九州歯科大学訪問記

忘月忘日 私と錦係長の乗った JAL 373 便は雨の福岡空港に着陸した。地下鉄で博多駅に行き、暫く待って新幹線に乗り小倉に着いたときには殆ど雨は止んでいた。タクシーで厚生年金会館に行き、部屋に荷物を置いてから外に出て軽く腹ごしらえをした。
 朝起きてみると窓の正面に小倉城が見える。食事をしてタクシーに乗り九州歯科大学へ向かったが、思ったより近く直ぐに着いてしまった。喫茶店に入って時間調整をしてから会場に行き、胸に大きな花を付けられて新付属病院開院の玄関に並んだ。祇園太鼓に続いてテープカットが行われ、2階ホールに移動して記念式典が行われた。式典に続いて次期学長の内田先生に案内して頂いて院内を見学したが、余りの素晴らしさに驚くばかりであった。「日本一」というだけあって至れり尽くせりである。118億円を投入した福岡県の意気込みが感じられる。「歯が悪くなったらおいで下さい」といわれたが、是非そうしたいと思う。随分時間をかけて院内を案内して頂いた後昼食を御馳走になって失礼した。
 小倉駅まで行って、観光案内用のタクシーに乗り、小倉城内にある松本清張記念館へ行った。館内には東京にあった清張邸を移築してあり、書斎や書庫がそのまま保存されている。
 関門橋を渡って下関の赤間神宮へ行った。竜宮城のような建物であるが乙姫様の姿は見当たらない。ここが壇ノ浦で、直ぐ目と鼻の先には対岸の門司がある。あまりに近いのに驚いた。赤間神宮には安徳天皇陵や平家の七盛塚等がある。7人全員に「盛」が付いているわけではないが「七盛塚」といわれている。平家はここで滅ぼされ
   一族は蟹と遊女に名を残し
ということになったが、資料館に平家蟹が展示されていたのが可笑しかった。然し、勝った方の義経も間もなく頼朝に討たれ
   西海の九郎も水の泡となり
となってしまった。
 「高杉晋作回天義挙之所」という碑がある国宝功山寺に寄り、直ぐ近くにある乃木神社へ行った。乃木神社の境内には注連縄のかかった「さざれ石」があり、乃木邸、水師営の棗の木、「水師営の会見」の歌碑等があった。棗は水師営から拾ってきた実から生えて育ったものだという。錦係長は歌碑に付いている楽譜を見ながら「水師営の会見」をほぼ正確に歌った。犬吠埼派の私と違って、錦係長の音感はなかなかのものらしい。
 海底トンネルを通って門司に戻り、門司港駅に行ってみた。重要文化財に指定されている駅舎は1914年の建築で、内部も殆どが往事のままで懐かしい。戦時中に供出を免れたという大きな「幸運の手水鉢」がある。ホームの端には鹿児島本線の起点を表わす「0哩標識」が残されている。駅の周辺には1921年建築の三井倶楽部をはじめとしてレトロ調の建物が数多く集められている。人力車が暇そうに客待ちをしている。
 関門海峡が一望できる丘にある和布刈公園に行ってみた。壇ノ浦の合戦の大きな壁画があり、眼下に門司港があり門司港駅が見える。関門橋の向こうが下関で、先程訪れた赤間神宮が見える。関門海峡の海流が早いらしく瀬戸内側から来た船は殆ど進まない。
 丘を下りて海峡沿いにある和布刈神社へ寄った。間近で見ると海流の速さがよく分かるが、まるで川のような勢いで流れている。これでは現代の船でも進むのが大変だろうと思われるから、平氏の水軍が前進できずに全滅したのは納得できる。巌流島を間近に見ながら小倉に戻り、新幹線で博多に行き、ANA266便で帰京した。大雨を心配したが、幸いにして一度も傘を使わずに済んだ。錦係長は「僕は晴男ですからね」と胸を張っていた。

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