朝のタクシーが1時前に来て待っていたので、早速市内見学に繰り出すことにした。函館といえば五稜郭が有名であるが、四稜郭というのもあるというので寄ってみることにした。直ぐ近くだといって走り出したがなかなか見つからず、さんざん迷って辿り着いた。「五稜郭の背後を固めるために急造した洋式の台場」と説明されているが、水の無くなった釣り堀程度のものである。すっかり葉桜になった木に残り花が幾つかついていて、非常に遅い花見が出来た。
散り残る桜ちらほら四稜郭
次に五稜郭へ行ってみた。四稜郭より遙かに大きく立派であり、随分人が出ている。「四」と「五」の違いは絶大である。「ここは立派だが、四稜郭は物の役に立たないね」といったら、錦君曰く「思慮を欠くですからね」と。傑作である!座布団5枚! 藤と躑躅がきれいに咲き誇っている。藤棚の下を通って中へ入るときに良い香りがした。
藤棚の甘き香りや五稜郭
ドイツ製とイギリス製の大砲が置いてある。運転手兼ガイドが「信州にも小さな五稜郭があって、今は小学校が建っているそうです」という。長野県人としては黙っているわけにはいかないので「そう、あれは臼田町にあって、今は田口小学校が建っているが、当時の建物が一つだけ残っている。藩主松平乗謨公は日本赤十字社の創立者です」と補足した。
土方歳三最期の地へ行って多摩出身の英雄に敬意を表した。戒名は「歳進院殿誠山義豊大居士」である。錦君と影本君は祝賀会に出ないで未来大学について勉強していたので「餓」になったという。「錦君は十分蓄えがあるから一食位抜いた方が良いよ」と忠告したが聞く耳を持たずに「龍園」という名前は立派だが頗る小さなラーメン屋に飛び込んだ。
町の中にある「酒は涙かため息か・・・」の碑と高田屋嘉兵衛の像を見て、石川啄木一族の墓に表敬した。啄木は出身地の岩手よりは函館で評判がいいらしい。
立待岬に出てみた。はまなすが群生している。♪ 瞼の裏に咲いている 幼なじみのはまなすの花・・・
はまなすの岬に休む渡り鳥
下北半島と津軽半島が一望でき、反対側には駒ヶ岳が見える。津軽海峡夏景色は実に素晴らしい。
啄木が
函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢車の花
と詠んだ青柳町を通り、亀井勝一郎生誕地に立ち寄って、函館山の中腹を巡った。カトリック元町教会、地元で「ガンガン寺」と呼んでいる青い屋根のハリストス正教会、東本願寺別院、・・・、函館は神社仏閣、特に教会が多い。八幡坂の上にある函館西高校からは摩周丸が眼下に見える。文字通り「港の見える丘」である。港には函館ドックの大きなクレーンが2基並んでいる。旧函館公会堂、旧イギリス領事館、赤煉瓦の中華会館、旧ロシア領事館、高龍寺、・・・、等を見て、天下の号外屋翁信濃治助の墓という真っ赤に塗られた石塔に寄り道してから、外人墓地を訪れた。
山を下りて、太刀川家の住宅を見に行った。1階がギリシャ風、2階が和風の建物で、国の重要文化財に指定されている。新島襄密出国の地に寄ってから、日本最古のコンクリート電柱を見に行った。電柱としては珍しく4角柱であり、1923年に建てられて、今も尚現役であるという。函館には「日本最古の・・・」「日本で2番目の・・・」がたくさんある。
波止場通りの赤煉瓦倉庫群は通りに面している部分をビアホールや展示室にしている。一軒の展示室を覗いてみたら、懐かしいカメラが一杯並んでいた。港にはイカ釣り船が何艘も停泊していた。電球がたくさんついていて、明かりを灯してイカをおびき寄せて釣るのだという。
漁火通を湯の川温泉へ向かう途中の大森浜で石川啄木の像に敬意を表した。啄木はここで
東海の小島の磯の白砂にわれ泣き濡れて蟹とたはむる
を詠んだ。少し寄り道して中原理恵の生家を見て、トラピスチヌ修道院へ向かった。修道院は厳重に塀を巡らし、塀には忍び返しかガラスの破片が植えてある。運転手兼ガイド曰く「ここの修道女の平均年齢は62才だそうです」と。してみると、厳重な塀は外部からの侵入者を防ぐというよりも、修道女が夜な夜な抜け出すのを防ぐための物かも知れない。売店が店仕舞いする5分前に飛び込んで飴とマドレーヌを買った。境内はきれいに掃除されていてゴミ一つ落ちていない。残念ながら、というほどのことはないが、修道女の姿は見えない。帰ろうとして引き返したら、入り口が閉まっている。「しまった、虜になったか」と思ったが、脇に、中からは出られるが、外からは入れないようになっている小さな回転扉があった。「錦君は無理だね」といったが、彼も辛うじて通り抜けることができて、女難を免れた。全くの偶然だったが、函館の森羅万象神社仏閣を知り尽くしている運転手兼ガイドに巡り会えたお陰で、約5時間で主要な名所旧跡を訪ねることができた。3時間半コースの予定を大幅に超過してサービスしてもらった。
もう一泊して青森公立大学に寄っていくという影本君と別れて、私と錦君は空港へ向かった。帰りの JAL 548 便は幸運なことに、国際線用の高級機材を臨時に転用したというボーイング 747-SUD だった。まだ完全には暗くなっていなかったが、機上から函館の夜景を眺めることができ、しかも、西空の夕焼けが素晴らしくきれいだった。更に、津軽海峡に浮かぶイカ釣り船団の灯がきれいだった。
烏賊釣りの漁火遠く最終便