会津大学訪問記

忘月忘日 私と錦君の乗った「つばさ119号」は朝から猛暑の東京駅を定刻9時36分に発車した。幸いにして隣席との間に肘掛けがあるので、私の座席が錦君による侵略を受けずに済んでいる。気宇壮大に天下国家を論じているうちに、定刻11時01分に郡山に着いた。磐越西線に乗り換える階段は随分狭く、錦君が通れるかどうか心配だった。喜多方行きの特急「ビバあいづ1号」は帰省客らしい人達で満席だった。会津磐梯山を右手に見ながら、山間の単線を進んで行く。無人駅が多い。12時11分に会津若松に着き、タクシーに乗って、予め錦君が心づもりしてきた鰻屋「えびや」へ行って鰻重を食べて腹ごしらえをした。私は腹八分目になったが、錦君は腹三分目らしい。
 直ぐ近くの中央公民館前に立っている野口英世の大きな銅像に敬意を表した。公民館の裏には蒲生氏郷公の墓がある。戒名は昌林院殿前参議従三位高岩宗忠大禅定門であり、切支丹名は「レオ飛騨」である。「空風火水地」と書かれた大きな五輪塔と辞世の歌「限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」の歌碑もある。
 タクシーに乗って会津大学に向かった。会津大学は1993年に開学し、コンピューター理工学に特化した特色ある県立大学として知られているので、是非見学したいと思っていたが、やっと念願を果たすことができた。学長室にお邪魔して、仙台に出かけられる直前の野口学長と暫し懇談した。学長室には学長用の机と研究用の机があり、研究用の机は資料が磐梯山のように積み重ねられていた。引き続き隣室で五十嵐事務局長からいろいろとお話を伺い、飯塚主幹に学内を案内して頂いた。会津大学は20ヘクタールの敷地に実にゆったりと建てられている。約1000人の学生に対して1人1台のワークステーションが設置されていて24時間利用ができるのは、他に例をみないという。教員の約半数が外国人というのも他に例がないと思われる。
 情報処理センターを見学した。スペースが実にゆとりがあり、センター長の他に専任教員が3名、職員が5名、他に数名のSEが配置されている。3年サイクルで更新されているシステムは申し分なく充実したものであり、羨ましい限りである。
 LL教室には村川久子教授がソニーと開発したLML語学教育システムが設置されている。ワークステーション上で音声分析ができるこのシステムにより、学生達はRとLの違い等を納得することができるという。村川先生御自身から実地に説明を伺うことができた。
 通産省と福島県が7億円ずつ出資して建てたというマルチメディアセンターも素晴らしいものだった。全国に6箇所同様な施設があるが、大学に設置されているのはここだけだという。担当の芳賀さんの明快な説明を聞きながら見学した。最初に3Dシアターで大学紹介の立体映像を見せてもらった。160インチの大型3面マルチスクリーン上で「野口です」といって紹介が始まるが、野口学長ではなく野口英世であるのが面白い。最先端・最高水準の機能を備えたセミナールーム、CGクリエイションルーム、サウンドクリエイションルーム、運動解析ルーム等は、学外者も有料で利用することができる。更に、ここには産学連携の拠点として、研究開発室が4室用意されている。
 図書館や食堂等も見せて頂いたが、スペースがゆったりしていて、施設・設備が実に充実している。誠にもって羨ましい限りである。
 時間ぎりぎりまで見学して、駅まで送って頂き、17時09分発の電車に乗り、郡山で「やまびこ146号」に乗り換えた。途中宇都宮辺で雷雨にあったが、予定通り帰ってきた。
 昨今、国立大学は法人化問題に揺れ、公立大学は厳しい財政状況の中でその存在意義が問い直されている。そんな中にあって、開学8年目の会津大学は、公立大学のあるべき姿を若さの漲るパワーで実現している。

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