2006.02.11

【誤字等の談話室 43】

誤字等の館 (ごじらのやかた) に寄せられる読者様のコメントに対して館主が答える「誤字等の談話室」、その第43弾です。

[092]

はじめまして。
「誤字等の館」、非常におもしろいH.P.ですね。
以前から、「ことば」と「誤字/誤用」、そしてそれによることばの「進化」になんとなく興味があり
ました。 生物がDNAの転写ミスによる変異をきっかけに進化するのと同じように、言語も、誰かの
誤字/誤用が、たまたまそれが便利だったり、響きが良かったり、おしゃれな感じがしたり等の理由で
多数の人に受け入れられることで、進化してきたのだろうし、これからもそうなのだろうと。 そう思
うと、誤字/誤用に目くじらをたてるのは、お門違いのような気がしなくもないですが、やっぱり他人
の誤字/誤用、気になってしまいます。

さて、僕のくだらない疑問を共有していただけないでしょうか。会社の役職で、例えば総務部の部長さ
んのことを、「総務部長」と普通言います。 これ、「総務部長」ではなく、「総務部部長」とすべき
なのでは? 総務部の部長を「総務部長」って呼ぶのは、富士通さん(正式名称「富士通株式会社」)
の社長さんを、「富士通株式会社長」って呼んでいるのと同じで、変なことなんじゃないでしょうか?

「間違い」から「進化」が始まることは、あるでしょうね。
すべての「間違い」を許さない、という狭量な姿勢は問題です。

ただ、そのような側面があるとしても、それは「間違い」自体を正当化する理由にはなりません。
誤字も誤用も、その時点では単なる「失敗」です。
間違えた本人が理屈を弄して自己正当化を図っても、ただみっともないだけ。
「弁解」になるような主張は、議論からは切り離す必要があります。

それから、「総務部長」などの呼び方について。
このように、「疑問」に思う姿勢は、大事です。
せっかくなので、もう少し深く考えてみましょう。

「総務部長」と「総務部部長」。
「総務部部長」でも間違いではありませんが、一般的には「総務部長」で通用します。
一方、確かに「富士通株式会社長」とは言いません。
「富士通株式会社社長」とする必要がありますね。

他の例ではどうでしょうか。
「第一小学校校長」は問題ありませんが、「第一小学校長」ではちょっと変です。
でも「横浜市長」「長野県知事」「東京都知事」は、別に違和感ありません。

つまり、「両方ある」のです。
「総務部部長」のように表記すべきものと、「総務部長」のように表現できるもの。
常にどちらか一方だけが「正解」ということではありません。
その違いがどこにあるか、わかりますか?

以下は、私なりに考えてみた仮説です。

「総務部部長」は、「総務部」と「部長」に分解できます。
前半の「総務部」は「所属」を示す組織名、後半の「部長」は「役職」を示す肩書きです。
この「所属」+「役職」という構造を読み取れるかどうかが、重要な点なのではないでしょうか。

日本では、「役職」が「代名詞」としても使われます。
個人名を使わなくても、「部長」と言うだけで特定の個人を指し示すことができます。
同時に、「役職」は「敬称」の役割も果たします。
新入社員が上司に向かって「鈴木!」と呼び捨てにはできませんが、「鈴木部長!」と呼びかけることはできます。
「部長!」だけでも構いませんね。
日本人にとって、「役職」は非常に便利な会話の道具なのです。

そのため、「総務部長」は「総務部」+「長」ではなく、「総務」+「部長」と分解されます。
後半の「役職」を明確に識別する形で、解釈が行われるわけです。

そうなるとポイントは、前半が意味のある言葉になっているか。
すなわち、「役職」を切り離しても意味が通じるかどうかです。

「総務」だけで、「所属」を示すことができるでしょうか。
「総務課」「総務係」などいくつもあると「特定」はできないかもしれませんが、大体のところは通用するでしょう。
「財務」「経理」「人事」なども、わざわざ「部」を付けなくても「所属」を示していることは明らかです。
よって、「財務部長」「経理部長」「人事部長」と表現できることになります。
「横浜市長」も、「横浜」だけで地名を示せるため、「横浜」+「市長」と分解可能です。

ところが、「富士通株式会社長」は違います。
ここから「役職」の「社長」を取り除くと、「富士通株式会」になってしまいます。
これでは意味が通じません。
だから、「富士通株式会社社長」と、「分解可能な形式」で表記する必要があるわけです。

「第一小学校校長」も同様です。
「第一小学校長」では、「第一小学」+「校長」という変な分解になってしまいます。

「富士通株式会社長」は変なのに、「総務部長」が通用する理由。
これで理解して頂けたでしょうか。

[093]

>笑うつもりも、馬鹿にするつもりもありません。

>これまでに掲載した誤字等の中で、「面白かった」ものを三つ選んでください。

矛盾してませんか?文章的にもかなりバカにしているように見えます。
私もバカにしますし、それはいいんですが、矛盾しているのはどうかなと。

トップページの宣言文と、アンケートページ(目安箱)の質問項目ですね。
そのように解釈されることもあるのかと、かなり意外でした。

五つ、誤解があります。

まず、アンケートで評価をお願いしているのは、ここ「誤字等の館」自体です。
世の中にある「誤字の実例」が「面白い」かどうかを聞いているのではありません。
「desktop」を「ディスクトップ」と読む人がいるという現象そのものが面白いかどうかではなく。
そのことについて解説した私の文章が気に入って頂けたかどうかを尋ねるための項目です。
ここは、確かに誤解されても仕方ない表現だったと思います。

次に、「面白い」という言葉は「笑える」という意味だけではありません。
「興味深い」という意味もあります。
「誤字が生まれてくる理由」を考えるのが、このサイトの趣旨です。
「こんなバカなやつがいるのか」と笑うのはご自由ですが、誤字等の館の目的は違います。

たとえ「面白い」を「笑える」と解釈したとしても。
私が「馬鹿にするつもりもありません」と宣言しているのは「誤字等の生みの親達」です。
「カーボンなのチューブ」のように笑える誤字もありますが、その場合でも笑いの対象は「人」ではありません。
真面目な学術論文に突如としてくだけた口調が出現するギャップ、という「状況」です。

そして、「笑う」ことと「馬鹿にする」ことは全く違います。
確かに「馬鹿にした笑い (嘲笑)」というものはありますが、すべての笑いが嘲笑ではありません。
友達が何か変なことを言って、思わず笑ってしまったとしても。
通常は、それが「馬鹿にしている」ことになるわけではありません。

最後に、「馬鹿にする」ということ自体について。
間違いの「指摘」だけでも、「馬鹿にされている」と受け取る人はいます。
文章でのコミュニケーションは非常に難しく、解釈は人それぞれです。
しかし、人それぞれだからこそ、その解釈は「書き手の意思」と一致しているとは限りません。
自分の解釈だけで、書き手が「こう考えている」と決め付けるのは危険です。

他人の言葉に「矛盾」を感じたときは、まず「自分の解釈に誤解があるのではないか」という点を疑ってみてください。
誤解している状態で、もし人を「馬鹿にして」しまったら、かなり恥ずかしい状況になりますよ。

ともあれ、アンケートページの質問項目が、誤解を誘発するようなものであったことは確かです。
誤解が少なくなるように、表現を変えてみます。
ご指摘、ありがとうございました。

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