2004.05.01

誤字等No.066

【全知全能を傾けて】(取違科)

Google検索結果 2004/05/01 全知全能を傾けて:221件

全知全能を傾けて、問題解決に取り組みます。」

頼もしいですね。
大企業の社長、あるいは大臣や政務官などの「偉い人」たちも、しばしば口にする言葉です。
これが、とてつもなく「傲慢」なセリフであることに、果たして当人たちは気付いているでしょうか。

全知全能」とは、すべてを知り尽くし、なんでもできる、「完全無欠」の知能や能力を意味します。
通常は、「全知全能の神」という形で使われる言葉です。

つまり。
全知全能を傾ける」と宣言している人たちは、自分自身が「全知全能の神」である、と言っていることになるのです。
これを「傲慢」と言わずして、何と言いましょうか。
人の身でありながら神を気取るとは、傲岸不遜の極み。
まさに、神をも怖れぬ所業です。
この言葉が、いわゆる「偉い人」たちのお気に入りという事実も、理解できるというものです。
彼らのような地位に昇りつめるためには、人を人とも思わぬ驕りが必要なのでしょうか。

無論、彼らが本当に言いたいのは、そんなことではありません。
自らの持てるすべての知識、すべての能力を惜しみなく注ぎ込んで、精一杯打ち込む、というつもりなのでしょう。
だとすれば、使うべき言葉は「全知全能」ではなく、「全身全霊」です。
これならば、自分の心身の力すべてをかける、という意気込みをあらわすことができます。

しかし。
こういった「宣言」は、ほぼ確実に、まちがいなく、「はったり」です。
宣言の後で、本当に文字通り心身のすべてを傾ける人を、私は見たことがありません。
単なる「決意表明」以上の意味を持たないのであれば、それは要するに「口先だけのパフォーマンス」に他なりません。

宣言している本人も、そんなことは百も承知。
自分が「本気」であると、アピールできさえすれば、それで良し。
だからこそ、「全身全霊」でも「全知全能」でも、どちらでも構わないのです。

言葉の意味など、いちいち追いかけるのは無粋というもの。
その場の「ノリ」で、雰囲気だけ味わってくれれば、それで十分。
所詮、見せ掛けだけの「はったり」なのだから。

私は、「全知全能を傾けて」という言葉を使う人からは、上記のような印象を受けます。
「人間性」自体が、とても安っぽいものに見えてしまうのです。
ゆえに、とても「信頼」などできません。

上っ面だけをいくら飾り立てても、いずれ、その本性が暴かれる日が来る。
そんな気がしてしまいます。
そう、かつて、時の総理大臣がこの言葉を発して、それから間もなく総理の地位を追われたように…

[実例]

日本人とは、かくも「別の言葉との取り違え」に弱いのでしょうか。
このような「取り違え」が原因と思われる誤字等の品種を、「取違科(とりいか)」と命名しました。

[亜種]

全知全能をかけて:91件
全知全能を尽くして:25件
全知全能をしぼって:12件
全知全能を結集して:10件
全知全能を注ぎ込み:3件

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