'02年度 四年生/冬休み医 学 生 日 記
12月半ばからもうお休み!とは言うものの、今年は年明けから延々2週間20科目の試験があるのだから、 試験勉強期間と言ったほうが正しい年末年始。でも、勉強自体は自分のペースでやればいいので気分的には とってもゆとりがある。何かと子供たちを連れ出して遊んでくれた家人にも感謝感謝。いつもより丁寧に家事をしたり、子供たちにお帰りを言ったり、おやつを食べたり、ママ製お子様ランチを 作成してみたり、面白い本をいろいろ仕入れてきたり、結局とって置けなくて読んじゃったり、年賀状の 絵を手書き&CG仕上げで作ったり・・とウキウキ暮らしていた。 また、ちょうど丸ビルが新装オープンしていた頃なので、子供たちが学校に 行っているお昼に、つると待ち合わせて見物。
みんなが作ったバリ対は薄いのは50ページぐらいから厚いものは200ページを超えるものまで、17冊(科目に よっては合本になってる)。積み上げると10cm以上の厚みになる。「え〜これ全部覚えるの?!」と家人にも 言われたが相当のボリュームである。もっともそれ全部を完璧に覚える人はそういないが・・・。でも、ただの教科書と違って一人一人のらしさがにじみ出ていて、それが本当に面白くて隅々まで読まず にはいられない。担当者は最後まで内容の質問を受け付けたり調べたりするのでどれも担当者名つき。 言葉遣いや文体も千差万別なら、あっさりした構成が好きな人、みっちり細かく書く人、試験暗記対策に 重点を置く人、シュールな写真や漫画を入れるのが好きな人、かわいい挿絵をつける人、すばらしいまとめ と選りすぐりの図で教科書より見やすい人、見れば見るほど、ああ自分もこの形で書けばよかった、ああ こういう風にすればもっと使いやすかったのにと後悔もいっぱい。ニーズに合わせて使いやすく情報を まとめる、という勉強になること、この上なし。
直前まで、ここおかしいんじゃない?などという質問が飛び交い、訂正につぐ訂正、追加説明などの メールが飛び交い、熱気がある。
表紙も各科工夫を凝らしていて楽しい。私は病理学の表紙を描かせてもらった。一度描いてみたかった 構図で、「鏡の国のアリス」のジョン・テニエルの挿絵を加工して、鏡じゃなくて大きな細胞にアリスが ムニュっともぐって行っている絵。裏表紙ではそれを反対から見た構図。
ちなみにこの「バリ対」の存在は先生方もみんな知っている。中には、こんなもので暗記するなんて けしからん!と言う先生もいるのだが、大体は一緒になって覗いてくれる先生が多い。授業の最後の頃も、 「ねえ、あれ出来たの?見せて見せて、ふーーん、なるほどなるほど、あ、これがでてるなぁ・・あれ? あれは載ってないの?まずいんじゃない?あ、こっちにあるのか、よしよし・・」なんてヒントをくれたり するのだった。それどころか、持ち帰ってこっからしか出さないからね。と確約してくれたあげく、あとで 「○○君、××について載せてなかったじゃないか〜ダメじゃない〜!おかげでそれ出せなかったよ、 まったく〜」などとクレームつけてくれる先生もいるのだった・・。
また、休み中も直前まで先生のところに日参しては食い下がってヒントを目いっぱい引き出してくれる 担当者も多く、本当にみんな良く働く!
リビングのコタツにバリ対と教科書を積んで、手が空いたときに眺めたり単語帳作ったりの日々。持って いる教科書も、読んでいないところがあって発見があったり、違う科でばらばらに覚えていた知識が つながったり(本来はつながったものをばらばらに切り離して勉強しているんだから当然なのだが)と、 やってもやってもいろんなことが出てきて・・楽しい。実際、こんなに喜んでる場合なのか、 もっと苦しんでしかるべきなんじゃないか?と疑問がわくぐらい。新しいことをしてるというよりは、子供の頃からリビングで「家庭の医学」をワクワクしながら読んでいた 頃と見事に重なって、なんか全然やってること変わらないなぁ・・・という、デジャビュな感覚だった。
→えにっ記
子供達をつれてハリー・ポッターの映画に。その中で骨折した腕を魔法で直そうとしたら失敗して、腕の骨 がなくなってしまうというシーンがあった。腕はゴムのようにグニャグニャのブランブラン。 医務室の魔女先生があきれながら「骨折だったらすぐ直ったのに。骨の再生は時間がかかるのよ!」確かに〜。フリークオーターで骨再生の研究所を覗かせてもらった後だと、妙に響くセリフ。それでも まず〜い薬を飲めば、一晩で手の骨が生えてきて元通り!(原作ではすごく痛いって事になってるらしいが)。 本当に、いつかこんな風にできたらいいのに!
今年はさすがにきついので帰省もなく簡素なお正月。おせち料理も、もともとみんなそんなに好きじゃな いので、好きそうなものだけ作ってそれっぽく。鳥や野菜の煮物をいっぱい作ったら大変好評で、紅白 見ながら4人でどんどん食べてなくなってしまった。そして、子供たちは初めて!12時まで起きていて 除夜の鐘を聞いた。途中半目でよろよろしていたのに、初めての夜中に興奮してしばらく寝付けず、 翌日から熱っぽかったりぐったりしたりと体調が戻るのに3日ぐらいかかった。風邪引かないかと ひやひやしたけど、冬休みだしゆっくり休んで体調も見られるので初の夜更かし、良かったね。
病気や怪我の勉強をしていると、いつももれなく自分や知り合いのかかったものや、映画や小説に登場した ものなどが連想されるのだが、この時期に繰り返し繰り返し、もういいってば!と自分の脳みそに言いた くなるほどフラッシュバックのように情景まで浮かんでしまったのが「赤毛のアン」。胸部外科をやっていると浮かぶのは、心臓の血管が悪くなってきて寒い冬を越えた頃から発作を繰り返し、 ついに帰らぬ人になったマシュウおじさん。最後のきっかけになったストレスは全財産を預けていたアベイ 銀行の倒産のニュース。外からの逆光の中で新聞を持って階段の下に立っているおじさん、その場にくず 折れる様子、叫び声を上げる女性たち、近所のおばさんの、何度もこういう顔を診てきたものには分かる、 もうどうしようもないというせりふと風景。子供の頃アニメーションでやっていたもの、本で見た挿絵、 それが全部一緒になってもう頭の中でリピート、リピート。
喉頭炎で浮かぶのは、アンの親友のダイアナの妹、ミニイ・メイが大人たちが留守の冬の夜にこの病気で 重体になったシーン。暖かい台所のドアがバーンと開いて、ミニイ・メイがひどく悪いの、メイドが クルウプ(喉頭炎)にかかって言うんだけど、どうしていいか分からない、とダイアナが飛び込んでくる 情景。もう、あんたはそれを見たんかい!と言いたくなるほど、頭の中で何度も何度も、このドアが バーンと開いたものだった。
この後にアンが部屋の温度と湿度を上げて着替えさえ、水と去痰剤を繰り返し飲ませ、見事に危機を 乗り切り、夜明けに来た医師を感嘆させるエピソードはシーンはとても緊張感があって昔から大好な ところだが、この喉頭蓋炎(当時で言う"クループ"とはちょっと違うこともある)は今もって風邪だと 思っていたのに急な死亡の原因となる(のどが腫れて窒息してしまう)、とても怖いものなのだった。
脳外科で重要な脳腫瘍。どんな種類が多くてどんな特徴があるのか、いろいろ表にしたりして覚えなけ ればならない。昔、主人公が難病で死ぬというドラマが流行っていた頃は、よくテレビでお目にかかった ものだが、実際素人に何がどうなって死に至るのかはよく分からない。子供の脳腫瘍は結構多い。そしてこの20年で本当に治る率は上がったのだが、それでも助からない場合も まだ決して少なくはない。私が小学生の頃、2、3年生ぐらいで同級生が脳腫瘍で亡くなった、と後で聞いた。 生徒数が多く、他のクラスだったためずっとお休みしているその子のことは全然知りもしなかったのだ。 今も名前は知らない。後で聞いたことには、はじめのうち、なんだかよく転ぶ、おかしいなぁと言って いたら、今度はものが二重に見えるようになったらしいよ、とだけ聞いた。だから当時転ぶたびに なんだか不安になったものだった。
その症状ならこれかな、それともあれかな、と考えながら勉強していてふと気付いてしまった。前は同級生 が死んじゃってかわいそう、という感じだったのだが、その子は今は自分の子供とほぼ同じ年だっていう ことに。そしてその時のその子の親が、今の自分と同年代、同じ立場だということに。診断されてから 亡くなるまでの2年足らずが、どんな日々だったんだろうかというのはとても想像しきれるもので はない。今は私の両親と同年代になっているその両親が、そのことを忘れようもなくずっと過ごして来たで あろう年月も。
6日に試験が始まるので年明けはほとんど試験勉強。とは言っても、ホテルに行って遊んだり、スケートに 行ったりして結構うろうろしていた。スケートをしながら糖尿病の薬を覚えていたので、今でもその薬の 名前を見ると、白いリンクの景色が頭に浮かんでしまう・・
スルホニル尿素薬・・ビグアナイド薬・・αグルコシターゼ阻害薬・・チアゾリジン誘導体・・スーイ、スーイ・・