'04年度 六年生/一学期医 学 生 日 記
ついに最終学年。長かったようなあっという間のような。とはいっても連続した実習の中に学年の 切れ目が挟まってるだけなので初めのうち今ひとつ実感がなく、2日目ぐらいにとある先生に「今 実習回ってんの6年だけだよね?」といわれた時に上級生が回ってる様子が頭に浮かび、「ああ、 そうなんですか?」と意味不明な返事をしてしまった(^_^;)「え?6年だよね?」「あっ、そうか 私6年になったんですよね」
「そーだよ(^_^;)」・・・そっか。
血液の病気、白血病、悪性リンパ腫、様々な貧血、などなどを扱う科。病名からしてわかるとおり 一昔前に較べればはるかに治る率は高くなってはいるものの、命がけの治療の人が多い。 そして治療も化学療法(抗癌剤などの副作用の強い薬)、放射線治療、骨髄移植と負担の大きい ものが多いためそのせいで弱っていることも多くてこちらもあまり気軽に談笑という感じになりにくい。 元気になって退院する人もたくさんいるし、学生が実習でつかせてもらう患者さんは もちろん了解を取ったお話が出来る状態の人ではあるのだが。しかし私達が回った時の患者さん達は自分が大変なのにとても優しく協力してくれてありがたいやら 申し訳ないやらだった。「前同じ部屋の患者さんのところに採血に来た研修医が16回もやり直して〜 いくらなんでもそれは刺し過ぎよねぇ〜人間、撤退する勇気も必要よ〜。お医者さんになったら 頼むわよぉ(笑」と話していた患者さん、採血を指し損ねてあわてて上の先生に変わろうとした私に 「もう1回やってみたら?1回ぐらいはやり直す勇気も必要よ!」
また、さばさばした笑顔で「私あと1、2年しか生きられないのよ〜あら、知ってた? まあ年だし、いいけど」などと言われると、なんと答えていいものか困った。骨髄移植では血液を作る細胞を人からもらうが、必ずしもそれがちゃんと根付くとは限らない。 しばらくしてから検査をして、ちゃんと根付いて増えているか見るのだが、ある患者さんの この検査結果が届いた時にたまたまステーションにいたら、結果の紙を広げた先生が 「やった〜!XY!(患者さんは女性で、提供者は男性なのでこれは提供者の細胞があることを示す)」 と声を上げ、周り中の先生がお祭りのようにやったぁと拍手して喜んでいた。 そんな感じで、ステーションにいても様々な病気のタイプ、細胞の細かい検査や化学療法の色々 といった教科書で一通りみただけではピンと来ないさまざまなものが現実感を持って勉強できた。
心筋梗塞、狭心症、弁膜症 etc.etc.・・。一般にも大変メジャーで患者さんも多い心臓の 病気を扱う科。外科手術は最後の手段、その前に山ほどやること、出来ることがある。また 内科ではあるがモモからカテーテルを入れて検査をしたりカテーテル手術をしたり、胸を少し 切ってペースメーカーを入れたりといった、術衣を着て「血を見る」作業もかなり多い。心電図を読むこと、は総合診断学実習でも散々やったものの、散々やっても心もとない。 心音、心電図の様々な徴候を読み取れるようになるには知識と経験がいるが、いかにも医者の 修行っぽくて面白い。特に心音は実際にたくさん聞いて耳を鍛えたいところだが担当でもない 患者さんのところへ言っていきなり聴かせて下さいと言って回るわけにも行かないのが ちょっと残念だったが、胸部外科を回ったときに生協で見つけて買った心音のCDをよく聞き かえした。色々な病気の特徴的な心音と解説が延々と続くCDで、寝つきが悪い時にもよく使う (^_^;)
学外実習は横浜の病院。ほとんどが心臓カテーテル室で検査や治療を見学。 これが全科の実習の中で肉体的に最もこたえた。なにがって、防護服が重い!カテーテルは透視 と呼ばれる動画のレントゲンを撮るので部屋に入るスタッフは鉛の入った防護エプロンをつける。 これが5キロぐらいあるので長〜い手術よりも、これ着ての数時間のほうがあちこち痛くなる。 1、2時間ならそうでもないが半日ぶっ続けは重い・・・・。 腰にベルトがあるのだが、別に締めなくてもはだけるわけではないので初め気にしていなかったが ベルトをしっかり締めてウエストでも支えないと肩に全重量が乗ってさらに腰にも負担が かかることがよく分かった。横浜の病院では先生達はカラフルな柄でツーピースになった オーダーのmy・防護服を持っていてなかなか着心地がよさそうだった。
消化器の造影でもそうだが動画の透視は普段観ることの出来ない体の中の動き自体が よく分かって大変有用、かつ面白い。ただし被爆量が多いが。放射線科の先生が僕達なんか より桁違いに被爆量多いのはカテ屋さん(心臓カテーテルをする医師)だよ〜と言っていたが。 心筋梗塞の原因も一目瞭然。一切胸を開くことなく細い管だけでそこを処置できるのは本当に 画期的。ただし根元やそこらじゅうの血管がだめになっていたらお手上げなので胸部外科の出番だが。
また、カテーテルである程度心臓の電気的な故障マップを作り、変な回路があるところを 焼いてショートによる不整脈を止める、とか、心臓内に「配線」して動作確認してから その「電線」の端を体の外に出して端子と線を確認しながらつなぎ、本体をに埋め込む ペースメーカーの埋め込み等はまさに生体電気工事といった不思議な感じ。またペース メーカーの入った人のレントゲン写真はふんわり曲線的に写った骨や肉のなかに、くっきり と精密な部品までシャープに写った機械とリード線が写っていて子供の頃見たサイボーグ のお話を思い出してしまうような不思議な写真なのだった。
その他、救急外来にちょうど来た心筋梗塞のおばあさんがいて、心電図やエコー、また、 大学では見ないすぐに結果の分かる血液検査キットで診断をし、治療をする過程を見ること も出来た。とても典型的だったこともあって、心電図でどこが梗塞しているかを当てる ことが出来たのが嬉しかった。問題を解く、という形では正解だったりはずれだったりと いうのは何度もあったのだが現実に目の前に患者さんがいて、という状況だと、これが 分かると治療の役に立てる!という実感が全然違う。投与する薬も目の前で苦しんでると ○○も早く早く!と、実際にこれのためにこれを使わなきゃ!という切迫感がある。
大学でも検査を見たり担当の症例をまとめたり発表したり外来を見学したり。外来では 実際に特有の所見やそれを見るコツなどを色々教えてもらえた。どの科もそうだが 教科書にはない、ベテランの診察の手腕というのを見るのはとても面白いし勉強になる。
ゴールデンウイーク、子供達とクレヨンしんちゃんの映画へ。不思議な映画館で 映画の世界に迷い込んだしんちゃん達が大活躍して独裁者をやっつけ、そこに とらわれていた人々を救い出すという元気いっぱいのコミカルなストーリー。 毎年、子供達の大爆笑でが館内の空気が揺れているかと思うぐらいの情景が 見られるシリーズで、今年もまた確かにそうであったのだが・・。迷い込んだ人達が日に日に前の世界のことを忘れてしまうという不思議な世界。 しんちゃんは大切なことをどんどん忘れていく自分が不安で、何とか忘れまいと 自分達の名前や、住んでいる町の様子や、幼稚園のことなどを友達のボーちゃんと 毎日確認しあっている。しかしある日、自分のお得意の大好きな豚のキャラクター (ブリブリザエモン)の絵が描けなくなっていることに気付いて愕然。このシーン、怖かった。
まるっきり同じ不安と努力と現実が痴呆患者の現場ではあるわけで。忘れるって必ずしも 忘れることに気付かずに分からなくなるわけじゃない。その恐怖は色々な人によって語られては いるが、身近な人でもなかなか認識しづらいものだろうなと思う。そのことがまた不安と孤独を倍加する。 「アルジャーノンに花束を」の後半の急速に衰える頭脳と戦う主人公のくだりも非常に怖かったが。
放射線といえば一般に思い浮かぶのはレントゲン。単純なX線写真、輪切りの写真、 造影剤を入れた写真、放射性元素を入れて取る写真、磁気で取るMRI・・。様々な 画像を使い分け、それを読み取るというのが大きな仕事の一つだが、大きな病院では もう一つ「放射線治療」というのも重要な仕事だ。癌などに放射線を当てる治療だが 当て方も体の外から当てるもの、体の中の管(たとえば食道とか胆管とか膣とか)に、 線源(放射線を出すもの)を入れて、管の中から照射するもの、舌癌などに放射線の 出る金属を直接埋め込んで組織の中から効果を得るものなど色々。特に舌癌の線源埋め込み治療はやっている施設も少なく、条件が合えば舌を切るこ となく、手術と同様の効果があるというのが売りらしいのだが、確かにこりゃ簡単 には出来ないと思わせる大変な設備。まず、放射性物質というのは法律にも細かく 取り扱いが規定してありそれを人体に1週間ほども埋め込みっぱなしにするのだから、 その人自体が危険物として扱われる。鉛で防御した個室で、出入りするスタッフも 防護服、家族との面会は出来るが鉛のついたて越し。個室内には特別のトイレがあり、 万が一線源の一部が飲み込まれてそれが便に入っていたりしたら大変なので(当然 普通の排泄物のように下水に流せない)排泄物から放射線が出ていないことをチェッ クする。舌に大きな釘が刺さった状態もつらいが、この隔絶された個室という 環境が、かなり精神的に応えるとのことだった。それでも舌が温存できるというのは すばらしいことではあるのだが。
診断、治療ともいずれにしてもとにかく大きくてややこしい機械がいっぱい。最近 ではコンピューターによる3D処理やシミュレーションも多く、見ていて非常に面白い。 →えにっ記
学外実習では両国のレトロな病院に。以前勤めていた会社のすぐ側で、懐かしみつつ 国技館の前を通るとその日に相撲の興行があることを示す櫓(やぐら)太鼓が鳴り響 いて風情がある。朝にお客を呼ぶためのその太鼓は寄せ太鼓というらしい。(相撲が終わった時の 太鼓はハネ太鼓)録音ではなく実際に叩いているので見上げると空高いところで 叩いているのが見える。
なんだかキリスト教っぽい名前の病院だなと思っていたのだが、関東大震災の時に アメリカの赤十字が集めた義捐金で立てたという歴史があるらしく、以来下町の 基幹病院として愛されてきたらしい。早い時間だったにもかかわらず、なんじゃ こりゃーーー!!!!というぐらいロビーがあふれかえっていてよほど受付事務の 手際に問題があるんだろうかと思ったが、お年寄りが受付が開くずっと前からやっ てきてサロン状態になりがちだとのことだった。
そこでも色々な画像を見せてもらって教えてもらったり、肝臓の造影検査を見たり していたのだが、その患者さんの一人のおじいさんの太ももになぜかいくつもの青い筋が。 何で皮下の静脈なんかマーキングしてるんだろうと思ってよく見たら、松の枝の 地味な図柄の刺青だった。この辺は昔の職人さんとか多いから、よくあるよ〜とのこと。
一年生が半日六年生の実習について見せてもらう、という日があった。私達の頃はなか ったが、入学後は医学から遠い科目が多いのでモチベーションを高めるという意味でも なかなかいい企画だと思う。が、私達の班はよりによって放射線科だったので、普通っぽい 診療場面がない・・。放射線治療は特定の曜日と時間にしかないし、先生達は「適当に 見せてあげてね〜」と各地に散ってるし。仕方ないのでまずはX線やMRI写真などを 並べて検討する読影室、たくさんの機械と部屋のある撮影するところ、治療の機械などを 社会科見学のように案内して説明して、あとは他の科を見に行こう!と病棟に行って ステーションや病室をうろついて実習の話をしたりした。それから、やっぱり見るといったらここでしょう、と手術部へ。着替えて手術室がずらっと ならぶ廊下から中をうかがうぐらいはできるし体験コースとしては一番それっぽいよね。 と手術部に来たら同じことを考えた同級生達が大量に来ており、いつもはたくさんある サンダルが空っぽ。あ、やっぱここに来た?(^_^;)と顔を見合わせながらかわるがわる中に はいって手術をうかがった。
それでも病院やその奥を巡るのは始めての一年生のことなのでとても興味津々にしてくれた。 私達は私達で、「あたりまえだけど、入学直後なんてCTもMRIも区別つかないし、膵臓どれ って言われても「??」だし、自分達も(低レベルながら)結構色んな知識が増えては いるんだなぁ・・」とそれなりに感慨深かったり。
形成外科ってなに?という人も結構いると思うが、定義としては「先天性および後天性の 身体外表の形、色の変化、すなわち醜状を対象にして、これを外科的手技により、 美容解剖学的に正常・美形にすることを手段として、社会に適応させるもの」という科。たとえば口唇裂(みつくち)や指の異常、あざなどの先天奇形を正常に近づけたり、 怪我、病気、手術によって変形した体を骨、筋肉、皮膚などの移植などで修正したり、 という治療目的のものから、美容目的でのいわゆる美容整形も含まれる。内科・外科 といったメジャー志向の学生には全然興味がない人も少なくないのだが、怪我、やけど、 手術の後、厄介な潰瘍、床ずれ、小児の奇形と実は殆どの科と連携するところでもある。 また職人仕事なところが、解剖も、手術も、工作も縫い物も好きな私には非常に興味深く面白い。
実習としては担当症例についての見学やレポート作成の他は、外来見学をしたり手術 見学をするが、割と自由でゆったりしようが頑張ろうが勝手という感じだった。手術は 一時間ぐらいのものから、足掛け三日のものすごいのまで色々。やたら長いのは顔や喉の 癌を広範囲に取って、それを大規模に形成するようなパターンだが、私のときには それはなく、口唇裂の手術後の修正、鼻の形の形成、乳房再建、レーザー によるあざの治療といった手術を見学した。
外来では割と気軽な相談から、深い深い苦しみを抱えた人まで実に様々な人が来る。 一重まぶたの相談に来たお姉さん、(今でも十分目が大きくてかわいいけど・・)と思い ながら眺めていたが、先生が二重にするとこんな感じだけど・・と針金をあててくぼませて みせたらあらびっくり。へ〜こんなに変わるんだ。しかも実はまつ毛が長い!まぶたに 隠れてたんだなぁ・・。指や背中なんか1ミリ変わっても何一つ変わらないのに、 顔って、というより顔を認識する脳の能力ってすごいなぁ。悩みは尽きないわけだ。
傷跡、というのは傷が治った跡だが、それが元の皮膚とは違って見えることからも 分かるとおり、完全には元通りになっていない。特にひどいやけどなどの深い傷はこの 修復の不完全さがしばしば悪さをする。何十年もしてから悪くなったり、時には 癌が出来たりするのだ。痛々しく崩れて、一向に治ろうとしない大きな潰瘍を 処置しているのを見ながら(ずいぶん広範囲に古傷があるけど、事故にでもあったの かな?)とカルテを繰ってみると「空襲」の文字。そう、確かに東京なんだから大空襲に 巻き込まれた人はこの辺にはたくさんいる。でも今もまだその傷を、しかも生傷を 治療しているなんて思ったこともなかった。
ちょうどその頃、イラクの空爆(しかも誤爆)の犠牲者の生々しいニュース映像が 頻繁に流れていたので、テレビを見るたびに、今も十分痛いのに半世紀たっても まだこの人痛いかも知れない・・・と思わずにはいられなかった。
整形外科は首から下の体中の骨と筋肉そして神経、またその周辺の柔部組織を扱うところ。 範囲がやたら広いので施設によって専門分野、得意分野がはっきりしていることが多い。 また、「ケガ」を扱うため、学校で転んだとか、建築現場から転落したとか、若くて元気な 患者が多いのも特徴。この科の実習は外病院にずっと行く方式で、私は割と近場の埼玉県の病院にお世話になった。 一見地味なこの病院は、もちろん骨折・捻挫・腰痛といった一般的な疾患も扱っていたが、 その他に大きな特徴があった。Jリーグのチームドクターを中心にスポーツ整形の専門外来 があり、Jリーガーもしばしば訪れるという患者のスポーツマン率がやたら高い病院だったのだ。 現役選手のほか、学生や趣味のサッカー選手も集まってくるため、回診で病棟を回ると サッカーのユニフォームをパジャマ代わりにしている人が多くて妙にカラフルな病室風景だった。
筋力を測る特別な装置や珍しいものが色々あり、かわいくて元気な療法士のお姉さんがいて、 自分でも測ってみたりリハビリの話を色々聞いたりとスタッフサイドの話を聞けたのも面白かったし、 医師も楽しい人ばかりで大変なごやかに楽しく過ごした実習だった。
ここに来る患者さんのスポーツの故障は、命に関わるわけでは全くないのだが、「選手生命」 というものと引き換えになりかねない問題をはらんでいるため、また違う種類の苦悩があった。 最初で最後の自分が中心になる試合に間に合わないといわれた高校生。チームと契約して これからという時に、復帰できるかは経過を見ないと分からないといわれた若い選手。 歩けなくなってもいいからあと3年もってくれればいいと食下がる中堅選手。そのなんともいえない顔。
有名な先生が来ているときはチームからじゃんじゃん電話がかかってきてスポーツに疎い私 でも分かる名前たくさん会話に出ていたので、きっとサッカー好きの人にはすごく興味深 かったに違いない。色々な選手の話も聞かせてもらい(えーと、CMに出てるお兄さん? それはフランスだかドイツだかに行った人だっけ??)とピンと来ないまま話を聞いていたが、 プロの選手というのがいかに過酷で傷だらけで無理をしている人が多いかというのに驚いた。 華やかなトップ世界というのは厳しいものだなぁ・・・。
ドリル・ノミ・金属プレート・ネジ・蝶番(人工関節)を壮大に駆使する手術はいつ見ても楽しい。 とある医師が、女の子の足の骨折の手術で「時間はかかるけど、患者さんの気分は全然違うから」 とプレートを入れた後の傷を、細い糸で形成外科のような傷を残しにくい縫い方で仕上げて いたのにも感心。
五年春休み 医学生日記 目次 六年夏休み