2006.10.28

【誤字等の雑記帳 3】

日本語についての話題を、とりとめもなく書き連ねるコーナー「誤字等の雑記帳」、その3です。
対象は「誤字」に限定しません。
厳密な調査や検証に基づく論理を展開するわけでもありません。
ただ、思いつくままに。
当方、言語学の専門家ではありませんので、「浅はかさ」にはご容赦を。

[恣意的]

Google検索結果 2006/10/28 恣意的:1,040,000件

恣意的」 という言葉があります。
この言葉の正確な意味をご存知でしょうか。

辞書には、こう載っています。

【恣意的】 その時々の思いつきで物事を判断するさま
(大辞泉より)

深く考えず、でたらめに行動している様子が思い浮かびますね。

恣意」 の類語は「任意」。
特に規則などを定めず、思いに任せることです。
数学では、無作為に、でたらめに選んでよいことを「任意の選択」と表現します。
ランダム」と言い換えることもできます。

一方で、実際に「恣意的」という言葉が使われている用例を見てみましょう。

変ですね。
これらの文章から得られる「恣意的」 の印象は、「その場の思いつき」とはあまりにも程遠いです。

ある明確な意思(多くは悪意)を持った状態で、自らの望む方向に事実を捻じ曲げる様子。
それは、きわめて「計画的」な行動です。

多くの人が、「恣意的」 をこのような用法で使っています。
意図的」あるいは「作為的」と表記することもできるでしょう。
無作為」とは、対極の位置にあるとすら言えます。

なぜ、このような使い方が広まっているのでしょうか。

」とは、「ほしいまま」を意味する漢字です。
思いのままに、自分のしたいように振る舞う様子。
従って、「恣意」 は自分の意思に基づいて、ほしいままに行動すること、と解釈できます。

構造としては、「任意」も似ています。
「自らの意志に任せて」行動する様子。
それは、何も縛りを受けない「自由」な状態です。

何も考えず、何も気にせず、自分のしたいように、自由気ままに。
それが、本来の「恣意的」 が意味するところでした。

ところが、人間とは悲しいもので。
「自由」を与えられた者の思考は、いつのまにか「自分勝手」へと変化してしまうのです。

自分の思いのままに。
自分の思うとおりに。
自分にとって、都合の良いように。

こうして「その場の思いつき」だったはずの「自由」は、計画的な「陰謀」へと変質します。

自分が望む結果を得るために、自らの意志に基づく操作を加えて、世の中をコントロールする人々。
そんな「薄汚い」人たちを非難、揶揄するための言葉。
それが今の「恣意的」 に期待されている役割なのではないでしょうか。

故意」「意図的」「意識的」「作為的」など、類語はたくさんあります。
しかし、それらの言葉はいずれも、「自分勝手」というニュアンスには欠けています。
他人のことを考えず、自分の都合だけを優先する醜い思想や行動。
それを指摘し、蔑視するための言葉として、「恣意的」 が選ばれた。
私は、そう考えています。

繰り返しますが、「恣意的」 の意味は「その時々の思いつき」です。
計画的な悪企みを指す用法は、「誤用」とみなされます。
では、正しくは何と表記すればよいのでしょうか。

ここで、安易な「正解」を求めるのは間違いです。
「意図的」や「作為的」で置き換えられるのなら、それで良いでしょう。
「利益誘導」「我田引水」などの言葉であらわすこともできそうです。
あるいは、「勝手な」「自己中心的な」といった表現の方が良い場合もあるかもしれません。
「悪意を持って」「自分に都合の良いように」など、明確な説明を加える手もあります。

それぞれの言葉が持つ微妙な意味合いを把握し、適切な選択を行うこと。
その努力を放棄しては「文章力」は身につきません。
中途半端な知識のままで、「恣意的」 のような言葉を使う前に。
もういちどよく考えてみることが、「賢明」な態度と言えるでしょう。

それにしても。
恣意的」 の検索結果の件数は、驚異的ですね。
世の中、それほど「恣意的」 なことが多いのでしょうか。

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