薔薇戦争(5)

 エドワード4世の遺言により王弟のグロースター公リチャードが幼少のエドワード5世の摂政となりました。しかし、エドワード4世の王妃エリザベスらのウッドヴィル派はグロースター公の摂政に反対し、エドワード5世の即位式を早めて摂政卓を解こうと計画しました。
 グロースター公はバッキンガム公ヘンリ・スタッフォードと共謀し、1483年4月ノーサンプトンいたリヴァーズ伯アントニ・ウッドヴィルを中心とするウッドヴィル派とその傀儡となっていたエドワード5世を襲いました。そしてリヴァーズ伯を捕らえエドワード5世を擁してロンドンに入りウッドヴィル派を一掃して摂政体制を固めました。
 やがて、グロースター公は王位へ就くことを考えはじめ、6月についに即位しリチャード3世となりました。そして、甥であるエドワード5世とその弟をロンドン塔に幽閉してしまいました。

 リチャード3世は有能な支配者でしたがエドワード4世の政策を遂行しないで貴族を満足させようとしたため、次第に民衆の支持を失っていきました。
 1483年10月、バッキンガム公はリチャード3世に不満を抱きブルターニュに亡命していたリッチモンド伯ヘンリ・テューダーを王に向かえようとランカスター派の貴族と反乱を起こしましたが、失敗に終わりバッキンガム公は処刑されてしまいました。
 リチャード3世はこの反乱をきっかけに統治体制の強化を図りました。とくに地方の統制を強めて反乱の防止につとめ、反徒らにたいして財産没収を断行し、忠実な騎士を重用して王室庁役人や王領地管理官とし、王の収入が財務府を経由せずに直接王室庁にはいる体制をすすめました。

 その頃、ヘンリー・テューダーは一度はバッキンガム公らの要請を受けてブルターニュからプールへと来ていたが、時期尚早とみてブルターニュへ引き上げていました。そして、1483年の年末にエドワード4世の娘エリザベスと婚約を交し、ブルターニュ公やフランス王シャルル8世の支援を受けてリチャード3世への攻撃の準備を整えていました。
 1485年8月、ヘンリー・テューダーはカレー総督ジェームズ・ブラントとオックスフォード伯ジョン・ド・ヴィアらの協力を得て王軍の固い警備の目を盗んでミルフォード・ヘイブンに上陸し、リッチフィールドへと向かいました。
 リチャード3世は固い防衛体制に安心してしましたが、ウェールズの防衛が簡単に破られたのに驚いて軍を率いてボズワースでヘンリー・テューダー軍と戦闘を行いました。そして、ヘンリー・テューダーは国王軍の貴族の寝返りに助けられ圧勝し、ヘンリー7世として即位しました。

 こうして、薔薇戦争は終結しました。


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