セレモニーに間に合った。我々の席は、バックネット裏の真ん中より少しだけ3塁側寄りの上の方であった。社長に敬意を表するためかも知れないが、我々の席の周辺はかなり広い範囲が空席であった。試合は、投手戦というべきか貧打戦というべきかなかなか点が入らなく、退屈しかけていたらファールボールが飛んできた。真っ直ぐにこちらに向かってくるので「危ない」と思った瞬間に社長の前の座席にぶつかった。我々の周囲は空席であるから、「社長様、どうぞお拾い下さい」といんばかりである。社長がそのボールを手にするとすかさず女性職員が証明書を届けに来た。これによって、本日この球場で社長が拾ったことが証明されるのである。途中から雨が降りだしたために、開閉式の屋根を閉めるところを見ることが出来た。社長は、菊池雄星投手の登板試合を観戦するために、日程の予測をして「14日に登板」と確信して入場券を予約していたが、予測が見事に外れ、菊地は13日に登板して惨敗していた。結果的には、社長の予測が外れたために、イチローの引退セレモニーが見られ、ファールボールを拾うことが出来、屋根を閉めるところを見ることが出来たという、またと得られないかも知れない幸運に恵まれた。
 明日は、朝8時に雨が降っていれば、10時頃までゆっくりしようということにして解散した。

9月15日:

 朝起きてみると、烈しくはないが雨が降っている。今朝もまた社長室が食堂に早変わりである。食事をしながら、今日の行動を相談した。社長から「アンダーグラウンドツアーはどうか」「水族館はどうか」など次々と提案が出されるが、なかなか賛同が得られずにいると、Linさんから「天気が悪くても国立公園を覗いてみたい」という力強い提案があった。Linさんの迫力に社長が押された形で、国立公園訪問に傾いた。今から日帰りできる国立公園はMt. RainierとOlympicであるが、雨の中を行くのであればMt. Rainierの方が良いだろうということで、出かけることにした。10:30の出発である。私にとってMt. Rainierは5回目の訪問になる。国立公園に敬意を表して4本線の私が操縦桿を握って出発した。I-5、I-405を経てWA-161に入る最短コースを辿ったが、今回も途中のPuyallupで少し渋滞があった。有難いことに、もう雨は上がっている。
 途中のElbeという小さな町に観光用の古い汽車があるのが、通る度に気になっていたが、ゆっくり見たことはなかった。今日はトイレ休憩を兼ねて、停まってみた。駅舎がありホームもある。古びた蒸気機関車は動きそうにないが、ディーゼル機関車はエンジンがかかっているし、連結されている客車も古々しいけれど現役らしく見える。MT. RAINIER SCENIC RAILROADと書かれている。本当に動くのか半信半疑のママ、先を急ぐことにした。曾て宿泊したことのあるAshfordの水車のあるホテルが健在であることを確認しながら進み、料金所に到着した。
 ここから山道に入り、最初は巨木の林である。OlympicのRain Forest程ではないが、枝から苔が垂れ下がっている巨木の林を通り抜けて、幾らも水が流れていない石ころだらけの川沿いに登っていった。晴れていれば所々からMt. Rainierが見えるはずであるが、今日は全く見えない。あちこちに滝があるが、先ずは目的地まで急ぐことにして走り続けた。ParadiseのVisitor Centerに着いてみると、こんな天気にも拘わらず駐車場は軽く一杯である。車から出てみると非常に寒い。以前9月に来た時と比べて、随分気温が低いと思われた。Visitor Center周辺の花畑は「もうすぐ冬が来る」という雰囲気である。全く羽織るものを持参しなかったLinさんは、飛行機の中で「借りてきた」カーディガンがなければ凍えるところであった。
 帰路にNadara滝に寄った。10分程歩いて滝が正面に見える所まで降りていけば良いのだが、寒いこともあり、社長以外は消極的であった。氷河に削られた谷を流れるNisqually Riverに架けられた橋の上で、氷河が流れていた昔を偲んだ。
 Elbeまで戻ってくると、汽笛が聞こえた。車を停めて降りてみると、行く時に停まっていた列車が走ってくるではないか。駅に停車すると、ほぼ満席の列車から続々と乗客が降りてきた。行く時には乗客らしい姿は全く見られなかったが、これ程大勢の人がどこから来たのだろうか。周囲を見渡しても、これ程の人を運ぶバスも見当たらないし、自動車も停まっていない。ここが終点ではないのかも知れない。
 来た時と同じ道を走って、PuyallupでWalmartに寄って買物をした。ここからは市街地の走行になるので、Dr. New Jerseyに運転を任せて、後席でくつろいだ。帰宅してから、社長室で「最後の晩餐」を楽しんだ。

9月16日:

 3人はNH177で帰国するが、Linさんは井桁状に交差する2組の近接平行滑走路を持つSFOの研究をするために別行動をとることになっている。3人が乗るNH177は13:20の出発であるが、Linさんが乗るUA698は9:55の出発であるから、朝早く出なければならない。7:30に駐車場に集合ということにしてあったが、社長が現れない。Linさんが探しに行ったが、部屋にもいないという。やがて、どこからともなく現れて、10分遅れで出発することが出来た。空港でLinさんを降ろしてからHertz Rent-a-car Returnへ行って車を返した。今回の走行距離は439milesであった。
 Shuttle Busで空港へ行き、ANAのチェックインが開始する10:20まで待ち、いの一番にチェックインして、社長はUberを呼んでThe Museum of Flightへ向かった。殿様と私は、Security Checkを済ませてからThe Club at SEAでくつろいだ。Diamond Member用の一郭があるが、ラウンジ評価の専門家である殿様は即座に「このラウンジはショボイ」と評価を下した。初めのうちは空いていたが、段々に混んできた。搭乗口S1へ行くと、社長は既に並んでいた。
 往路と同じく復路もJA822Aである。座席は殿様が1Aで私が3A、社長が6Aである。殿様と私は、往復とも同じ飛行機の同じ座席に座っている。これまでにも、往復とも同じ飛行機の同じ座席だったことは何回か経験しているが、何となく特別な気分である。搭乗してCPに「我が国には、海外旅行の際に必ず往復ともに同じ飛行機の同じ座席に座る人が少なくとも2人いるが、誰だか分かりますか?」と聞いてみた。怪訝な顔をしているので「天皇と総理大臣です」といったら、大笑いになった。CAの一人が「先日国内線で秋篠宮様の便を担当しました」と話していた。本日の機長は倉田さん、CPは渡辺さんである。
 13:27に出発して、16Lから離陸した。残念ながら曇っていてMt. Rainierが見えない。34から離陸すればOlympic半島が左下に見えるが、16からの離陸ではそれも見えない。モニター画面で地図が表示できない。来る時には表示されたので、その後に不具合が生じたのかも知れない。電源を入れ直しても直らないのでCAに話したら、配信元でリセットして直してくれた。私は搭乗中は常に飛行地図を表示させておくので、あれが故障するのは非常に困る。食事は洋食を選び、フィレステーキで満腹になった。
 ふと目が覚めて地図を見たら、アラスカに差し掛かっている。西海岸からの便がアラスカ上空を飛ぶことは珍しい。下を見ると氷河が見える! 冬の氷河は雪で真っ白になっていてきれいだが、夏は標高の低い所は雪が降らないので汚れている。それにしてもシアトルの帰りに氷河が見られたのは望外の喜びである。CPとの会話:「西海岸からの便で氷河が見られたのは初めてです」、「今日は飛行機好きのお客様のために北寄りのコースを飛んでいます」、「有り難うございます。機長に宜しくお伝え下さい」・・・・・。倉田機長に感謝! 到着まで1時間半のところで起きて、軽食に茅乃舎の野菜だしスープ、一風堂ラーメン、フルーツを食べた。ほぼ定刻の15:46に到着した。殿様と社長はNH2179でITMへ、私は車を運転して帰宅した。
 Linさんから届いた「SFO観察記録」によれば、10R/28Lと01L/19Rが工事のために一時的に使用停止になっていたとのことであった。交差する近接平行滑走路の運用状況が見られなかったのは、げに、まっこと残念ぜよ。

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