台湾珍道中日記2018

 2008年4月に大学入学試験の実情を調査するために、川嶋太津夫教授(殿様)、濱名篤学長(社長)、林篤裕教授(Linさん)とともに台湾を訪れてから、早いもので10年が経過した。10年振りに同じ顔ぶれで、公務を離れて、台湾を再訪することになった。私にとっては、台湾は5回目の訪問である。

9月14日(星期五):

 13時20分発の全日空NH853便に乗るために、9時過ぎに家を出た。京王線、山手線、京浜急行を乗り継いで、11時に羽田空港国際線ターミナルに着いた。搭乗手続きを済ませ、本日の機材がJA616Aであることを確認した。本来は、B787-881による運航の筈であるが、エンジンの設計上の不具合のために機材繰りが難しくなり、今月から暫くの間NH853/854はB767-381ERによる運航を余儀なくされている。「国際線は777と787以外には乗りたくない」と思っている私にとっては、誠に有り難くない「不測の事態」である。セキュリティ・チェックを済ませ、出国手続きに向かった。連休前日にも拘わらずそれほど混んではいなかった。殿様はITMから、LinさんはNGOから飛んで来るので、HNDの全日空殿様ラウンジを集合場所にしてある。出発ゲートは145番だから、保安検査場から遠い方のANA Suite Loungeに落ち着いて、早く到着しているはずのLinさんに電話した。2つあるラウンジのどちらであるかがうまく伝わらず、Linさんは2つのラウンジの間を行き来する羽目になり、予定外の運動を強要してしまった。
 全日空では、現在B787-8の国際線仕様機を25機保有している。その中で、16機が中・短距離仕様、9機が長距離仕様である。長距離仕様機は当初169席であったが、最近一部を184席に仕様変更している。私の「研究」結果では、JA813AとJA814Aの2機が184席に仕様変更されたと思われるが、そのことをConciergeに訊ねてみた。彼女はそのことを認識していなかったが、然るべき部署に問い合わせた結果、私の研究結果が正しいことが確認出来た。この2機は主としてNH172/171及びNH178/177に投入されている。先日SJCを往復した際に搭乗したNH172はJA813Aで184席仕様、NH171はJA822Aで169席仕様であった。元々の169席仕様がビジネス46席、プレミアム・エコノミー21席であるのに対して、184席仕様はビジネス32席、プレミアム・エコノミー14席である。
 殿様から連絡がないと思っていたら、ITMからの搭乗機が遅れたとのことで、やっと3人が揃うことが出来た。いつも保安検査場に近い方の殿様ラウンジを利用しているので、こちらの殿様ラウンジは初めてであるが、食べ物の品揃えが寂しいように思われる。殿様は「しょぼい」といい、Linさんは「平民ラウンジの方がマシかも知れない」という。殿様は、青組のみならず赤組でも殿様であり、世界中を飛び回っているので、多くの空港のラウンジ事情に精通していらっしゃる。
 145番ゲートからJA616Aに搭乗し、トランクを棚に載せ、3Aの席に落ち着いた。この飛行機では、3Aは前から2列目である。予約した時点ではB787-8が飛ぶはずだったから、本州や四国が望める3Kを確保しておいたのだが、「しょぼい」機材に変更されたためにA席になってしまった。殿様は前から3列目の右窓側席5Gである。結果的には当初の3Kであったとしても徹底的に「雲の観察」をすることになったのであるが・・・。定刻より2分遅れの13時22分に出発し、滑走路05から離陸して、順調に上昇し、鹿児島辺りまでは「雲上人」の気分で飛び続けた。
 食事は、和食と洋食を選べるのであるが、「牛フィレ肉のステーキ」につられて洋食を選んだ。運ばれてきたステーキは、年齢と共に衰えている咀嚼力を鍛えるのに十分な、「特筆すべき」硬さであった。私の分だけかと思っていたが、そうではなく、殿様も全く同じ評価だった。
 順調な飛行を続け、松山機場の滑走路10に着陸し、入国審査場から一番遠くにある4番ゲートに着いた。到着時刻は定刻より3分遅れの15時48分だった。最近「定時運航率」がかなり悪化しているANAとしては、極めて定時に近い運航であった。前回搭乗した時にも、着陸直前の機内放送で、「空港の上空からの撮影は禁止されています」と言われたので、放送がある直前まで撮影して、カメラを鞄に入れた。
 MRTの松山機場站で、悠遊卡(Easy Card)を購入し、Linさんは500元、私は400元チャージした。殿様は、昨年来訪した時に使用したカードがそのまま使える。早速そのカードでMRT文湖線に乗って大安站まで行き、徒歩2分ほどの所にある台北美侖大飯店(Park Taipei Hotel)にチェックインした。私は611号室、殿様は1211号室、Linさんは1311号室である。尚、社長はまだ到着していないが、811号室が割り当てられている。後ほど分かったのであるが、大安站で6番出口から出れば、ホテルは直ぐ目の前であった。
 今回の旅行の企画者である濱名旅行社社長は、本務である関西国際大学学長としての仕事を済ませてから、夕食後に我々と合流することになっている。当初の計画では、社長はKIXからTPEへJL813便で飛び、夕方までに本務を済ませて我々と合流する予定であったが、台風21号のためにKIXが機能しなくなり、9月14日現在、国際線は一部の機能しか回復していない。日本航空では、濱名社長のためにNRTからTPEへ臨時便JL8613を飛ばし、社長はビジネスクラスを貸し切りで利用したとのことである。しかし、台湾入りが当初の計画より遅くなることは避けられなかった。
 夕食は「フカヒレ」を食べに行こうということになり、予めLinさんが調べておいたリストの中から、中山站の近くにある欣欣魚翅坊へ行くことにした。私は以前、龍鮑翅専賣店には行ったことがあるので、今回は別の店を選んで見聞を広めることにした。Linさんは、社長から「秘書長を命ず」という辞令を交付されているので、出発前から情報収集に怠りない。MRTの淡水信義線で中山站まで行き、Google Mapを頼りに進んだが、かなり「歩数を稼いで」辿り着いた。翅(フカヒレ)龍(ロブスター)などで飽極了になり、帰路は最小の歩数で中山站に着くことが出来た。大安站の傍にある全家(Family Mart)で明日の朝食のための野菜サラダ、野菜ジュース、バナナ、メロンパンとお〜いお茶を調達したが、信用卡(Credit Card)が使えないので、現金で払った。以前は使えたのだが・・・。
 台湾では、以前からバイクが普及していたが、今回来てみて、自転車のシェアリングが盛んになっていることが分かった。
 既にチェックインしていた社長と合流し、明日の予定を相談して、解散した。

9月15日(星期六):

 台湾直撃かと恐れをなしていた超大型の台風22号は、当初の予想よりかなり南寄りのコースを進んでいるので安心していたが、時々強い風が吹き、時々雨が降る。どう見ても、台風の余波である。9時に出発した。MRT淡水信義線に乗り、中正記念堂站で松山新店線に乗り換えて終点の新店站まで行き、そこから849番烏来行の巴士に乗った。通りには何軒か檳榔屋がある。雨の中を約30分ほど走って烏来に着いた。途中の山にはあちこちに檳榔樹林があった。温泉や土産物屋が並ぶ烏来老街にある烏来泰雅民族博物館に寄ってみた。原住民族Atayal族の文化を垣間見ることが出来た。日本と違って海外では、温泉があっても、簡単に立ち寄ってNewYorkerになるわけにはいかない。社長はそのつもりで水着を用意してきたらしいが、他の3人は不用意である。というわけで、NewYorkerになるのは諦めて、滝を見に行くことにした。
 攬勝大橋を渡って烏来瀑布(白糸の滝)を見に行くのであるが、約1.5kmを歩くかトロッコに乗るか。幸い雨が上がっていたので歩くことにした。川沿いにトロッコと道路が並んでいる。左右に無数の小さい滝がある。30分程かかって、烏来瀑布に辿り着いた。私が見たことのある滝で一番大きいのはナイアガラ瀑布であるが、それと比較することは適切ではないものの、なかなか立派な滝である。
 餓になったので、昼食を取ることにした。一軒の店を覗いたら満席だったので、隣の空いている店に入った。竹筒飯檳榔筍湯など8品を頼んだが、どれも評価が高かった。腹ごしらえが出来たが、帰路はタクシーに乗り、先程歩いてきた道を走って、巴士乗場まで戻った。
 社長が「中正記念堂へ行って衛兵の交代を見よう。十分時間があるから巴士で行けばいい」というので、巴士で中正記念堂まで直行したが、思ったより時間がかかり、15時の衛兵交代にギリギリで間に合った。エレベーターに乗ろうと並んでいて私の順番が来たら「待て」と制止された。見ると、衛兵が3人やってきて、先に乗っていった。衛兵の交代は何回か見ているが、我々と同じエレベーターに乗るとは知らなかった。
 街角のこぎれいな店で氷水を飲んで一休みしてから、MRTで大安站より2つ先の台北101/世貿站まで行き、台北101に登った。台北101は3回目であるが、今回は、雲の隙間から台北を見渡すことになった。
 社長は土産物を買いまくることで知られているが、今回は「台湾の名物はパイナップルケーキだが、台北では微熱山丘(Sunny Hills)、台中では宮原眼科のものを買うべし」との通達を発している。その微熱山丘(Sunny Hills)は新光三越の中にあるという。「新光三越は直ぐそこだから・・・」ということで、風雨の中を歩き出したが、その一郭に着いてからが大変だった。日本橋三越の様な積もりで、入り口で「微熱山丘(Sunny Hills)はどこですか?」と聞けば分かると思ったのが間違いの元だった。新光三越の建物が10以上あるので、別の建物で聞いても埒が明かないことが後で分かった。私なら直ぐに諦めてしまうのだが、こういう時に社長は超人的な能力を発揮する。要するに、聞きまくるのである。10回以上は聞いたと思うが、やっとのことで目的地に辿り着くことが出来た。社長の執念、微熱山丘に通ず! 当然立派な店を構えていると思っていたが、豈図らんや弟また如からんや、小さなカウンターがあって店番が2人いるだけではないか! 10個入りを3箱買ったが、箱が一つ一つ布製の袋に入っていて、ビックリするほどの重さである。帰宅してから食べてみて、古来いわれている「名物に美味いものなし」には例外があることを認識した。社長の通達に敬意を表するとともに、風雨をものともしない社長の執念に感謝!
 鼎泰豊で食事をすることにしたが、小一時間待たなければならない。ウェイティングリストに名前を登録してから直ぐそばにある酒屋でシャンパンを飲んで態勢を整え、やっとのことで鼎泰豊に席を占めることが出来た。これまた、社長の執念、鼎泰豊の席を確保! 次々と運ばれてくる料理が瞬く間に空になり、很好吃でありかつ飽極了になった。
 大安站の傍にある7-11で明日の朝食を調達して、部屋に戻った。

9月16日(星期日):

 猫空へ行こうということになり、大安站からMRT文湖線に乗って、終点の動物園站まで行った。降りた目の前にある表示板に、左に行けば猫空纜車、右に行けば動物園と書いてある。左方向には猫空ロープウェイが見えるが、動いていない。まだ台風の余波で風が強いからに違いない。社長曰く「動物園に行こう」と。こういう時の社長の決断は実に素早い。いわゆる開放型の動物園で、シンガポール動物園によく似ている。大熊猫、コアラ、象、河馬、虎、麒麟など標準装備の動物は全て揃っているが、中でも、河馬は随分たくさんいた。細縞の縞馬が珍しかった。動物「便」電所というものがあったが、どの程度の便益があるのだろうか。
 MRTで忠孝復興站へ行き、SOGOのバイキング・レストラン漢来海港餐庁で昼食を取った。大変な混雑であったが、辛うじて席を見つけることが出来た。ここでも社長は超人振りを発揮し、私の3倍くらいは平らげて、涼しい顔をしている。
 土産物を買うために、スーパーに寄った。ここでも社長は次々と試食しながら大量に買い込んだが、折りたたみ式の鞄を持っているので、持ち運びに困ることはなかった。夕方から九份へ出かけることにして、一旦ホテルに戻った。殿様は昨年九份を訪問している。殿様の話を参考に、ホテルのフロントで訊ねてみた結果、今回はタクシーをチャーターして行くことにした。4時間2500元である。台湾のタクシーは全て黄色で分かり易い。台湾の自動車は大半が日本車であり、その中ではトヨタ車が非常に多い。我々のチャーターしたタクシーもトヨタ車である。松山機場の脇を通る高速道路を進んで、九份の門前町瑞芳を通り、45分程で九份に到着した。歩き始めてみると、大変な人である。至る所で日本語の会話が聞こえてくる。人の波にもまれながら、主要な通りを歩いているうちに、段々夕方になってきたので、夕景が素晴らしいと言われている阿妹茶楼の向かい側へ行ってみた。もの凄い人で身動きがとれない。段々と日が暮れていく様子を見ながら、何枚か写真を撮るのが精一杯であった。暗くなったが、まだ時間があるので「阿妹茶楼に登楼してビールを飲もう」ということになり、列の後ろに並んだ。やっと順番が来て席に案内され、「ビールを頼む」といったら「お茶だけです」と言われ、私以外はガッカリしていた。3人は熱いお茶を頼み、私は冷たいお茶を頼んだ。店の人が慣れた手つきで急須と茶碗を温めながらお茶を入れてくれるのを見て、3人は不慣れな手つきで真似をしていたが、全くもって「似て非なる」動作で、様にならない。そうこうするうちに時間になり、雑踏をかき分けてタクシーの待つ場所へ戻った。
 中山站近くの青葉というレストランまで送ってもらってタクシーを降りた。教科書を見ると「台北グルメガイド」欄の一番目に挙げられている店である。社長は「一昨日自分はフカヒレを食べていないから・・・」ということで、フカヒレを含む数品を注文した。一昨日のフカヒレとは全く味付けが違い、こちらの方が私の好みには合っている。十分満足して、MRTに乗り、大安站の傍にある7-11で明日の朝食を調達して、部屋に戻った。

9月17日(星期一):

 台中へ日帰りで出かけるために、早起きして7時45分に出発した。殿様と私は「7時45分は早い」と主張したが、Linさんは「日本では8時45分だから早くはない」と反論する。殿様は「ここでは7時45分だから、早い」と、一歩も譲らない。起きてしまえばどうということはないのだが、目覚ましをかけるということに緊張感を覚える。一人の遅刻者もなく、全員揃ってMRT淡水信義線に乗り、台北車站へ移動した。8時31分発の113号に乗ることにして、窓口で聞くと、B席つまり3人掛けの真ん中の席しかないという。号車も異なり全員バラバラであるが、仕方がない。台中までの料金は700元である。日本の新幹線に比べれば随分安い。車輌は日本製で、いわゆる700系である。9時18分に台中站に着いた。
 関西国際大学の交流協定校である亞洲大学が車を出してくれることになっているという。駅について外に出てみたがそれらしい姿が見つからないので、社長が電話したら直ぐに連絡が付いた。迎えに来てくれた2人の中の一人(男性)を見て社長は、「君の顔に見覚えがある。昨年協定を締結しに来た時に会っているね。」といったら、もう一人(女性)が「その時私もいました」といって笑っていた。
 車で30分ほど走って、大甲渓の河口に広がる高美湿地に着いた。今日は、台湾に来てから初めての晴天に恵まれて、日差しが強く暑さも厳しい。説明板には「高美重要湿地(国家級)」と書かれている。「湿地」というよりは「干潟」という感じであるが、引き潮と見えて、かなり遠くまで潮が引いている。沖に向かって500mほどの木道が設けられていて、その上を歩いて先端まで行ってみた。木道の両側には、無数の小さい穴があり、シオマネキとその子供が動き回っている。風の強い所らしく、風力発電が多数設置されている。木道の先端まで行き、社長は裸足になって海に入り、中国大陸へ向かって行ける所まで歩を進めた。
 車で香蕉新楽園まで送ってもらった。これは教科書の「台中グルメガイド」欄の一番目に挙げられている店であり、店の前に置かれた列車に看板が掲げられている。「香蕉」はバナナであるが、店の入り口にはバナナを抱えた少年の像が置かれている。店の中は1950年代の台中の町並を再現し、看板などが飾られている。日本語の看板も何枚かある。油淋去骨鶏をはじめ6品を注文して、台中の味を楽しんだ。2階には玩具などの展示もあり、食堂兼博物館といった趣である。
 タクシーで宮原眼科まで移動した。宮原眼科といっても、現在は菓子屋兼喫茶店といったところ。社長はここでもパイナップルケーキを山ほど買い込んだ。秘書長に運搬係兼務を命じたことは言うまでもない。私も、社長の通達を尊重して、一箱購入したが、微熱山丘(Sunny Hills)のものに比べれば随分軽い。宮原眼科があったせいかも知れないけれど、メガネ屋がやたらと目に付く。宮原眼科から台中站まで歩く途中の喫茶店に入り、巨大なシャーベットを頼んで、4人でシェアした。駅前に檳榔屋があったので1袋購入して、早速試してみたが、何故か前回のように赤くはならなかった。
 「老婆餅」という看板が目に付いた。秋田の「ババベラ」の同類と思われる。
 台中站から在来線乗って高鉄の台中站まで移動し、15時39分発の136号に乗って台北に戻った。今度も全員がB席だった。
 「最後の晩餐」はホテルの近くでということで、フロントのお兄さんに助言を求め、タクシーで5分程の所にある参和院台湾風格飲食に登楼した。飲みきれなかった「鹿茸酒」を前回同様Linさんが持ち帰ろうとしたのだが、松山機場の保安検査で「液体が100cc未満であっても、容器が300ccのガラス製だからダメ」といって没収されてしまったという。保安検査係員の好物だったのかも知れない。
 台湾は世界に冠たる食文化の国である。教科書を開いてみれば、食文化の解説に多くの頁を費やしている。我々は今回も、社長のリーダーシップの下に、心ゆくまで台湾の食文化を満喫することが出来た。
 その一方で、教科書を開いてみても、「檳榔」に関する記述は見当たらない。しかし、台湾には夥しい数の檳榔屋が存在する。台湾の文化を語る際に、檳榔を避けて通るわけにはいかない。参和院を出て忠孝復興站まで歩く途中に檳榔屋があった。先程台中で購入した檳榔が「納得し難い」品だったので、今度こそはと願いを込めて1袋購入した。ホテルに戻って両者比較検討してみたが、見かけの違いは分かるものの、成分や効能の違いは分からずじまいだった。檳榔文化は実に奥が深い。我々の檳榔文化研究は、緒に就いたばかりであり、更なる臨地研究が必要である。

9月18日(星期二):

 TPEから帰国する社長は、空港が遠い分出発が早い。見送りに降りてみたら、社長がフロントの女性係員と盛り上がっている。何と、彼女が関西国際大学に留学した経験があることが分かったというではないか。世間は狭いというべきか、いやいや、関西国際大学の国際交流が如何に素晴らしいかを改めて認識することが出来たというべきである。お土産が一杯詰まった大きなスーツケースを2つ転がしながら、足取り軽く巴士停に向かう社長を見送った。今回、チェックインする荷物を持参したのは社長だけである。
 殿様と私が搭乗するNH852は、NH851が折り返すのであるが、「NH851は、機材変更のため、98分遅れてHNDを出発した」旨の連絡が届いた。私は、家に帰るだけだから困らないけれど、殿様は、HNDから乗り継いでITMまで行かなければならない。
 殿様と私は11時45分に出発して、大安站からMRTに乗って松山機場へ向かった。400元もチャージして、「余ったらどうしよう」と心配した悠遊卡(Easy Card)は、松山機場站で降りた時には残りが7元となっていた。現金も10元残っただけである。
 チェックインカウンターでは、ITM便への乗り継ぎは難しいのでUKB便への乗り継ぎを確保するように努めるという。保安検査を受け、出国手続きをして、EVA航空のラウンジに落ち着いた。TSAは国内線が中心の空港であるにもかかわらず、免税店やラウンジが充実している。チェックインカウンターで対応した職員が、殿様に「UKB便への乗り継ぎを確保した」ことを伝えに来た。ラウンジから出てゲートに向かうと、出発ゲートが5番から7番に変更されていた。7番ゲートにはJA838Aが接岸している。座席は、私が2A、殿様が4Aである。遅延のために他便に変更した人もいるらしく、空席が多い。2Bも4Bも空席である。
 空路恙無く飛んできたが、高度を下げる頃から雲が厚くなった。「HNDの天候は雨」という。極めてスムーズに滑走路22に着陸すると思った途端、出力を上げて再浮上した。いわゆるGAである。「横風が強いため」とアナウンスされていた。私は長年飛行機に乗っているが、GAを経験したことがなかった。しかし、台風の中を着陸した経験はある。2016年8月22日、台風9号が12時半頃館山付近に上陸したために多くの便がKIX、NGO、CTSなどに避難着陸していたが、私が搭乗したNH007/JA778Aは、銚子沖で約1時間ホールディングしてチャンスを窺い、「着陸します」という力強いアナウンスがあって無事16Rに着陸した。大きく揺れながらの着陸であり、必死で座席にしがみついていたが、貴重な体験が出来た。素晴らしい技量を持ちかつ勇気ある北口機長に敬意を表し、感謝している。
 我々の搭乗機は34Lに着陸したが、殿様の乗り継ぎは相当に厳しくなったと思われた。入国審査を済ませて、殿様と別れた。殿様は、結果的にUKB便NH415に乗り継ぐことが出来たものの、悪天候のため出発が1時間半ほど遅れ、午前様になったらしい。

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