とみぃ、サッカー観戦に目覚める!

(EPISODE T)






 時は、西暦1993年。

 この年、此処日本と言う小さな島国のスポーツ界で、大きな変化が起こった。



『Jリーグ開幕』

である。

 この一つの事件は、後に世界のサッカー界にとっても、大きな変革と成ったかも知れない・・・

 その最も好影響と思われる存在”中田英寿”が、世界の冠たるリーグ『セリエA』で活躍している事を考えれば、もう既にその兆候が表れて居るとも言える。





 そして、このとみぃも、そんなJリーグの影響でサッカーを見始めた人間の一人だ・・・・ と言えば文章としてスマートなのかも知れない。が、残念ながらこの時の私は、全くの逆、”アンチJリーグ主義者”だったのである。
 Jリーグと言うプロサッカーリーグが開幕する。と言う話は、もうだいぶ前、だいたい5年近く経ったかも知れない。
 その間のニュース等では、日本リーグ2部、住友金属(鹿島アントラーズと言うチームに成る予定)に、ブラジルのサッカーの神様と呼ばれたジーコが入団した。と言う様な報道は有ったが、噂だけでなかなか始まらないんだなぁ〜・・・Jリーグは、程度の感覚しかなかった。

 そしてやっと開幕した!と思った途端の、世間のあの大騒ぎである。
 はっきり言って辟易した。



 私とみぃは、サッカー自体は基本的に好きなスポーツの部類に入るものだった。 と言うより、生来運動音痴な私からして見ると、スポーツで”好き”と言う風にカテゴライズされる方が、寧ろ凄い事かも知れない。
 まぁ一番は当時小学生だった僕達同年代の少年達が、「キャプテン翼」と言う漫画に熱中していた。と言う事実が大きいと思われるが、そんな俺も、そんな影響を受けた一人だったわけだ。
 普段スポーツの中でも、特に球技と言うものが苦手だった私も(球が当ると痛いから(特に野球等小さいボールの球技))、サッカーだけは何故か好きだった。(キャプテン翼の作中に出て来た「ボールは友達」と言う言葉が良かったのかも知れない)
 それに実際のサッカー界では、私の従姉のトモコお姉ちゃんが、当時高校生で、清水東の”武田修宏”が好きだった(部屋の壁には、武田のポスターで埋まっていた)と言うのも、後のサッカー知識を広める上でも大きかったと思われる。
 そんな感じで、下手では有ったが、学校の放課後等では友達とサッカーをして遊ぶ事が多かったし、学校の授業等でのサッカーも、他の運動音痴な奴などは端からやる気が無く、(当時よく下手な奴はDFにされて、「転がって来たボールを只前方に蹴れば良いから」等と言っていた)本当に自分の所に来たボールだけを蹴ると言った感じや、(例えばセンターバックをやっていて)、サイドを突破されたら「あ!あそこは自分と関係無いから良いや」と言った感じの者や、1対1で抜かれると、「はい!俺のお役目終了!!」と速攻で休んでしまう奴とか(苦笑)本当にいい加減な人が多かった中、自分は(勿論DFをやらされて居たが(爆))それでも下手成りに楽しいので一生懸命やっていた。 また、下手でも一生懸命やっていると、上手いサッカー部の奴からもボールが取れたりするので、やっぱりそれなりに楽しかった。だから、当時はサッカーに関しては、下手だけれども、どちらかと言うと観るよりもやる方が好きだった子供だった。
 そんな、サッカーに熱中した時期(第一次サッカーマイブームと言うべきか?(でも2回目はもうだいぶ長いので、多分ブームじゃなくて一生ものだと思うけど))なので、この辺でチラホラと「さんどBack's」のメンバーが自分のサッカー史に登場して来るので、そのエピソードを紹介したい。

 当時小学校等では、まだ一般に”オフサイド”と言うものの認識が無かった。 多分「サッカーはルールが良く解らなくて難しい」等と言う女の子等をたまに見かけるが、そんな人は大体が”オフサイド”の事が難しいと考えていると思われる。
 まぁ勿論、サッカークラブ等では、しっかりとオフサイドルールを使用していたので、コーチも指導していたと思われるが、普通の小学校では(少なくとも俺の小学校では)、普通の体育授業でやるサッカーでは(まぁ5人制のハーフコートミニサッカーの場合が多かったけど・・・ってそれってまるきりフットサルじゃん!)理解が難しいと言う事で、”オフサイド”無しルールでやる事が多かった。
 そして中学に成ると、コートは殆どフルでやる様に成り、自然とルールもオフサイド有りのルールと成って居た。

 そんなある日の体育サッカー授業、クラス内で試合をしている。 その時勿論俺はDF(爆)
 その時俺は、試合の流れを見てある事に気が付いた。 (と言うか、後で考えるとそう言う問題じゃ無いんだけど(苦笑))
 それは、いつも試合で活躍する奴・得点を決める奴は(主にサッカー部の奴ら)、何時も前目のポジションを独占する。 中には殆ど自分では何もしなくても、ゴール前に居て味方からパスを貰っただけで簡単にゴールを決めている奴も居る。
 それを見て思ったのだ!「これってひょっとして上手い下手じゃなくて、只単に美味しい所に居ればパス貰えてゴール決められるんじゃないか??」と…
 そして若きとみぃは、人知れずDFであるのに関わらず(勿論試合展開お構い無しに)スルスルスル・・・・と一人前線へ上がって行った。
 「よぉ〜し!此処に陣取って居れば完璧だ!後は誰かが球をくれるのを待つだけだ!」と一人馬鹿の様に御満悦だ(笑) しかし、そんな俺の行動を見て、俺に話し掛けていた奴が二人いた。 一人は敵チームのGK、もう一人は味方チームのFWだった。 先ずGK・・・

「おい!とみぃ!!そこはオフサイドなんだよっ! オ・フ・サ・イ・ド!! ったく、仕様がねぇなぁ〜このドシロートがっ!!」
 と言われた俺、

「オフサイドって、なぁに??」(腕を組んで可愛く小首を傾げるとみぃをご想像下さい(苦笑))
 と言って味方のFWに目をやる。 それを見て苦笑いを浮かべながら…

「うん!・・・残念だけどオフサイド!(苦笑)」

 その後二人は試合中だと言うのに、誠丁寧に、オフサイドルールの仕組みを、実際のフォーメーション(今やっている試合)を使って教えてくれた。
 我ながら笑ってしまうが、実際に相手DFの裏に立ち・・・

俺「此処はオフサイド?」

二人「そう!」

そしてDFの少し手前に移動して・・・

俺「此処はオフサイドじゃ無い?」

二人「そう!!」

俺「OK!これでオフサイドのルールはバッチリだぜ! 成る程、これでキャプテン翼でやっていた(翼、絶体絶命!オフサイドトラップ!!)の回の意味が解ったよ!」

と能天気に笑い、とみぃは何事も無かった様に自陣のDFエリアに戻って行った。
 勿論その後ろで、呆れ顔の二人が顔を見合わせて苦笑していたのは、言うまでも無い(笑)(嘘の様な本当の話)
 そして、このGKこそが、元チームメイトのエース「きよ」で有り、FWの彼が、同じく元チームメイトで、そこの幻の10番、「おがちん」だった。
 と言う訳で、俺にオフサイドのルールを教えてくれたのは、何を隠そう「きよ・おがちん」の二人だったのだ!(笑)
 と言うより、今でこそ東京支援者の皆様から一目置かれている(?)かも知れないと思って大きな顔をしている”とみぃ”で有るが、実は中学までオフサイドと言うルールが何たるかも知らない奴だった。と言うのは、此処だけの秘密だ!(核爆)
 と、こんな風な第一次サッカーマイブームを過ごしたとみぃだったが… が、やはりそれは漫画に影響されて・・・ と言う部分が大きい、と言うのは否めず、自然と自分の生活の中からは遠ざかって行った。(でも授業等では楽しくやっていたと思う)



そして時は経ち、そんな中のJリーグ開幕だった。
 元来サッカー自体には興味が有ったので、その動向は気にしていた。でも、やはりこれも生来の性分と言うやつだろうか、周りが騒ぎ過ぎる事には、どんな事でも天邪鬼に成る癖が出て、すっかり俺の中では、”Jリーグ=ミーハー”と言うレッテルを貼って背を向けてしまった。
 妹はJリーグを良く見ていたので、この頃の我が家での水土のゴールデンタイムは、何時もJリーグだったが、それが気に食わなくて×2、仕方が無かった。
 そんな俺の、サッカー(Jリーグ)を見る目が変わったのは、Jリーグ開幕から半年程経った時だった。



そう、あの・・・『ドーハの悲劇』である。




 日本の秋が深まり始める頃、日本国中の話題はアラブの小国へ向かう20人ばかりの戦士達の話題で持ち切りだった。
 流石の俺も、Wカップの凄さと言うのは知っていた。

 小学生の頃、キャプテン翼で、Wカップが、サッカーで一番大きく大事な大会である事・・・

 そして、その大会には、わが国日本は、一度足りとも出場した事さえ無いと言う事実・・・

 小学校の時見た、マラドーナの5人抜きは、サッカー観戦と言う意識が全く無かった俺にも凄い事だと感じた。
 対韓国戦で見た、あの木村和司のFKの場面も記憶の中に有った。だからこそWカップと言うイベントの出場権と言う物が、この国に取ってどんなにも、遠い夢であり、難しいものであるかも解っていた。
 そんな素晴らしいサッカーの祭典、Wカップに、とうとう日本は出場出来るかも知れない。と、国中の人々が固唾を飲んだ。
 前出の従姉のお姉ちゃんも、今回の日本代表は凄い!一次予選なんか、今まで到底勝てないと思われていた前回Wカップ出場国のUAEを下し、無敗のぶっちぎりで突破したんだから!と言う。  勿論、この時の代表には、彼女が熱狂的に応援していた「武田修宏」も、エースストライカーの一角として名を連ねて居た。
 そんな熱狂的な状況の中、ある時TVで「最終予選直前代表激励番組」の様なものが放送された。 その中で、今の代表のメンバーのそれぞれの生い立ち、代表に呼ばれて来た背景等が語られていった。 それを見ているうちに、やはり当時の代表メンバーの人となり等を知ってしまうと、どうしても愛着は湧くものである。
 そこで俺も、”こんなに皆が応援しているし、俺もWカップが凄い大会なのは知っている。俺もやっぱり日本人だし、彼らは日本人の代表として、その凄い舞台を目指そうとしているのだから、この最終予選位は応援しようかな?”と言う気持ちに成って居た。
 それからと言うもの、最終予選が始まると、家族と一緒にTVの前に噛り付く様に成る。
 初戦は、日本と同じく、最近メキメキと頭角を表して来たと言う、新鋭サウジアラビア。今リーグでは、出場国候補NO1だ!
 その初戦をドローで終わったが、何か釈然としなかった。(優勝候補と引き分けたのだから上出来!とも思えるが、やはり勝てなかった。と言う事が、なにか煮え切らない物を感じた。そして、これからのチームの行く末にも漠然と不安を抱いた)
 続く第二戦、対イラン戦、前評判的には、今予選はサウジと韓国ばかりをマークされて居たので、マスコミ的には格下的扱いを受けていた様に思える。
 が、この時のマスコミは、後にアジアの代表的ストライカーとして名を馳せる「アリ・ダエイ」の存在を知らなかった。 結局試合序盤に彼を中心にした攻撃により、早々に0−2の大劣勢に陥ってしまう。 それを見た俺は(まだサッカーを真面目に見て居なかった証拠だと今は思うが)、昨日の不安な事も有り、早々に諦めムードに成ってしまった。
 しかしその後中山の追撃弾を入れるものの、やはり及ばずの敗戦・・・      しかし、その得点後の中山の試合に対する執念を見た時、何か感じる物が
俺には有った。まだ、ほんの少しでは有るけれども・・・      後で考えると、あの中山の得点が、日本の復活の狼煙だったのかも知れない。
 続く北朝鮮戦は、前節の中山の執念がメンバーにも届いたのか、勢いを取り戻し、2−0で快勝を収める。
 此処で星勘定は、一勝一敗一分け、次は宿敵韓国で、この試合に勝つ事が出来れば、だいぶWカップの扉が近づいてくる。 またも我が日本の前に大きく立ちはだかるのは、宿敵韓国なのだ!!

 そして試合が始まる。

 韓国は強かった。が、中山が決め、カズも決める。劇的な勝利を遂げて、所謂国を挙げての大騒ぎ、と言う感じだった。
 皆が皆、Wカップは確実だ!と口を揃える。 只一人ラモスだけが、「まだ終わりじゃない!まだ終わりじゃない!!」と繰り返す。
 俺も周りの人が大騒ぎする中、やはり不安は拭えなかった。 確かに韓国に勝利した事は素晴らしい事だと思う。本当にあの国に勝つのは至難の業、悲願にも近い物が有ったかも知れない。でも本当にこれで喜んで良いのだろうか? 今こうして文を書いて居ると、確かに結果を知っていて書いているのだから、今考えれば、誰だって不安に感じていた”気がしていた”と思うだろう。と言われるかも知れない。 しかしあの時の俺は、確かに不安を感じていた。
 あの第2戦の対イランで、誰が強いと予想しただろうか? 例えイラクチームに有名な選手が居なかったとしても、まがりなりにもイラクは日本と同じ様に一次予選を勝ち抜いて来たチームなのだ! 決して格下等と侮る相手では無いと俺は思った。
 そして、とうとうWカップ、アメリカ大会アジア最終予選最終戦が始まった・・・

 予想通り、イラクは手強かった。 とにかくカウンターが恐ろしく早く怖いチームだと思った。 最終ラインからボールを奪うと、あっと言う間に日本陣内まで攻め上げて来た。 はっきり言って決定機を作る率は今リーグで一番多いのでは?と思う程だった。だから、正直俺は、このチームは韓国より強いな、と思う程だった。 だから日本が先制しても、油断は出来なかった。ドンドン相変わらずの素早いカウンターからピンチを喰らって居たからだ。

 そして遂に同点・・・

 もう駄目か!?と弱気に成ったりもした。 その後のイラクは変わらず鋭いカウンターを容赦なくお見舞いして来たからだ。が、やはりここで頼れる男”ゴン中山”が2−1と勝ち越しゴールを決める。 もうみんな興奮の坩堝だ!
 その後も相変わらずの鋭いカウンターに見舞われるが、GK松永を初めとする必死のDFで、何とか抑える。 そして運命のロスタイム・・・・
 神はここまで残酷な事をするのだろうか?と本気で思ってしまった。なにも声が出なかった。劇画等でも無い限り、此れ程までのドラマは起こらないだろう。
 日本国中が、その日、その時、悲嘆に暮れた。 翌日の話題もその事で持ち切りだった。
 今や我がチームの元エースだった「きよ」も、その日は人目を憚らずに泣き明かしたと言う。 それ程までのドラマだったのだ。

 しかし、この事に因って、私のサッカーに対する見方が知らず知らずのうちに変わっていた事にも、自分自身で気が付く事が出来た。
 まぁ、それは、サッカー(Jリーグ)をミーハーな物と馬鹿にしていた男が、上記の様に、一連のドーハの出来事に此れだけのスペースを割いて居る事でも解って貰えるだろう。
 俺の中で、確かに感じ取っていた。「あのドーハを戦った戦士達は、決してミーハーの産物では無い!」と・・・
 彼らは本当に魂を持った人達で有ったと確信し、また、そんな彼らが普段戦場の場としているJリーグも、(当時の観客は別として(苦笑))戦っている選手自体は真剣に戦っているんだと思うように成れた。
 そして一番大きく、そして大切なのは、一連のドーハでの試合を見た事に因って、サッカーの試合を見る事自体の面白さにも気付いてしまったのだった。
 そして、私とみぃは遂に、サッカー観戦(まだTVのみだけど)に目覚め、いよいよサッカーの試合を見て行く様に成る…

 さて、そこで”とみぃ”は、これから何処のチームを応援していけば良いのだろうか?と迷う事に成る。



そのチームとは?




 それは次のエピソードに持ち越そうと思う・・・・・







つづく
























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