2006.03.18

【誤字等の談話室 44】

誤字等の館 (ごじらのやかた) に寄せられる読者様のコメントに対して館主が答える「誤字等の談話室」、その第44弾です。

[094]

ネタになるかどうかわかりませんが、普段疑問に思ってることを書きます。

ミッション

日本ではMT車のことを総じてミッションと言ってますが、
これは外国では通じないのでは?と思うのです。
ディーラーの人までもがそう言ってました。

ミッションだけだと変速機のことを指すので、どちらなのかわかりません。
でも日本だとそれが当たり前になってます。

クーラー

エアコンのことをクーラーと言う人も多いですね。
特にクルマのエアコンを指す時はそう呼ぶ人が多いと思います。

また何か思い出したらメールしますね。

「MT (マニュアルトランスミッション)」の略が「ミッション」。
「AT (オートマチックトランスミッション)」の略は「オートマ」。

不思議ですね。
なぜ、こうも妙な省略の仕方をするのでしょうか。
どちらも海外では通用しそうもありませんが、省略の形が違うのは不可解です。
「ミッション」の部分は共通のはずなのに、なぜMTだけを指し示すことになるのでしょうか。

MTを「マニュアル」と略せば、「オートマ」とバランスがとれます。
実際、そう呼ぶことも多いですね。
MTを「ミッション」と呼ぶ人は、要するにこの「マニュアル」という呼び方を拒否しているわけです。
なぜ「マニュアル」と呼びたがらないのか。
その心理を探ることが、「ミッション」という呼び方が生まれた背景を推測する鍵になります。

ひとつ考えられるのは、言葉の「自立度」です。
単体で意味を持つ言葉は、わざわざ「何かの省略語」として解釈する必要がありません。
それ自体で意味を持つ「自立した言葉」は、「省略語」として使うのはふさわしくないのです。

「マニュアル」は、「取扱説明書」などを意味する外来語として、その地位を確立しています。
「マニュアルトランスミッション」を「マニュアル」と省略することが拒絶されるのは、そのためと考えられます。

対する「オートマ」の方は、「オートマチックトランスミッション」の略語として以外、確立された用法はありません。
言葉として、十分に「自立」していない状態にあるわけです。

「マニュアル」の代役として「ミッション」が選ばれたのも、「自立度」との関係で考えることができます。
一般的には「使命」などの意味で使われる「ミッション」ですが、車関係の用語としては無理のある解釈です。
「トランスミッション」の略として「変速機」を意味することもありますが、結局は「省略語」です。

要するに、「車関係」としては、「ミッション」は自立度の低い言葉とみなすことができるわけです。
そのため、MTの略語として「ミッション」を使うことには、拒否反応が起きにくくなります。
MTを「ミッション」と呼ぶ風習には、このような意識が関係しているのではないでしょうか。

…もっとも、現実的にはそんな理屈とは関係なく、たいした理由もない人が多いのでしょうね。
「ミッション」の方が「カッコいい」とか、「それっぽい」とか。
あるいは、「みんながそう言っているから」とか。

もうひとつ、「エアコン」を「クーラー」と呼ぶ人は。
エアコンの用途として「冷房」を重視しているのでしょうね。
「暖房」や「除湿」、あるいは「空気清浄」などの機能を意識しないのなら、「エアコン」と「クーラー」は等価です。

もっとも、「暖房」として使う場面でも「クーラー」と呼んでいるのなら、この仮説は崩れます。
この場合は、「cool」の関連性など、まったく意識されていないことになります。
言葉の由来などどうでもよく、ただの「固有名詞」に近い感覚で使っている状態でしょう。

[095]

なかなか面白かったです。
しかし、正しいのがわかりにくい。
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誤字等No.002

【ディスクトップ】(外誤科)
(正しくはデスクトップ)
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このように、一番上のわかりやすいところに正解を記入して
もらいたかったです。

同じようなご意見は、何度か頂いています。

実は、書籍版の「バカにみえる日本語」では、「正解」を記載しています。
さらに、正誤それぞれの検索結果件数を比較したグラフも載せています。
これは、書籍は「本の中だけで完結する」ことが必要だと思ったためです。

Web版「誤字等の館」では、意図的に正解を明示していません。
理由は、いくつかあります。

単純に「これが正解」「これが間違い」で済ませたくないという気持ち。
ただ「正解」を教えるだけのサイトとして読んで欲しくないという思い。
このサイトを「自分で調べるきっかけ」にして欲しいという考え、などです。
なにしろ、Webでは「サイトの外へ出て行く」ことがきわめて容易なのですから。

説明の都合上、文中に「正解」を書いていることは多々あります。
一方で、「正解」をひとつに限定できないこともあります。
特に「外来語の表記」など、「絶対の基準」があるわけでもありません。

以上のような意思があっての、ページ構成です。
ご理解ください。

[096]

はじめまして。私は、小学校の教師をしております。

今、子どもたちの作文を添削しておりました。
6年生なので、国語の最後の作文で「心に残った言葉」というテーマで
それぞれに自分の好きな言葉について書いたものです。

本やマンガから、好きな曲の歌詞から、かつて親や先生に言われた言葉、
ことわざや歴史上の人物の言葉などなど、いろいろあるのですが。

「成せば成る」とまんがにあった…と書いていた子供がいたので、あれ?と
思い、目の前のパソコンで検索したところ、こちらのサイトに行き当たりました。
(為せば成ると直しておきました)
前置きが長くなりました…。
以下、思いつくままに感想を書きますが、お時間のあるときにお読み下さい。


子どもたちとつきあっているといろいろな書き間違いがあり、それは子供ですから
本当はこうですよ…と教えるのが教師の仕事。でも、直せなくなっている教師も
事実、増えています。その一人にならないよう、勉強していきたいと思います。

22人のクラスですが、みんなそれぞれに考えて言葉を選んでいて感心しました。
読みながら、子どもたちが読むもの(=大人が書いた物)が間違っているために
誤った思いこみをしないように、導いていかなければなあと思いました。

私自身、読んでいてあら?と思った誤字・誤記を2つばかり。

1. 「失楽園」渡部淳一 ずいぶんと前ですが、この方はテキカクを「適確」と
  お書きになっていました。文章中2度あったと思います。適格と的確が合体
  しちゃったのでしょうね。編集者も気付かないのかなあと、その時は思いました。 


2.木原敏江さんという漫画家 けっこう有名な方で好きなんですが、最近買った
 大正浪漫もののマンガのなかに「生さぬ仲(なさぬなか)」の記述が2〜3カ所。
 意味は、腹を痛めて産んだ本当の子供ではない…という意味でしょうが、
 この方は、単に「仲がよくない」という意味で使っていました。
 平岩弓枝さんは「御宿かわせみ」(このシリーズ好きなんです)で、正しい意味で
 お使いになっていて、私はここから知った言葉でした。誤字というより、誤用です  
 ね…。

 これからも、もっと気を付けて言葉に接していきたいと思います。

 週刊文春に連載の「お言葉ですが…」高島俊男さんの文章もおもしろいですよ。
 私には難解なことが多いのですが。

 それでは、また。ありがとうございました。

教師として、生徒の間違いを正すことができるように、勉強を続ける。
立派な心構えです。
「教職」に就くすべての人に、肝に銘じてもらいたいですね。
「自分自身が間違っている可能性」を忘れた教師は、「有害」な存在になりかねませんから。

今の時代、マンガやテレビは日本語の「手本」となるような存在ではありません。
そこから間違った言葉遣いを学んでしまう子供たちはたくさんいることでしょう。

「日本語」だけではありません。
情報過多の現在、嘘も出鱈目も誇張も歪曲も、そこらじゅうにあふれています。
与えられた情報をすべて「鵜呑み」にすることは、とても危険なのです。
必要なのは、「自分の頭で考え、自分の手で検証する」ことのできる能力です。

大人の書いたものから、誤った思い込みを学習してしまった生徒がいたのなら。
それは、「疑う」能力を身に付けさせるチャンスです。
ただ間違いを直しておしまい、ではもったいないです。

言葉は、知的活動の基盤です。
小学校の科目の中で、最も重要なのが「国語」であると、私は思います。
しかし、その内容が「漢字の読み書き」や「文学史」などを覚えさせる「暗記科目」になっては意味がありません。
「国語力」とは、「知識の量」ではありません。

小学校で国語を教える教師の最大の使命は、生徒が国語に「興味を持つ」ように仕向けることです。
「興味を持ったこと」に対する、子供たちの吸収力は半端ではありません。
これは、国語に限らず、算数でも理科でも社会でも同じです。

無論、現場の先生方は、そんなこと重々承知でしょう。
しかし、そうは言っても、「テストの点数」という目先の指標にとらわれがちになることも多いはずです。

「子供たちの将来」にとって、何が大事なことなのか。
先生方、ぜひそのことを常に念頭に置き、自分の行動に対する「鏡」としてください。

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