岩手県立大学訪問記

忘月忘日 開学して2年目の岩手県立大学を訪問してみることにした。私と桜田女史の乗った「やまびこ11号」は定刻11時12分に東京駅を発車し小雨の中を走り出した。この列車は上野には停まらない。東北方面に行く列車が東京の北の玄関上野駅に停まらないとは・・・、「ああ上野駅」。今日は丁度岩手県立大学の西澤潤一学長が所用で埼玉に来ておられるとのこと。新幹線の車内でお会いできるかも知れないと思っていたら大宮で西澤先生が乗って来られた。用事を済まして盛岡にお帰りになるところである。御多忙な先生に時間を割いて頂いて恐縮である。丁重に御挨拶申し上げた。
 途中かなり降っていた雨は仙台を過ぎた辺りであがった。盛岡に着くと岩手県立大学の方がホームまで迎えに来て下さり、早速迎えの車に乗って大学へ向かった。10分程走ると「厨川」即ち、前九年の役で安倍貞任が源義家に討たれた地である。安倍貞任と源義家といえば、衣川の戦の時に残した合作の歌
   年を経し糸の乱れの苦しさに衣のたてはほころびにけり
が有名である。市街を抜けて稲穂が黄金色になった田園地帯を走り、牧場の中にあるような大学に着いた。「地域に開かれた大学」ということで塀も垣根もない。大学のある滝沢村は人口が48800人で全国第2位とのことである。
 本部棟の2階に案内された。事務局長室、副学長室、応接室、学長室と並んでいる。どの部屋もドア、腰板、床が全て木製である。学長が仕事を済まされるまでの間応接室で副学長の塚本先生にいろいろなお話を伺ってから学長室にお邪魔した。学長室はシャワー・トイレ付きで十分に広い上に、「南部片富士」といわれる岩手山の美しい稜線が正面に見える。窓からの眺めが雄大で実に素晴らしい。「これは日本一の学長室ではないかと思いますが、東北大学の学長室と比べて如何ですか」「あれは老朽化していて日本で最悪の学長室です。下の事務室から『学長、静かに歩いて下さい』といわれました。学長がどこにいるかわかるのだそうです」「鴬張りですね」 事務局長室からは姫神山が見える。「岩手山が嫉妬する姫神山を投げ飛ばした。そのために両山がともに姿を見せることはない」という面白い伝説があるそうだが、今日は素晴らしい晴天に恵まれて両山揃って我々を歓迎してくれている。岩手山は近い将来、爆発するかも知れないという。「爆発すると学長室は危なくないですか」「大丈夫です、反対側へ吹き出す筈ですから」 岩手といえば宮澤賢治と石川啄木であるが、県人は宮澤派と石川派に分かれているという。学長室の書棚に立派な宮澤賢治全集が飾られているところを見ると、学長は宮澤派かも知れない。大学案内には「イーハトーブの風になれ」「君たちも、ここで『風の又三郎』になる」と書かれている。私はどちらの派にも属さないが、啄木の
   やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
は近代短歌の最高傑作であると思う。因みに、啄木が生まれ育った「日戸」や「渋民」は隣の玉山村である。
 学長、副学長からお話を伺って、岩手県の高等教育にかける情熱が並々ならぬものであることを実感した。高野長英、田中舘愛橘、新渡戸稲造、金田一京助等数多くの偉人を輩出している岩手に相応しく「自然、科学、人間が調和した新しい時代の創造。そのために人間性豊かな社会の形成に寄与する深い知性と豊かな感性を備え、高度な専門性を身につけた自律的な人間を育てること」という建学の理念のもとに、看護学部、社会福祉学部、ソフトウェア情報学部、総合政策学部の4学部が設置され、短期大学部が併設されている。教育・研究の特色として「人間性を培う教養教育」「学部間の連携」「地域に根ざした実学・実践的教育・研究」「地域に開かれた大学」「国際性」をあげている。現在開学2年目であるが、来年度にはソフトウェア情報学研究科と総合政策学研究科の大学院の設置を予定している。
 西澤先生が「全く不満はありません」と仰有ることから、設置者である岩手県が理想的な大学を創るために全てを西澤先生にお任せし、県と西澤先生との間に素晴らしい信頼関係が築かれていることがよく分かる。これは西澤先生の偉大さに負うところが大であるのはいうまでもないが、設置者と大学の関係はこうでなければならないと思う。公立大学の理想像を見る思いがする。「是非ここで公立大学学長研修会を開きたいと思いますが・・・」「どうぞおやり下さい。県も歓迎してくれます」 某公立大学では学長がこういうことをいえば傍にいる事務方が「予算がないから無理です」というに違いない。まことにもって羨ましい限りであるが、本当は西澤学長と某公立大学学長の実力の違いというべきであろう。
 石川事務局次長に案内して頂いて学内を見学した。35ヘクタールあるほぼ長方形の敷地に校舎群と運動施設が配置されている。敷地は芝生と池が実に見事に整備されている。校舎はモールを挟んで200メートルの廊下が2本ありその外側に50〜100メートルのウイングが櫛の歯状に配置されいて、外に出ることなく移動することが可能である。北国の冬を考えた合理的な設計である。落葉松の防風林等の周辺環境に馴染むように建物は3階建にして、外壁はアースカラーといわれる色に統一されている。21世紀のマルチメディア社会を支える多彩な人材の輩出を目標としているというだけあって、情報システムの充実は目を瞠るものがある。特にソフトウェア情報学部では全ての学生に自分専用の机とパソコンが与えられている。夢のような世界である。これこそ「イーハトーブ」に違いない。教育・研究用のシステムの充実のみならず、全席パソコン付きの円卓会議室まで用意されているのには驚いた。桜田女史に「ここではペーパーレスで会議ができるではないか。公立大学協会でも早速始めよう」と宣言した。
 事前にホームページを見て、ソフトウェア情報学部の堀内隆彦助教授が高校の後輩であることが分かっていたので研究室に寄ってみた。30平米の研究室は快適で研究環境も非常にいいという。全くの初対面であるが見るからに頼もしい青年である。我が高校の後輩が本学で活躍していることは心強い限りである。
 学生ホールにある食堂は2層構造で明るく席が十分あり値段も安い。大学の食堂とは思えないしゃれた感じで、学外者の利用も多いという。メディアセンターは図書館とAVコーナーの機能を兼ね備えた円形の建物と、コンピューター演習室と語学学習室をもつ正方形の建物から成り、最新の機材が極めて豊富に設置されている。「開かれた大学」に相応しく、これらも学外者に開放されているという。延べ床面積80845平米の校舎は1学年440名に対して十分に広く、至る所にゆとりがあり、羨ましい限りである。就職情報センターには2名の職員が配置されていて、学生に対して情報の提供と相談に応じる体制が整えられている。又、多様な能力と高い学習意欲を備えた学生を発掘するために入試専門部局アドミッション・オフィスを設置し、2名の教員を配置している。
 説明をお聞きしながら学内を見学させて頂き、本学のハード面並びにソフト面の充実振りを目の当たりにして、岩手県がこの大学にかける期待の大きさを改めて実感した。西澤学長や塚本副学長が再三「岩手県の人は温かい」と強調しておられたが、本学の至る所に大学を大切に育てようとする設置者の親鳥の羽のような「温かさ」を感じることができた。「これぞ理想の公立大学」と感激に浸りながら暮れ始めたキャンパスを後にした。

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