ヴァイキング時代


2.社会構造

 ヴァイキング時代の社会を構成する単位は農民世帯であった。農民は基本的に単婚小家族をなし、縁戚の者や、奴隷、奉公人でやや大きめの農場経営を行い、農耕・牧畜・漁業・狩猟・木工・鍛冶など必要なものは農場内で行い、入手できないものは交易か遠征による掠奪によって獲得していた。

 遠征には櫂と帆を利用する「長い船」が用いられた。櫂は両舷側に対になっているもので、標準的なものは「20座席船」と呼ばれ、1座席に左右1対の櫂を持ち最低2人の漕ぎ手がいるがさらに2人を乗せることができたので、40〜80人が乗組員となった。乗組員は同時に戦士にもなり、その中心はまだ1人前の農場経営者となっていない男子であり、武具、衣服、その他の日用品を箱に詰め、航海時にはその箱に座って漕ぎ手となる。船の指揮はその船の所有者が行っていた。

 ヴァイキング時代の北欧社会のうち、資料上最もよく知られるのはアイスランドで、12世紀にかかれた「アイスランド人の書」によれば、アイスランド島は860年ごろに北欧人に発見され、870年頃から主として西ノルウェー人によって移住・植民がなされた。彼らは、ブリテン諸島への掠奪の際に捕らえたアイルランド人やスコットランド人の奴隷をともなってアイスランドへ渡った。
 アイスランドの大部分は溶岩と氷河に覆われた不毛の地で、植民者は全土面積の1%しかない牧場敵地に農場を建て、夏期の放し飼いと冬期飼料である乾草つくりを伴う牛・羊・豚・馬の牧畜農業を行った。フィヨルドと小島の多い地形はよい漁場となり、タラを中心とした漁業は食料源や輸出産業の重要な位置を占めた。

 930年ごろ、牧場敵地が植民され尽くすと、アイスランド人は全島的な法的共同体を組織し始める。それまでにも、親族、隣人、婚姻関係などの社会関係はあったが、全島の植民完了とともに共通の法体系をもった社会へと移りはじめた。
 社会の頂点にはアルシング(全島集会)と呼ばれる立法・裁判機能を持つ集会制度が組織された。全島集会の下部組織として島を4つに区分した地区集会、その下に位置する13の地域集会があり、これらの下部集会では全島集会の決定事項の伝達のほか、それぞれの集会内で決着のつく裁判やその地域にのみ妥当とする立法も行われた。集会機構には任期3年の議長役(法の語り手)がいたが、集会以外の場では権力をもたないものだった。集会は議長役のほかにゴジと呼ばれる指導者(豪族)によって運営された。ゴジははじめ39人であったが、後に48人となった。

 アルシング体制は、豪族支配の体制ではあるが、個別農家の自立性を基礎にしていた。一般農民も、数が増えていく借地農民も武装していた。島には穀物生産が可能な土地がほとんど無く、人口が希薄でかつ分散していたので、住民は生命財産の危機に対してまず自衛の必要があった。自衛を補うものとして、別の農家世帯との婚姻関係を含むさまざまな同盟関係であり、裁判制度上の指導者であるゴジとの保護忠誠関係であった。また、ゴジにとっても彼に従い支持する農民の武装力が実力の源泉となっていた。一般農民は法廷手続き上は特定のゴジに従わなければならなかったが、年に一度だけ自分のゴジを変えることができた。

 アルシング体制には執行機関が無かった。裁判集会は陪審制で、被告が法に違反しているかどうかの判定しかくださなかった。違反の判定が下されたものは「追放」となり、追放されたものは法(社会)の外におかれたため、誰かがこのものを殺してもそれは法には問われなかった。

 アイスランドの初期社会はある程度まで北欧全体に共通するヴァイキングの社会モデルとみなされている。デンマーク・ノルウェー・スウェーデンではアイスランドと違って王権が成長するが、牧畜中心の農業を奉公人・労働者と奴隷を用いて行い、個別農場が社会の基礎単位となっていたことは共通していたのである。


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