'99年度 一年生/前期医 学 生 日 記
合格発表から二日後、入学手続きと入学金等の払い込みのために大学へ。小さな窓口に並んでいると、 ここかしら?という風にうろうろしているおばさんがいたので、ここで払ってからあっちの窓口ですよ、と 教えてあげる。私の後ろに並んだので何気なく、「(入学するのは)息子さんですか?」と話しかけると にっこりと「ええ、そうなんですよ、・・・そちらも?」・・・・本人じゃないと思われるのは仕方ない として・・・二十歳やそこらの子供がいるように見えるかいっっ!!いくらなんでもっっ!!
「会場は狭いので、父兄は入れない」と事前に連絡されていたので一人で行くつもりだったが、だんなが 「せっかくだから面白そうだし、行けば入れるかもしれない!」と半休を取って一緒に行くことに。 ピンクのスーツを着てイヤリングを付けてると娘に「ママ、なんか変わったかっこしてるねぇ」と言われる。 今日はママの入学式だから、写真を撮ろう!とマンションの下で子供達と写真を撮る。そろって保育園に行 くと、保母さん達が「あら、入学式今日ですか!おめでとうございます」と声をかけてくれた。会場に時間ぎりぎりで行くと、何と座席指定でしーんとしてみんな座っており「遅刻しなくて良かった・・ ドキドキ」という感じだった。来るなと言っても来る父兄のために、少しだけ父兄席もしつらえて合った。 それにしてもみーんなダークスーツ。なぜっ??たまーに、でもほんの数人、クリーム色や薄い緑の女の子が いるものの、あとは見事に紺、グレー。私、たった一人でピンクのスーツ(しかも金ボタンのボレロ)でした。
医学部(医学科、保健衛生学科)歯学部合計237名。私が今まで経験したどの入学式よりも、こじんまり とした入学式だった。しかも一人一人名前まで読み上げられてびっくり。国費&私費留学生が結構いた。 医学科にも5人。中国やインドネシア、マレーシア、ブルガリアなどから。でも日本語で、漢字とひらがなと カタカナと覚えて、そのテキストで勉強するってすごいなあ。一体なぜ日本で?とその時は不思議だったが、 しばらくして色々話したり教わったりするうちに、単に自分が日本のアジアや世界の中の位置だとか、 親交の深い国との交流の歴史や制度なんかに無頓着だっただけなんだなぁと再認識してしまった。
国立大だし、君が代を歌うのかしらと思ったらそれはなく、大学のサークルの管弦楽団がビヴァルディーの春 を演奏してくれた。クラッシックには暗いのでよく分からないものの、とても綺麗だと思った。 (でもテレビなどで見聞きするプロとはちょーっと違うかも、と思った) 式の後、ホームページを見て知ってました、というお兄さんが声をかけてくれた。歯学部への再受験生だそ うで、あらためてインターネットって面白いなぁ、と思った。
昼はだんなと山の上ホテルのレストランでフレンチのコースランチで乾杯した。山の上ホテルはとっても クラシカルでこじんまりといごごちの良い、落ち着いたいい雰囲気のところだった。
午後は生協などの説明とサークルの説明、勧誘。私はもう関係ないやーって感じで傍観してた。
千葉県市川市国府台の教養部に初めて行く。保育園に寄って、そこで色々支度して、というのを 含めると、家から2時間弱見なくちゃいけないことが分かった。教養時代は楽だからまあ良いけど。 クラス分けや、月曜からの一泊のオリエンテーションの連絡などがあった。一クラス20人。私の クラスは女子が多く、半分ぐらい女子だった。授業の取り方やなんかは既に経験しているので大体分かる。 ので呑気に聞いていたが、問題は前の大学で取った単位がどれぐらい認められるかという事。 一通り終わってから教務に行って聞くと、教授に個別に談判してくれと言われた。来週から交渉!友達がインターネットを通じて私のことを知っていた、という同じ医学科の女性が声をかけてくれた。 彼女も再受験だが、大学卒業直後なので、まだ若いかわいいお姉さん。しかも、いつから受験勉強を?と 聞いたら何と去年の10月からというではないか!まあびっくり。世の中には賢い人がいるんだなぁ。
午後はいきなり英語の試験。TOEFL。しかもこの成績で語学のクラス編成。ひぇ〜。 将来英語の論文読まなけりゃならないし、留学して勉強するにも英語はいるし、英語を鍛えたいのは 分かるけど・・。あのリスニングって、私には殆ど意味が取れないので、ほとんど勢いで答えてました。
オリエンテーションは一泊二日の団体旅行。茨城県潮来の純和風大観光ホテルにて。同じ部屋、バスの女の子 達とは結構お近づきになった。医学科の女生徒の約半数は”御三家”で、お受験とは全く無縁に過ごして きた私はへぇぇ〜!という感じ。同じバスの女性二人が駿台市ヶ谷仲間と分かったのですが私は全然 見覚えがない。だってみんなA組なんですもの。(市ヶ谷はA組のみは1階であとは2階にいる)夜は医学科、看護科、検査学科、歯学部と混じるように編成された班ごとにミーティング。といっても早い 話が宴会。あちこちで次々に再受験生に合う。同じ早稲田の卒業生の女性が看護にいて、目立つ美人だなーと 思ったら元JALの国際線スチュワーデスだそうで、男の子達が思わず拝んでました。同じ班の女性で他にも 再受験の人がいて、源氏物語の研究をしていたという文系の方。彼女たちと話すのは実に楽しく夜が更けました。
翌日、大ホールで今後のカリキュラムや色々な学内のことについての説明、特別講演などがあったものの 結構寝てる人も・・。 帰りのバスでは、誰々がかわいかった、誰々の番号聞いたのとウキウキのチェック合戦の男の子達が 一斉に携帯のメールを出しまくっているのを「今の人はこうするのかぁ〜」とすっかり観察モードに。
一週間たって分かったこと。ここの大学は再受験者が多い。先生達は皆、いろんな年齢、経歴、国籍の生徒が 混じっているという前提で話をしている。が!既得単位の認定は事実上殆ど無い。 実験だけは専門でやった人は免除されるが、あとは良くて「必要なければ出なくてもいいよ。試験受けて合格点 取ってくれればいいから」といわれる。慣れればさぼるコツも分かってくるのかも知れないが、ほぼぎっしり。 もっとも、せっかくだから勉強したい!という気分の方が強いのです。前の大学でも一般教養好きだったし。体育はもちろんもう一度。でもすごーくのんびりしてるし、人数は少ないし、テニスするだけなので 運動不足解消に楽しい。初日は体力測定で各種目をみんなでうろうろしながら測った。時々先生が親切に 「これでやる?30代はホントはこの幅じゃないんだけど。」(反復横飛び)とか「30代はもっと緩いテンポで 測るんだけど〜大丈夫?」(踏み台昇降)等と言ってくれた。(いいってばっ^^;;) 保健はテストが通ればいいものの、唯一の専門に繋がる所なので聞かないと勿体ない(私にはすごく面白い)。
語学はがっちりやらされる。英語のリーディングは25人ぐらいのクラスで、完全予習を前提にびしばし指される ので全く気を抜けない。会話は予習はないけどしゃべらされる。フランス語は「テストできれば出なくてもいいわよー」 と言われたけど、覚えちゃいないので出る。でも前フランスに行って何一つ役に立たなかった経験から、 今度こそは片言ぐらい出来るようになるといいなーという気になったので楽しい。今のところ予習はいらないが ひっきりなしに指されるので緊張感があって、習得したい人にはよい。
化学の実験。一人一機材でリアルタイムの記録を正確に取る、作業を迅速に進め、失敗はそこから考察し、 枝葉の実験や考察実験もどんどんやって進め、後にまとめたレポートを作るという、「訓練」という感じで 最も大変な授業と言われる。午後一番から夜までかかる。初めにコンタクトは薬品が目に入ったとき、 くっついて危険だからなるべく、眼鏡をかけて下さいと言われた。
中学から実験なんて全くやってないので不慣れで初日時間内に予定まで全然終わらなかったけど、何か不慣れ という気がしない。だって・・バーナーの点火は毎日やってるし(うちのガスレンジは点火装置が壊れている) 手際を考えて複数作業を進めるのって、狭い台所で、限られた調理器具で、何品もの料理を平行して作るという、 いつもやってる台所仕事とそっくりなんだもの。
初日から硫化水素ガスなんて毒ガスを(吸引器付きの装置の中に手だけ突っ込んでボンベを開けて操作する) 使い、クロムとか,カドミウムとか公害の元を混ぜ合わせ、アンモニアや硫酸や塩素の煙がもうもうとした。
文学/すごく面白い!作文書かされるのが苦にならない私にはパラダイス。文化人類学,民俗学/大好きだし、 色々本も読んでるし、断片の知識が繋がったり知らない面白いことを聞けて大変楽しい。芸術/ロック、 ポップスのビデをを見て、その時代背景や文化を解説。面白すぎる!時間が終わるのが勿体ない。先生は大学教員 でも研究者でもなく、いつもは現場でインタビューしたりドキュメンタリー書いたりして本を出している 田家秀樹氏。
朝、起きて洗濯物干して、お弁当おかず付き二つとご飯だけ二つ(保育園用)をつめ、朝御飯作って、 みんなで食べて、余裕があったら園の連絡ノート書いたり皿を洗い、余裕がなければそのままダッシュ。 一限のあるときはだんなが保育園へ連れていってくれる。
4限が終わってダッシュで保育園に着くのが6時頃。自転車の前後に乗せてしゃべったり、歌ったりしがら 帰り、ご飯作って食べてお風呂入れて洗濯物片付けて、歯磨きして寝かしつけつつお話ししたりして,この時点 までに随分いっぱい笑うし、歌うし、だっこしたりおしゃべりする。何か生理に叶った労働、という感じで 変な疲れ方はしない。あと必要なら掃除や片づけなんやかんや雑用して10時頃とりあえず手が空く。 学生時代だったらげーっと思うかも知れないけど、フルタイムで働いてるお母さんに比べれば全〜然! 非コツコツ型の一夜漬け型、非体育会系、低血圧、低体温の朝に弱くぐったり型の人も、結構必要なら 何とかなるものです。もっとも、問題は専門になってからなんだけど。
入学してすぐ配られたのが、お酒の一気飲みをしないようにと厳重に警告したチラシ。前の入学時にも、 既に一気飲みによる事故死はあったし、気をつけるようにと言う声はある程度あったものの、まだ「でも、 風物詩だよね」という雰囲気だった。この12年でどれだけ事故があったのかなぁ。それと共に配られたのが「HIV感染症ハンドブック'99」。エイズの知識から世界の発生状況、症状、感染経路、 他の性病について、もしかかったらどこに相談すればいいか、全国各地の専門病院マップなど、懇切丁寧、 うら若きお嬢さん方には目が点の写真も含む、カラーの盛りだくさんのパンフレット。 大学生が感染の最要注意集団の一つになっているんだなぁとわずか十数年の変化の大きさを感じた。
私が女子高生だった頃,海の向こうでは新しい、何か変な病気が発見されたと大騒ぎになっていた。 すごい毒とか菌と言うのではなくて、免疫を破壊して回りを全て敵にしてしまうという、まさに最終兵器、 そういう手があったかという感じで、しかも進化のスピードが速すぎて、ワクチンが作れないと言うので 世界中が震撼していた。
初めのうち患者が同性愛者と麻薬中毒者に限られていたので聖書にある滅ぼされた街の伝説、ソドム (男色と言う言葉の語源)とゴモラ(これは何だか良く知らない。何かの背徳をしたらしい)の街になぞらえ た終末論に結びつけられたりしていたのを覚えている。
私も一体何でこういう生物が出来るのかと一生懸命色々な記事を追った。今も手元に大量の切り抜きが残って いる。それでも初めは特殊な人だけのものという感はあったものの、そのあと、輸血で、血液製剤で、外科治療 や歯医者で、異性間のノーマルなつきあいで、と、あれよあれよと世界に広まった。
日本で一人患者が出た、いや四人だ、等と大騒ぎしていたのも今は昔。今やすっかり身近になって・・。
授業が始まってすぐ、予防接種があった。小中学生でもあるまいに、一体何の?と思ったら、破傷風だった。 グラウンドの土に破傷風菌が沢山居るので体育などで転ぶと危ないから、とのことだった。数十年前に ラグビー部員が亡くなったとのこと。う〜ん、おっかない校庭だなぁ。戦前に軍の馬場だったらしく、 家畜などが居たところには多いらしい。注射の跡はよくもんだのに、赤くかちかちに腫れて、しばらく 痛がゆかった。それはともかく、敷地はゆったり緑が多くのどか。クローバーその他、私には大変馴染み深い可憐な野草が さわさわ揺れる、用途の特にない草地がむやみに多くてよい。何組かあるテーブルセットや、草に座って 談笑したり食事したりする人々、寝る人、木の下に座って思索に耽る人、赤ん坊を遊ばせる人(時々背負 って連れてくる人がいるのだ!おんぶヒモで!)。小鳥の他、カラスの集団もよく遊んでいる。(つい観察してしまう)
校舎の奧には、何か小さな丘がある。近寄ってみると看板があり、そこは法皇塚古墳という大変古い古墳だと 分かった。石室も副葬品もちゃんと出ており、なかなかいい古墳のようだった。登れるのかなー?でも足蹴に しちゃ悪いかなー、石室の入り口はどこかな?等とぐるぐる一人で探検したが、かなり草が茂って道もな かったようなので、結局登らずに離れた。が、後日ある授業で「あそこ、ヤマカガシ(毒蛇)いるから 気をつけてね。生物の○○先生は捕まえて飼ってたけどね。」と聞き、ひゃぁ〜・・ドキドキ。
美人が多いか少ないかと時々聞かれる。大体みんなおしゃれでかわいいけど、大べっぴんから個性派まで 分布としては特に他の今時の若い子と何ら変わらないのでは。傾向としては医→歯→看護・検査と華やかさが 増すような気はするものの、個人差も大きいし。
髪が茶色いのは世間と同じだけど、髪脱色度が派手なのは明らかに男の子。黄色とかオレンジとか大まだらとか・・・ それと長身の男の子がかなり多いような気もする。単に平均身長がこの十数年でかなり伸びたという事も あるだろうけど。特筆すべきは男女ともピアノを弾ける子が沢山いる。いいとこの子が多いのかな? 食堂の外の廊下にピアノスペースがあり、勝手に弾いていいのだが、いつ見ても色んな子がじゃんじゃん 弾きまくっている。先日はなぜかジャズが聞こえると思ってみたら女の子がピアノ、男の子がコントラバスで 素晴らしいコンボが響きわたっていた。生の音はやはり素晴らしい!感動しつつ聞き入ってしまった。
大体分かっているだけで、医・歯・看護・検査の再受験者は24人いた。一年で中退した人から大学院卒、 元社会人まで色々。先日学卒者宴会をした。14人参加し、若い順に挨拶をしていったら私は大トリだった。 同年生まれで既婚の女性がいたんだけど彼女は今まで多くの人に18才と思われていて、「えーっ!○○さん (←私)と同じぃ〜!?」と驚かれていた。どういう意味じゃ〜。ともあれ、ほんとにいろーんな話が聞けて とても楽しい会だった。出身大学は、埼玉大、静岡県立大、早稲田、上智、明治、他は東大だらけだった。 (出席していない人についてはよく知らない)毎年こうなんだろうか、理2の人が特に多い。
この日、私が出席できるよう家人は速攻で帰って保育園にお迎えにいってくれた。感謝。
一般教養や語学はみんな一緒だし、必修も医と歯は一緒。というわけで、色んな医療系他学部学科の人と お知り合いになれるのが私には大変嬉しい。理/文に関わらず様々な興味や希望や得意分野を持った人達 とのお話は本当に面白く楽しい。専門前のこのリッチな時期を大事にしたいとつくづく思う。保育園の父母仲間には医師はいないが、製薬会社員や看護婦さんや検査技師の人も結構居るので、現場の お話を聞くと、これまた勉強になって面白い。ある看護婦さんに、今んとこみんな夢見る学生よ。と話すと、 彼女はさんざん現場でもまれたベテランながら、「でも、夢と理想はずっと持ってて欲しいわ」と きっぱり答えたので、なんか偉いなーと感心しました。
前期は統計学。内容は基礎的なことではあるが、全然覚えてない。第一、数学屋さんの多くは 「統計学」というものを全然重視しない。授業はあったが、ちょろりと余興のようにこなすという感じ だった。今思えばメインの方の数学がさっぱり向いてなかったんだから、統計学のような具体的なのを、 ちゃんとやっとけば良かったのに。というわけで、まるっきりやり直し。数学だったんでしょー? この辺、達人?と言われるたび、ぶんぶんと首を振って否定する。でも、以前と違って、これを使って 実験結果を処理したり読んだり出来るんだなーと思うと、やりがいがある。(でも試験はあまり出来なかった・・・) 実際、化学、物理、薬学、生物といった、実験をやってた学卒の人達方が、は〜るかに使い慣れていて身に付いている。化学実験学で関数電卓というものを初めて使い、いやあ便利なもんですね。とすっかり感心していると、 え〜(理系の学卒なのに)使ったことないのぉ!?と驚かれた。確かに関数電卓といえば理系学生の友だろう けど、「数学」自体が専門の人は使わないのだ普通。
前期、細胞の仕組みについて。高一の頃、理科1というので生物の基礎をやって以来なので、レベルが どうなのかはよく分からないが、私には初めて知ることも覚えることもいっぱいで面白い。 初めのうちは「これはハイスクールの内容じゃないの?」と留学生に聞かれたぐらい。最後の授業では、 遊びに来て、紛れ込んでいた東工大の生物系の女の子が、「ウチはこんなに難しくないよ〜」と言っていた そう。東大卒の学卒の人が言うには、ここの生物は丁寧でなかなか良い、らしい。ところで上述の留学生には「日本では高校で物理、化学、生物の二つを選択することが多い。医学部でも 生物をやってなかった人も多いので最初はこんなものでしょう。」と説明したら驚かれた。世界でも最も 勉強する、と言われる日本の受験生。そのなかでやってきた学生達で、医学志望で・・・、それでハイスクール の生物の基礎も知らないんだもん、やっぱり変に思われるよなぁ。色々制度上の都合もあってね・・と 思いつつも、他の国はその辺どうなっているのか、今度色んな人に聞いてみようと思った。
今まで素人向けの本やサイエンス記事は趣味として読んできたものの、やっぱり独学って穴だらけ。 だから毎回、う〜んなるほど、へ〜そりゃそりゃ、と一々感心。知れば知るほど、何でこんなすごい仕組みが・・ と気味悪く、ぞわぞわっとしてくるのがまた気持ちいい。聞き覚えの無かった「細胞骨格」というものは、 前の大学で生物を専攻していた学卒の人に聞くと、「この辺は、私が大学卒業する頃に分かってきて 騒がれたところだから、私もやってないの」とのことで、新しいとこなんだーとワクワク。 ついでに「すごい仕組みだな〜こんなものが存在してぞぞっとするなーって、思わなかった?」と聞くと、 「うん、ぞわって鳥肌立つよね!」とのお答え。うんうん。
前期だけでも、高1の時に細胞の仕組みを習いながらも「何で?」「どうやって??」と謎に思っていた ところが、沢山すぱすぱ説明されていたので、長年寝かせた疑問が解ける快感を味わえた。
第二外国語と化学実験学は中間試験があって、これが結構大変だった。ので、何となく試験対策らしき ものの予行練習をして、期末試験となった。中にはレポートのものや、後期の終わりにしか試験やレポートが ないものもある。しかし、第二外国語、数学、化学実験学、物理学、生物学、の必修が一つ一つみっちり重〜い。 教養課程って普通、こんなにハードなの?大学生パラダイス説(少なくとも教養課程は・・)を期待した学生達 はブーブー。過去問とその模範解答のシケプリが出回り、みんなせっせと詰め込む。 その他、その気になれば一夜漬けで準備できるもの、というのもあったが、他の科目の準備との時間配分を 周到にしないとちょっと大変。私は昔から直前駆け込みで何とかする方(と言うか余裕がある時期にはやる気が出ない)だったが、 取りたいときに時間がとれる保証のないこの頃では、かなりその性格も改善されてきた。半月前から机につい たし。あとは電車の中でフランス語、保育園の父母会の会議中に内職、子供のスイミングの間、下のフロア の喫茶店でカリカリ・・。公園で虫に食われながら,時々一緒に遊んだり返事しながらふむふむ。 夏風邪が流行りだし、夜中、子供達が、熱だ、咳だ、おしっこだとしょっちゅうしくしく泣くのにつき合い、 机と寝室をぐるぐるぐるぐる往復。家人が週末に連れだして遊んでくれたり、実家で遊んでもらったりの 貴重な時間もいただく。確かに大変ではあったけど・・・来年の今頃、「定期試験」なんかで悩んでいたら、 どんなにいいだろうなぁって思っていた去年のことを思い出すと、こ〜れぐらい!と思える。
前の大学時代と違うなぁっと思ったのはやはり情報化の進展!!いつもメーリングリストで連絡を取り合って いるので授業で会いにくい他の科の子とも連絡が取りやすいし、「シケプリが出来たよ〜!」「あ、ファイル 送ってー。」で、自宅でプリントアウト。夜中、「○○くんが明日の物理の問題解いたよ!FAXいる?」の 電話に「ありがと〜送って送って!」でFAX。サークルや放課後のない私には、ホント、ありがたいことです。
試験最終日、教室に入る前にふとカバンを見ると、ガ〜ン!!関数電卓がない。そう言えば、さっき勉強した モスバーガーの机の横の棚において・・・急いで電話したけどもう店内にはなかった。生協は既に夏休み。 近くに扱う店はない。関数電卓を二つ持ってる人なんていない。う〜ん,これはピ〜ンチ!一気にやる気 を失うわたくし。
でもでも、最先端機器に慣れて、それが壊れたら何もできなくなる医者なんて困るぞ。なけりゃないで, 工夫して出来ることをしないと。などと思い直し、とりあえず、事務の窓口で電卓落としちゃったんです〜 普通のでいいから貸してください〜!とでっかい普通の電卓を借り、試験に。しかーし、とりあえず普通の 電卓で出来る、ただの桁の多い掛け算を始めたところ、うっかり謎の機能キーを押したら、あろう事か 一切何も受け付けなくなってしまった。がぁぁ〜ん。ちまちま手計算をしてまた戦意を喪失するわたくし。
いやいや、もし非常事態の野戦病院だったら。そうそう、何もかも壊れたのに、工夫して切り抜けた アポロ13の例もある!。(・・って、そんな大層な答案か〜) と思い返して優先順位を整理し、出来るとこを網羅し、時間の許す限り手計算をし、後は余白に電卓壊れました。 すいません。等といいわけを添加し答案を作成。
でも、毎回出てて、ちゃんと何か書いた答案出してれば成績はともかく単位はもらえるみたいよ。という噂 を聞き、なーんだ、そうなの?じゃぁいいや。OK〜。と一気にリラックスしてしてしまうわたくし。 (噂がガセだったらどうする・・・。)