2006.05.02

誤字等No.153

【精神誠意】(誤変科)

Google検索結果 2006/05/02 精神誠意:17,800件

誠心誠意」とは、まごころを込めた対応のこと。
根が真面目な日本人に、とても好まれている言葉です。

嘘偽りのない本当の心である「誠心」。
私利私欲のない正直な意思としての「誠意」。
その両者を重ね合わせた「誠心誠意」は、人間関係の基本です。
自らの行動の指針として掲げている人も多いことでしょう。

ところが。
WEBサイトには、「誠心」を「精神」と誤変換した「精神誠意」が蔓延しています。
その検索結果は、上記の通り。
誠心誠意」自体の使用頻度が高いとはいえ、この数値はかなりのものです。

この背景には、単なる「誤変換」だけでは説明できない、何かがありそうな気配です。

精神誠意」の検索結果上位に並んでいるのは、個人的な「雑記」などではありません。
工務店、高校、占い師、料理店、病院、などなど。
「業務」に関連する「公式な」サイトがずらりと並んでいます。
東京大学の学園祭委員長の挨拶文もヒットしました。
新聞社のサイトにも見つけました。

多くは、自らの心がけをアピールする「決意表明」です。
誠心誠意」は、その主張の主軸をなす、重大な言葉です。
主張の中心となる「キーワード」と言えます。

その、重要な言葉であるはずの「誠心誠意」が、「精神誠意」と誤記されている状況。
せっかくの宣言も、空虚な飾りごとに見えてしまいます。

誠心誠意」の姿勢に対して、ネガティブに反応する人はほとんどいません。
だからこそ、自らの意思表明として頻繁に使われているのでしょう。
しかし、多くの人が使っているということは、それだけ「当たり前」の言葉とも言えます。
こんな「当たり前」の言葉を間違っているようでは、「言葉」を軽視していると見られかねません。

さて、それでは間違いの原因を探ってみましょう。
誠心」と「誠意」は、それぞれ独立した言葉ではあります。
が、「誠心誠意」の形になったときには、全体でひとかたまりの言葉として扱います。

かな漢字変換プログラムの辞書に「誠心誠意」が登録されていれば、誤変換は起きません。
すなわち、誤変換の発生する環境では、全体をひとかたまりとして認識していないということです。

単に「せいしん」を漢字に変換するなら、「誠心」より「精神」が上位に来るのは自然なことです。
一般的に、「誠心」が単独で使われる機会は多くありません。

せいしんせいい」をひとまとめにせず、「せいしん」+「せいい」と分割して変換した結果。
それが「精神誠意」と言えます。
その背景には、「誠心」という言葉に対する「なじみの薄さ」があります。

また、「誠心誠意」は自らの心構えを表明する言葉ですから、「精神的」な要素を含んでいます。
このあたりの感覚から「勘違い」が生じると、「精神誠意」という表記に違和感がなくなります。

検索結果のページには、「間違いに気づいていない」としか見えない人たちがたくさんいます。
気づかない原因のひとつは、この「違和感の無さ」にあるのでしょう。

ただし、「誠心」は「固有名詞」を構成する要素としては、かなり多用されています。
「誠心館」「誠心堂」「誠心院」「誠心学園」など、その種類も様々です。

これほど重宝される原因は、やはり「誠心」という言葉の持つ大きな特徴にあります。
誰にでも受け入れられる「マイナスイメージのない」言葉。
そして、誰にでも言える「必要な資格や能力のない」言葉。
この二つを兼ね備えた言葉など、そうそうあるものではありません。
手っ取り早くプラスのイメージを手に入れる名前としては、きわめて都合の良い存在です。

誠心誠意」は、「定番」と呼べるだけの地位を持つ言葉です。
「定番」の言葉は便利な道具ではありますが、落とし穴も待ち構えています。
それは、「手抜き」を誘発しがちなこと。
便利な道具に頼った結果、「考える」ことを放棄してしまうのです。

「定番」の言葉を入れるだけで「何かを表現した」と錯覚しているのなら。
それだけで満足してしまっては、「意味のある結果」など得られません。
誰にでも言える、何の特徴もない主張には、何の価値もないのです。

表面的には「誠心誠意」などと奇麗事を言いつつ、その裏では「手抜き」を画策する姿。
精神誠意」という誤字からは、そんな側面が垣間見えるような気がします。

その宣言は、本気ですか?
それとも、ただのパフォーマンスですか?

[実例]

日本人とは、かくも「誤変換」に弱いのでしょうか。
このような「誤変換」が原因と思われる誤字等の品種を、「誤変科(ごへんか)」と命名しました。

[亜種]

清新誠意:3件
誠心鑑定:1件
誠心年齢:17件

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